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相談窓口、はじめます

 椅子が、二脚から四脚に増えた。


 増やしたのは直人ではない。総務が古い会議椅子を二脚、置いていっただけだ。

 それでも、地下二階の部屋は少し狭くなった。


 東堂が出した条件は、紙一枚に収まっていた。


    試験運用 再配置相談窓口

    期間 三ヶ月

    件数 三十件を上限とする

    全件について、配置後の追跡を行う

      追跡項目 離職/重大事故/本人の申告/配置先評価

    重大事故が発生した場合は、即時に検証を行う

    再配置判断との因果が認められた場合、試験運用を停止する

    全件、判断の手順を記録として残すこと


 合否の線ではなかった。検証の設計だった。

 直人はその紙を壁に貼った。


 三十件。四千三十一件のうちの、三十件だ。


     ◇


 最初の三件は、二週間で片づいた。


  一件目 索敵C  単独斥候から、複数班の情報集約へ

  二件目 防御B  前衛から、搬送路の確保へ

  三件目 攻撃D  探索者をやめ、装備整備の専任へ


 三件目の人は、もう探索者ではない。

 それでも記録は残るし、追跡もする。東堂が出した条件に、辞めた人を外す項目はなかった。


 一件あたりの手順記録は、平均で十四枚になった。

 何を読んだか。誰に何を聞いたか。どの記録と照合したか。どこで判断が変わったか。


 書きながら、直人は初めて自分の手順を外から見た。

 抜けている工程が、二つあった。


     ◇


 四件目の相談者は、治癒能力者だった。


 志水千夏、二十四歳。能力ランクC。《癒手》。

 協会認定の医療補助資格を持っている。


 この国では、治癒能力者が単独で診断や処方をすることはできない。医師の指示のもとでのみ施術ができる。

 例外は一つだけだ。ダンジョン内での緊急施術は、現場救命の規定で認められている。


 志水は、その例外の現場に三年いた。


「手が、震えるんです」


 彼女は最初にそう言った。


「現場で。呼ばれると、かけられなくなるんです」

「いつからですか」

「最初からです」


 志水は、膝の上で自分の手を見た。今は震えていない。

 直人も見た。指の関節に、細かい傷が何本もある。治癒能力者の手には、あまりない傷だ。


「その傷は」

「爪です。自分の」

「……はい」

「握ってれば、震えないので」


「三年で、施術の失敗が十一件あります。そのうち六件は、私がかけられなかったからです」

「記録は読みました」

「……はい」

「それで、辞めるつもりですか」

「もう、辞めました」


 志水は、封筒を出さなかった。出す必要がなかった。


「先月末で、退職届は受理されてます」

「では、なぜここへ」

「……分からないです」


 しばらくして、彼女は付け足した。


「向いてなかったって、自分で言うのが、まだできてなくて」


     ◇


 三日かかった。


 志水千夏の施術記録は、三年分で七百二十四件あった。

 失敗した十一件を、条件で並べ替える。


 時間帯。階層。負傷の種類。同行班。

 全部、何も出なかった。


 出たのは、五つ目だった。


   同時要請が一件のとき   失敗  〇件

   同時要請が二件以上のとき 失敗 十一件


 十一件、全部だ。


 この並べ方だけでは足りない。

 同時要請が二件以上ある現場は、そもそも重傷者が多い。難易度が上がっているだけかもしれない。


 だから、別の場所を探した。

 協会の訓練施設で、志水は年に二回、更新研修を受けている。一対一で、指示を受けて、施術する。難易度は現場より高い。実技試験だからだ。


 三年で六回。

 失敗は、〇件だった。


     ◇


「一対一なら、大丈夫かもしれません」

「……かもしれない、ですか」

「試してみないと分かりません」


 直人は、二枚の表を並べた。


「ただ、三年ぶんの記録が一つのことしか言っていないです」

「なんですか」

「あなたがかけられなくなるのは、同時に二人から呼ばれたときだけです」


 志水は、表を見た。それから、もう一度自分の手を見た。


「……そんなの、震える理由になりますか」

「なるかどうかは分かりません。ただ、そうなってます」


 直人は、三枚目を出した。

 提携医療機関の求人だった。


 ダンジョン帰還者向けの外来リハビリ。医師の指示下での施術。予約制で、一日八人。一人あたり四十分。


「これ、緊急じゃないですよね」

「はい」

「私、緊急現場で三年やってきたんですけど」

「資格は緊急用じゃないです」

「……え」

「緊急現場のほうが、例外なので」


 直人は言った。


「本来の運用に戻るだけです」


 志水は、紙を持ったまま、しばらく黙っていた。


「能力、変わらないですよね」

「変わりません。Cのままです」

「……それでいいんですか」

「その仕事なら、Cで足ります」


     ◇


 十日後に、志水千夏から連絡が来た。


 追跡の一回目は三ヶ月後の予定だ。まだ、こちらからは何も聞いていない。

 向こうが勝手に送ってきた。


 協会の書式で、自由記述欄は三行しかない。

 そこに、一行だけ書いてあった。


  ――手は、震えませんでした。


 直人は、その紙を右の山に置いた。

 配置が終わった人の山だ。三ヶ月後に、もう一度聞くことになる。


     ◇


 若宮蓮に会いに行ったのは、玲奈のほうからだった。


 協会のリハビリ室。左腕の固定は、もう外れている。全治六週間、予定どおりだ。

 玲奈は、この人のことを何も知らない。それが、ずっと引っかかっていた。


「水瀬さん、ですよね」


 先に言われた。


「……はい」

「俺の前にいた人」

「……はい」


 若宮は、悪意で言ったのではなかった。それが分かるぶん、余計に何も返せない。


「あの、俺を見つけたのって」

「私じゃないです。中村さんです」

「中村さんは、水瀬さんが聞いたからだって言ってました」


 玲奈は、答えなかった。


「もう、潜れないんです」


 若宮は、固定の外れた左腕を見ていた。


「治りました。医者もいいって言ってます。装備も返してません。でも、ゲートの前で足が止まって」

「……はい」

「三年やってた人に言うことじゃないですよね」

「三年やっても、止まりましたよ。私」


 若宮が顔を上げた。


「水瀬さんも?」

「第二層の階段で、一回。二十分くらい動けませんでした」

「……それ、どうやって」

「佐倉さんが、置いていきました」


 若宮が、口を開けたまま黙った。


「そのあと、自分で降りました。降りるしかなかったので」

「それ、答えになってないですよ」

「なってないです」


 玲奈は、そこで初めて笑った。


「私、こういうの上手くないんです。人を励ますの」

「じゃあ何ができるんですか」

「見るのは、たぶん、得意です」


 玲奈は、この人の適性を考えなかった。

 考えられなかった、が正しい。癖も、握りも、疲れたときにどこが下がるかも、まだ何も知らない。


 でも、この人が今どこで止まっているのかは、聞けば分かる気がした。

 自分が聞くべきではない、とも思った。


 だから、階段を降りることにした。

 地下二階まで、四十秒だ。


     ◇


 直人は、四十分話を聞いた。


 それから若宮の書類を、真ん中の山に置いた。


「今は、分かりません」

「え」

「怖いのが事故の直後だからなのか、探索者そのものに向いていないのか、まだ材料が足りません」

「……それ、どういう」

「決めない、ということです」


 直人は、真ん中の山を指した。


「ここにいるのは、決まっていない人です。今、十四人います」

「……十四人」

「一年以上いる人もいます」

「そんなに、待つんですか」

「間違えるよりは」


 若宮は、山を見ていた。自分の書類が一番上にある。


「あの」

「はい」

「決まらなかったら、どうなるんですか」

「決まるまで、ここにいます。書類が」

「……俺は?」

「あなたは帰ってください。ここ、椅子が四脚しかないので」


     ◇


 その日の記録に、直人は欄を二つ足した。


   反証確認  自分の仮説に合わない材料を、どこまで探したか

   判断保留  決めなかった理由と、次に何が揃えば決められるか


 志水千夏の件で、一つ目を使った。

 若宮蓮の件で、二つ目を使った。


 先月まで、どちらの欄もなかった。

 抜けていた工程は、これで埋まる。書式の上では。


     ◇


 若宮が出ていったあと、玲奈は机の上を片づけ始めた。

 頼んでいない。


「水瀬さん」

「はい」

「それ、俺の仕事です」

「知ってます」


 玲奈は手を止めなかった。

 受け付けたぶんの書類が、日付順ですらない状態で積んである。


「相馬さん。四件目の人」

「志水さんですか」

「その人、黒瀬さんと逆なんです」


 直人は、顔を上げた。


「逆」

「黒瀬さんは、同時に何人も見えちゃう人です。志水さんは、一人ならちゃんと見られる人で」

「……はい」

「同時に何人を見る仕事なのか、って話をするなら、黒瀬さんがいちばん早いと思います」


 玲奈は、書類の角を揃えながら言った。


「相性じゃなくて、あの人が数えられるからです」


     ◇


 その日の最後に、ノックが二回あった。


 入ってきた男を見て、直人は立ち上がった。

 考えて立ったのではない。協会の職員なら、立つ。そういう相手だった。


 神崎遼。三十二歳。S級。能力《絶界》。

 新聞は《人類の盾》と書く。


 思っていたより、背は高くなかった。

 思っていたより、疲れていた。


 スーツではなく、協会の作業ベストを着ている。左の袖に、洗っても落ちなかった煤の跡があった。

 今日もどこかの現場から来たのだと、それで分かる。


「黒瀬に聞いた」


 神崎は、そう言った。


「ここで、仕事を変えられるって」

「……状況によります」

「じゃあ、俺のを聞いてくれ」


 神崎は、四脚のうち一番古い椅子に座った。

 背もたれが、小さく鳴った。


「S級、辞めたいんだ」


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