一人で守らなくていい
三十七人の名前が、モニタに並んでいた。
水瀬玲奈は、その一番上から順に、隊員番号と装備申告を突き合わせていく。
どこにいるかは、まだ半分しか分からない。
やることは、三年前から変わっていない。
誰がどんな状態で、誰の後ろにいて、誰が無理を言わない人か。
それを、三十七人ぶん。
三年間、玲奈が覚えていたのは三人だった。
三十七人は、覚えられない。
だから、覚えるのをやめた。
通信ログを開いて、語数と返答の遅れだけを、名前の横に書き込んでいく。
誰がどんな人かは分からない。誰が変わったかは分かる。
篠塚が、隣の卓からこちらを見た。
しばらく見てから、部屋全体に声を出した。
「全卓、聞け。班ごとに、語数と返答秒だけ記録しろ。中身は書かなくていい」
「……篠塚さん」
「あんた一人で三十七人は無理だ。あんたは、変わったやつだけ見ろ」
玲奈は、自分の画面を見た。
三十七人ぶんの名前が、六つの卓に割れていく。
三年間、これは玲奈にしかできないことだった。
今日から、六人でやることになった。
「五班、四番の人」
玲奈は無線に言った。
「復唱を飛ばしてます。二回連続です」
『了解。下げる』
黒瀬の声は、あの任務のときと同じ速さで返ってきた。
◇
黒瀬悠真は、第四層の分岐に立っていた。
魔物群は、崩落で潰れた退路のほうへ流れ込み続けている。
押し返す必要はない。人が通る道と、群れが通る道を、別にすればいい。
「二班、そこを維持。倒さなくていいです」
「三班、十メートル下がって。九メートルだと、五班の射線に入ります」
「六番、二分持たせてください。二分です」
右手の親指が、指を順に押していた。
数えているものは、六つに増えていた。四年前は、撃つ前に四つまでしか数えられなかった。
撃たなくていいと、数が増える。
「四班、そこは通さないで。人を通す道は南だけにします」
「二人しかいません」
「二人で足ります。抜かせなければいいので」
黒瀬は、まだ一度も撃っていない。
◇
神崎遼は、第五層の南で《絶界》を展開していた。
崩れ残った構造体を、面で押さえている。
これは、彼にしかできない。去年の三十八件と、同じ種類の仕事だ。
展開してから、十八分。
その間に、彼は三度、行きたくなった。
三度目に、無線を握った。
「相馬さん」
『はい』
「B区域が危ない。魔物が回り込んでる。俺が行く」
『行かないでください』
即答だった。
「二分で戻る」
『そこは黒瀬さんの仕事です』
「間に合わなかったらどうする」
『そのときは、片桐さんが判断します』
神崎は、無線を握ったまま、しばらく黙っていた。
「……あんた、現場を見てないだろ」
『見てません』
直人の声は、いつもと同じだった。
『神崎さんは、自分の仕事だけしてください』
◇
神崎は、動かなかった。
十年やってきて、いちばん難しい一分だった。
B区域の映像は、彼のところにも来ている。
魔物が回り込み、五班の退路へ寄っていく。誰かが遅れる。誰かが下がる。
自分なら二分で止められる。
二分あれば、たぶん誰も怪我をしない。
右足の踵が、床から浮いていた。
自分で浮かせたつもりはなかった。
その二分、構造体は誰が押さえるのか。
神崎は、そこで初めてその質問を自分にした。
十年、一度もしたことがない。行けるなら行く。それだけでやってきた。
押さえられる者は、この国にいない。
あの三十八件と同じ仕事だと、相馬は言った。事後に、記録だけを見て、他人二人に検証させて、割れたものは全部こちら側に寄せて。
――倒れるまで、自分で決め続けることになります。
神崎は、踵を床に戻した。
戻すのに、二秒かかった。
◇
『黒瀬さん、B区域』
「見えてます」
黒瀬は、玲奈の声に返した。
群れが回り込んでいる。止めるなら、左壁の支保を落とすのが早い。
四年前なら、自分で撃っていた。今も撃てる。撃ったほうが確実だ。
黒瀬は、右腕を上げかけて、下ろした。
「七番」
「はい!」
「左壁の、上から二番目の支保です。落とせますか」
「……無理です。俺の火力じゃ届きません」
「八番と同時なら」
二秒、返事がなかった。
「……できます。たぶん」
「たぶんで結構です。三秒合わせてください。三、二、一」
二つの攻撃が、同じ場所に入った。
支保が折れて、資材が落ちる。群れの前列が止まった。
止まったところを、二班の四人が横から片づけた。
黒瀬は、一度も撃たなかった。
◇
『B区域、収束』
玲奈の声が、神崎の無線にも入った。
『五班、四番と六番を先に出してください。二人とも、報告が落ちてます』
『本人の申告は待たないでください。たぶん、言わないので』
神崎は、《絶界》を展開したまま、その声を聞いていた。
自分が行かなくても、B区域は収まった。
自分が行っていたら、構造体が動いていたかもしれない。
どちらも、確かめようがない。
確かめようがないまま、人が出てくる。
◇
最後の一人が地上に出たのは、事故発生から五時間四十分後だった。
孤立 三十七名
生還 三十七名
重傷 二名
軽傷 十一名
直人は、報告書の欄をもう一つ埋めた。
封鎖担当の行動記録だ。
封鎖開始後の移動距離 〇メートル
片桐が、その行を見て、口の端を上げた。
「……こいつ、一歩も動いてないぞ」
「はい」
「あの神崎が」
「はい」
◇
神崎が本部に上がってきたのは、それから二十分後だった。
作業ベストの背中が、汗で色が変わっている。
立っているだけで、そうなる。
「相馬さん」
「はい」
「三十七人か」
「三十七人です」
神崎は、椅子に座らなかった。座ると立てなくなる、という座らなさ方だった。
「一つ、聞いていいか」
「はい」
「今日、俺がB区域に行ってたら、どうなってた」
「分かりません」
直人は言った。
「行っていたほうが良かった可能性も、あります。今日の結果だけでは、決められないです」
「……あんた、そこは嘘つかないんだな」
「つくと、次に間違えるので」
神崎は、しばらく天井を見ていた。
「十年、俺が行かなきゃ誰か死ぬと思ってた」
「はい」
「今日、行かなかった」
そこで、初めて息を吐いた。
「俺以外の誰かに任せても大丈夫だと、思えた」
「一回だけです」
「……身も蓋もないな」
「一回で決めると、次に間違えるので」
神崎は、短く笑った。笑うと、年相応の顔になった。
「じゃあ、何回いる」
「分かりません。ただ、今日のぶんは記録に残ります」
「残してどうする」
「次に同じ規模の事故が来たとき、今日と比べられます」
直人は、報告書を閉じた。
「比べられるようにしておくのが、たぶん俺の仕事です」
◇
本部が畳まれ始めたころ、玲奈は隅の机で紙を広げていた。
協会の書式ではない。ただのノートだ。
水瀬玲奈 救難管制/人の変化を見る
黒瀬悠真 戦術指揮/同時に何人も見える/数える人
志水千夏 治癒/一対一なら安定/リハビリ外来
神崎遼 封鎖/定点防御
若宮蓮 未定
名前と、その人にできることと、連絡先。
それだけが、順番もなく並んでいる。
書き方も揃っていない。思い出した順に足したのが分かる。
「水瀬さん」
直人が通りかかって、手元を見た。
「それ、何ですか」
「相馬さんが見つけた人です」
「……水瀬さん、一番上に自分の名前がありますけど」
「私も、見つけてもらった人なので」
直人は、そこには触れなかった。
「……台帳ですか」
「そんな大したものじゃないです」
玲奈はペンを止めなかった。
「忘れるので。人の名前」
「はい」
「忘れると、つなげられないので」
直人は、それ以上聞かなかった。
◇
事故報告は、その夜のうちに協会内部の業務ポータルに載った。
編成の欄に、見慣れない一行が入っていた。
特殊編成(再配置支援室・試験運用による)
協会に登録している探索者なら、誰でも読める場所だ。
三十七名全員生還という数字と一緒に、その一行が上位に表示され続けた。
◇
翌朝、直人が地下二階に着いたのは、八時十分だった。
いつもどおり、まだ誰も来ていない。
端末を立ち上げて、再配置支援室宛の受付欄を開く。
止まらなかった。
数字が、画面の下のほうまで続いている。
直人は、上から数えるのをやめて、件数の欄を見た。
八十七
「昨日から、八十七件です」
後ろから声がした。
玲奈が、非番の私服で立っていた。手には、昨日のノートがある。
「……何で」
直人は、画面を見たまま言った。
本気で分からなかった。
三十件が上限だ。受付画面の一番上にも、そう書いてある。
読んだうえで、八十七人が送ってきている。
「あなたに見つけてほしいんですよ」
玲奈は、ノートを開いた。
「自分が、どこにいればいいのか」




