表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/15

八十七件

 八十七件を、日付順に並べ替えた。

 それから、また元に戻した。


 日付順に意味がないことに、並べ終わってから気づいた。

 早く出した人が、先に困っているとは限らない。


     ◇


 机が足りなかった。


 真ん中の山と右の山を床に下ろして、天板を全部空けた。それでも八十七件は載りきらない。

 直人は、廊下の奥から会議机をもう一つ引いてきた。地下二階には、使っていない部屋が三つある。


 運び終えて、部屋を見た。

 椅子が四脚で、机が二つ。相談室というより、荷物置き場に近くなった。


「全部見るんですか」


 玲奈が、ドアのところから言った。まだ私服のままだ。


「見ます」

「三十件が上限ですよね」

「二十六です。四件、もう使ってます」

「……じゃあ、六十一件は断ることになりますよね」

「はい」

「断るのにも、見るんですか」

「見ないと断れないので」


 玲奈は、そこで黙った。

 それから端末を出して、指で二回叩いた。


「二百六十一時間です」

「え」

「八十七件を、三時間ずつ見たら。一日八時間で、三十二日と少し」

「……はい」

「三ヶ月のうち、三十二日を読むだけに使うことになります」


 直人は、メモ帳を開いた。


「水瀬さん」

「はい」

「今の計算、もう一回言ってもらえますか。書きます」

「……計算、合ってますよ」

「合ってるから書くんです」


 玲奈が、変な顔をした。

 それでも、もう一度言ってくれた。直人は数字と、玲奈の名前を横に書いた。誰が出した数字かも残す。そういう手順にした。


     ◇


 玲奈は帰りかけて、ドアのところで振り返った。


「そういえば」

「はい」

「あれ、まだ続いてます。六卓とも」

「そうですか」


 直人は顔を上げなかった。

 玲奈は出ていった。


     ◇


 八十七件を、直人は一件ずつ開いた。


 申請書は一枚だ。名前、登録番号、現在の所属、希望する配置、そして自由記述の欄がある。

 自由記述は、五行しかない。


   三十一件目  「班長が怖い」

   四十四件目  「装備のリース代が払えない」

   五十二件目  「妻に言われて出しました」

   六十件目   「三年前に一度、ここに来ました。覚えてないと思います」


 六十件目は、覚えていた。

 二年前だ。決まらないまま、真ん中の山に一年置いて、本人が取り下げた。


 直人は、その件の古い記録を出した。

 二年より前のものは、机の一番下の引き出しにまとめてある。開けると、手前に協会の封筒が四通、立てて入っていた。

 倒さないように指で押さえて、奥から抜いた。


 机の端に置いて、それから、まだ順番を決めていないことを思い出して、元に戻した。


 六十九件目は、自由記述の欄が空欄だった。

 名前と登録番号だけが書いてある。希望する配置の欄も、空いている。


 直人は、その紙をしばらく見た。

 困っているのは分かる。困っている、と書いていないので、内容が分からない。


 困っている、という言葉の中身が、八十七通りある。

 直人は、それを初めて紙の枚数として見た。


     ◇


 三日で、こうなった。


   一次確認  三十七件

   面談    三件


 一次確認は、申請書と直近の記録に目を通すところまでだ。一件二十分。

 三十七件で、十二時間二十分。


 面談には、一件三時間の枠を取る。三件で、九時間ぶんの予定を空けた。

 三時間かかるかどうかは、開けてみないと分からない。早く終わっても、空いた枠に別の件を入れられるわけではない。相手の都合が先にある。


 合わせて二十一時間と少し。ほかに、通常の業務がある。


     ◇


 三件のうち、一人は一時間で終わった。


 二十代の女性だった。索敵E。四年目。相談の内容は、装備の更新費用が出せないというものだった。


 直人は、いつもどおりの順番で聞いた。

 今の配置。一日の動き。最後に休んだ日。装備の内訳。今の手取り。


「あの」

「はい」

「そういう話じゃないんですけど」

「……はい」

「私、どこに行けばいいか聞きに来たんです。今の話じゃなくて」

「今の話を聞かないと、次が出ないので」

「三時間かかるって聞きました」

「かかります」


 女性は、鞄を持った。


「思ってたのと違いました」


 それで、帰った。


 直人は、その言葉をそのまま記録に書いた。

 何が違ったのかは書けなかった。聞く前に帰られたからだ。


     ◇


 別の一人は、決まった。


 守屋という三十一歳の男だった。C級・防御。前衛で三年。

 希望する配置の欄には、こう書いてあった。


   希望する配置  潜行の少ない部署どこでも


「どこでも、というのは」

「どこでもいいです。潜行が週二日までなら」

「週二日」

「はい」


 聞く順番は決まっている。今の配置から、手取りまで。


 一日の動きのところで、守屋は詰まった。


「朝は、六時半に家を出ます」

「はい」

「その前に、子どもを保育園に連れていくので、七時までに戻れないと預けられなくて」


 言ってから、順番が逆だと気づいたらしい。


「すみません。保育園が先です。七時に預けて、それから出ます」

「夕方は」

「六時までに迎えに行きます。妻が夜勤なので」


 直人は、その二つの時刻を書いた。

 七時と、十八時。三年間、一度も動いていない二つの数字だ。


     ◇


 直人は、守屋の潜行記録を出した。


 三年で、遅刻が〇件。

 早退が二十二件ある。二十二件とも、十七時台だった。


 理由の欄は、二十二件とも「私用」になっている。


「これ、隊に言いましたか」

「言ってないです」

「言えない理由がありますか」

「……隊が週四日で組まれてるので。俺だけ二日にしたら、回らないです」


 守屋は、そこで初めて早口になった。


「別に、辞めたいわけじゃないんです。前衛も、嫌いじゃないです。ただ、六時に間に合わない日が去年から増えてて」

「増えてます。二十二件のうち十四件が去年です」

「……数えたこと、なかったです」


     ◇


 直人は、第一層と第二層の常設巡回班の資料を出した。


 層替わりの対象外の区画を、決まった経路で回る仕事だ。

 八時から十六時。編成は日ごとではなく月ごとに組まれる。深いところへは行かない。


「人、足りてないんですか」

「足りてないです。誰も行きたがらないので」

「なんでですか」

「報酬が下がるからです」


 守屋の顔が、そこで動かなくなった。


「どのくらい」

「日額で三割弱です」


 直人は、次の紙を出した。


「ただ、これは日額の話です」


 紙には、守屋の去年の支給明細から、項目が全部書き出してあった。

 基本の日額。深層手当。時間外。それから、早退した日に引かれている控除。


「去年の早退十四件で、十一万ちょっと引かれてます」

「……はい」

「巡回班は十六時上がりなので、この控除がなくなります。深層手当は消えます」


 直人は、二つの数字を上下に並べて書いた。


「差し引きで、年間の手取りは八・五パーセント下がります」

「……八・五」

「概算です。今年の等級表で計算しました。違っていたら言ってください」


 守屋は、紙を持ったまま、しばらく黙っていた。


「三割減るんだと思ってました」

「日額はそうです」

「三年、それで言わなかったです」


     ◇


「守屋さん」

「はい」

「向いてないとは言いません。三年もってるので」

「はい」

「配置が合ってないんじゃなくて、時間が合ってないだけです」


 守屋は、資料をもう一度見た。


「それ、書式のどこに書くんですか」

「今は、どこにも書けないです」

「じゃあ、どうするんですか」

「欄を作ります」


     ◇


 残る一人は、真ん中の山に置いた。

 三時間話して、材料が足りないことだけが分かった。


     ◇


 二日目の夜に、一度、手が止まった。


 六十九件目の空欄の紙が、まだ机の端にあった。


 机に積まれた八十七件のどこにも、直人自身の欄はない。

 当たり前だ。申請したのは八十七人で、直人はその中にいない。


 なぜそんなことを考えたのかは、分からなかった。


 直人は、手が止まっていた時間も記録に書いた。

 四分。


     ◇


 三日目の夕方に、直人は一次確認の三十七件を並べ直そうとした。


 どの順番にすればいいのかが、決まらない。

 困っている度合いを比べる方法を、直人は持っていなかった。


 三年間、必要がなかった。

 来た人から順に見て、決まるまでやる。それで足りていた。


 八十七人が同時に来ると、それは方法ではなくなる。


     ◇


 四日目の朝、玲奈は八時前に地下二階へ降りた。


 研修の早番は九時からだ。三十分あれば足りる。

 それでも、四日続けて八時前にここへ来ていた。


 一日目は、書類を出しに来た。

 二日目は、その書類の受領印をもらいに来た。

 三日目は、理由がなかった。篠塚の机にあった備品の伝票を、勝手に預かって持ってきた。頼まれてはいない。


 四日目は、何も持っていない。


 ドアが、少し開いていた。


 直人は、増やしたほうの会議机の向こうで、椅子に座ったまま寝ていた。

 背もたれに頭を預けて、口は閉じている。右手に赤いペンを持ったままだ。


 机の上には、読み終わった書類が三つの束に分かれていた。

 右端の束の一番上に、付箋が一枚貼ってある。


  ――二百六十一時間


 玲奈が言った数字が、直人の字で書いてあった。

 その下に、小さく「水瀬」と書いてある。誰が出した数字かも残す、という書き方だった。


 玲奈は、しばらくそれを見ていた。


 書類には触らなかった。

 電気も消さなかった。消したら起きる気がした。


 ドアだけ、静かに閉めた。


     ◇


 閉めてから、廊下でしばらく立っていた。


 三年前、玲奈は毎晩、日報の余白に人のことを書いていた。

 頼まれてもいないのに、書いていた。書かないと落ち着かなかった。

 誰にも見せていない。見せる相手がいなかった。


 あれと同じ書き方をする人が、あの部屋で寝ている。


 玲奈は、階段を上がった。

 九時から、六卓ぶんの記録が始まる。


     ◇


 地下二階の机の上には、まだ順番の決まっていない八十七件が残っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ