順番を決める仕事
紙を一枚だけ持って、十七階へ上がった。
書いてあるのは、質問が一つだけだ。
どういう順番で見ればいいですか。
◇
東堂は、その紙を三秒見た。
「これは、私に聞くことですか」
「はい」
「なぜ」
「制度の人だからです」
東堂は、紙を机に置いた。
「順番を決めるのが、制度です。あなたが決めることを私が代わりに決めたら、それは制度になりません」
「……はい」
「君はまだ、決める側になっていない」
直人は、紙を受け取って畳んだ。
畳んでから、まだ帰らなかった。
「基準を作ったら、見てもらえますか」
「見ます」
東堂は、そこで初めて椅子に背を預けた。
「作れるなら」
◇
四日かかった。
最初の半日は、並べる前の仕分けに使った。
八十七件を一枚ずつめくって、四件を抜いた。
治癒証明が出ていないまま次の潜行が組まれている人が二件。破損を申告した装備で三回潜っている人が一件。単独潜行の停止指示が出ているのに潜っている人が一件。
この四件は、順番の問題ではなかった。安全管理課と医療班に、その日のうちに回した。
回付の記録も残した。様式の余白に、一行足した。
処理が確認できるまで、本件は通常順位の対象外とする。
残る八十三件のうち、三件は先週すでに面談まで進めている。
決まったのが一件、途中で帰られたのが一件、材料が足りずに保留にしたのが一件。
順番をつける対象は、八十件になった。
◇
最初に、危険度で並べた。
負傷の反復、単独潜行の頻度、装備の劣化。上から十二件までは、三十分で決まる。
問題は十三件目からだった。残りの六十八件を後ろへ置くための基準が、この並べ方だと一つも作れない。
二日目に、申請の先着順で並べてみた。一時間で戻した。
早く出した人が先に困っているとは限らない、というのは初日に分かっていたことだ。
三日目の夜に、直人は六十九件目の紙をもう一度見た。
自由記述が空欄の人だ。危険度でも先着順でも、この人はどこにも置けない。書いていないからだ。
置けないなら、置き方のほうが間違っている。
◇
四日目の朝に、直人は五つ書き出した。
どれも、放置すると戻せなくなる。そして、五つのあいだに順番がつかない。
軽い怪我が月に一度続いている人と、明後日で契約が切れる人。どちらが先かは、縦に並べても出ない。
直人は、並べるのをやめた。かわりに、五つとも同じ欄を足した。
戻せなくなるのは、いつですか
契約終了が三日後。次の潜行が七日後。隊の解散が二十日後。
日付が入ると、五つが一本の線に乗る。乗らない件は、書けないと書いて本人に聞く。
ただし、書くのはその日ではない。
隊の解散が二十日後でも、あとから隊長へ聞ければ、まだ戻せる。書くのは、聞ける相手がいなくなる日だ。
次の潜行が七日後でも、七日後に必ず怪我をするわけではない。書くのは、もう一度負ったら戻れなくなる、と判断した日だ。
直人は、日付の横にもう一つ欄を足した。なぜその日なのかを、一行で書く欄だった。
◇
再配置相談 受付順位の基準(暫定)
〇 生命または身体に即時の危険がある件は、この基準で並べない。
安全管理課、医療班、潜行停止のいずれかへ即日回付し、回付の記録を残す。
回付先での処理が確認できるまで、通常順位の対象外とする。
七日以内に返答がない場合は、上位責任者へ再照会する。
〇 右に該当しない再配置相談は、二段で並べる。
一段目 優先確認項目(一つ以上に該当する件を対象とする)
・現在の配置で、負傷が反復している
・解雇または契約終了の期限が来ている
・退職届の提出を予定している
・生活の維持が困難になっている
・所属チームの解散が決まっている
二段目 該当する件を、あとから戻せなくなる時点までの
残り日数が短い順に並べる。
残り日数は日付で書き、なぜその日なのかを一行添える。
所属解散日や次回潜行日と、戻せなくなる日は、同じとは限らない。
書けない場合は、書けないと書く。
※一段目のどれにも該当しない件は、今回の受付枠の対象としない。
次に確認する日を決めて、その日付を記録に残す。
※項目のあいだに順位はつけない。
※緊急度、危険度、希望の強さ、申請の先着順では並べない。
※判断した者の氏名を、各件に記載する。
※記載のない件は、本人に確認してから並べる。
◇
東堂は、紙を最後まで読んでから言った。
「まず、危ない人をよそへ出したんですね」
「はい」
「出した先が受けなかったら」
「受けなかった記録を残して、その上の人に出します」
「押し返されるだけかもしれませんよ」
「押し返された回数が残ります」
「こちらの列へは戻さないんですね」
「戻さないです」
直人は、そこは即答した。
「戻すと、命の話を、戻せるかどうかで並べることになるので」
東堂は、二段目の行に指を置いた。
「五つに、順番をつけていませんね」
「つけられなかったです。日付で並べます」
「書けない人は」
「書けないと書きます。そのぶん、後ろに行きます」
「不利ですね」
「不利です。だから、書けないまま置かないで、こっちから聞きます」
「五つのどれにも当たらない人は」
「今回は外します。次に確認する日だけ決めて、書きます」
「日付を決めるのは」
「私です。その欄にも、判断した者を書きます」
「それでも、危険な人は後ろに来ますよ」
「来ます」
「それでいいんですか」
「よくないです」
直人は、そこをごまかさなかった。
「ただ、危険度で並べると、危険じゃない人を後回しにする理由が、こっちに一つも残らないので」
「残らないと、何が困りますか」
「あとで検証できないです」
東堂は、一段目をもう一度読んだ。
「五つ目は、本人の問題ではないでしょう。チームの解散は」
「はい。ただ、解散すると、その人のことを知っている人が散ります」
「記録はシステムに残りますよ」
「残るのは、潜行日数と負傷記録です。どこで詰まっていたかは、隊長の頭の中にあります」
直人は、自分の机のほうを指さすような手つきをして、途中でやめた。ここは十七階だ。
「一年経つと、聞ける相手がいなくなります。次に来たときに、また最初から聞くことになります」
「それは、あなたの都合ですね」
「そうです」
「書いてください。都合だと」
東堂は、そこで初めてペンを取った。
◇
直人は、もう一枚出した。
試験運用 枠の数え方と配分(暫定)
一件の消費 再配置案を本人に提示し、記録に残した時点とする。
・提示後に本人が断った場合も、一件と数える
・案を出していない件(判断保留)は、数えない
・配置の変更を伴わない件は、数えない。別に記録する
使用済み 五件
索敵C 単独斥候 → 複数班の情報集約
防御B 前衛 → 搬送路の確保
攻撃D 探索者 → 装備整備の専任
治癒C 緊急現場 → 提携医療機関の外来
防御C 前衛 → 第一・第二層の常設巡回班
数えない件 若宮蓮 案を出していない(判断保留)
神崎遼 配置の変更を伴わない(別記)
申請 八十七件 = 別制度へ回付四件 + 面談済み三件 + 順位対象八十件
受付枠 三十件 = 使用済み五件 + 新規相談のため留保五件 + 配分二十件
「神崎の件が、外に出ていますね」
「配置を変えていないので」
「変わっているでしょう」
「職種も、等級も、所属も変わっていません。変えたのは、周りの人の役割です」
直人は、一度言い直した。
「数え方を変えると、去年までの再配置の記録と比べられなくなります。外したことは書きます」
東堂は、その二行をしばらく見ていた。
「……三十件のうち、一番大きい件が外に出ましたね」
「出ました」
「五枠、空けているのは」
「三ヶ月のあいだに、まだ来ていない人が来ます。その人が最後尾になるのは、順番の問題ではないので」
東堂は、紙を返した。
「八十件のうち、二十件です。言い方を練習しておいてください。六十回言うことになります」
◇
「不採択の理由は、どうしますか」
「書きます」
「書いて、どうします」
「本人に渡します」
東堂の手が、止まった。
「開示するんですか」
「はい」
「苦情が来ますよ」
「来ると思います」
東堂は、紙を伏せた。
それから、手帳を開いて何かを書いた。
「……それは、こちらで受けます」
「え」
「査定部で受けます。あなたのところに直接来られると、業務が止まるので」
直人は、少し考えた。
「東堂さん」
「はい」
「ありがとうございます」
「業務の話です」
東堂は顔を上げなかった。
「それと、一つ訂正します」
「はい」
「先ほど、君はまだ決める側になっていないと言いました」
「はい」
「今日から、なりました」
直人が礼をしてドアへ向かうと、東堂は基準の紙を手元に残した。
右上に、番号を振っている。
「査定部の様式フォルダに置いておきます。ほかの部署からも見えます」
「見る人、いますか」
「三年に一度くらいです」
◇
不採択のお知らせ
現在の状況は、時間が経っても戻せる範囲にあると判断しました。
このため、今回の受付枠には入りません。
判断した者 相馬直人
異議のある方は、適性査定部へ申し立てできます。
◇
五十二通を出すのに、二日かかった。
文面は同じでも、判断の理由は一件ずつ違う。なぜ「戻せる」のかを、一行ずつ書いた。
三十一件目 班長の異動が来月ある。異動後の状態を見てからでも間に合う
四十四件目 リース契約の更新が半年後。それまでに再申請できる
書けなかったのが八件ある。書けない理由を、書けないまま出すことはしなかった。
◇
八件のうちの一件が、五十二件目だった。自由記述は一行しかない。
「妻に言われて出しました」
直人は、その一枚を二度、後ろの束へ入れた。二度とも、戻した。
本人が困っているのかどうかが、この一枚では分からない。
分からない、と書いて後ろへ置くこともできる。書式の上では、それで通る。
通らないのは、そのあとだった。
分からないことを後ろへ置く理由にすると、書いていない人が全員後ろへ行く。六十九件目も、そこへ行く。
八件とも、保留の束へ移して、本人に確認の連絡を入れた。
五十二件目は留守番電話だった。六十九件目には、希望する配置が空欄です、と書いて送った。
どちらも、返事は来ていない。
◇
五十二通に、全部同じ一行が入っている。
判断した者 相馬直人
三年間、この一行を書いたことがなかった。
配置が決まった人の名前は覚えている。断った人には、これまで何も出していなかった。
◇
通知を出した二日後に、一人が来た。
三十代の男だった。名乗らなかったので、直人は名簿の写真で照合した。索敵D。四年目。所属あり。
男は、紙を机に置いた。折らずに持ってきていた。
「俺のは、あとで取り返せるって書いてありました」
「はい」
「誰が決めたんですか」
「私です」
男は、紙をもう一度見た。
「……そうですか」
それだけ言って、出ていった。
怒鳴られなかった。責められもしなかった。
反論されていないので、反論もできなかった。
直人は、その面談を記録に残した。所要時間、四十秒。判断の変更、なし。
書きながら手が止まったので、止まった時間も書いた。二分。
あの男の申請書を、もう一度出した。
二十九件目。自由記述の欄には、こう書いてある。
「今のままでも死にません。でも、あと何年かは考えたいです」
直人が書いた不採択の理由は、こうだ。
現在の状況は、時間が経っても戻せる範囲にあると判断しました。
二つの文は、同じことを言っている。
同じことを言っていて、片方だけが枠に入らない。
直人は、その紙を右上の隅に置いた。
断った人の書類を置く場所を、三年間、作っていなかった。
◇
二十枠の一件目が決まったのは、その週の金曜日だった。
優先確認項目のうち、該当したのは一つだけ。現在の配置で、負傷が反復している。
戻せなくなる日は、六日後と書いた。次の潜行の日だ。
理由の欄には、一行だけ入れた。――同じ部位の三度目になる。次で長く外れると、防御職としても戻れない。
三隅晃、二十七歳。能力ランクB。防御系。
過去三年の負傷記録が十九件あって、十九件とも前衛での負傷だった。
直人は、申請書の希望欄をもう一度読んだ。
希望する配置 攻撃職(前線)




