A級を捨てるんじゃない
協会主催・第三層合同討伐任務 実施要領(抜粋)
日時 八月十九日 〇九〇〇集合
参加 十二名
目的 第三層東区画の個体数調整
備考 試験配置一名(現場指揮/黒瀬悠真)
※原則として攻撃行動を伴わない
※緊急時は安全管理責任者の判断により解除できる
この備考の一行を通すのに、二週間かかった。
◇
適性査定部長の東堂啓介は、書類を突き返さなかった。
かわりに直人を部屋へ呼んで、十五分かけて質問した。
「つまり、A級の攻撃適性を使わない配置にする、ということですか」
「使わないとは言っていません」
「使う場面を、あなたが減らす。そういうことですね」
東堂は、相手の言葉を一度言い換えてから返す。
直人が答える前に、こちらの主張を要約してしまう。
「攻撃適性Aは、正しく測られた数字です」
「はい」
「正しい数字を使わない配置は、単なる損失です。違いますか」
直人は、少し考えた。
「今は、違うと証明できません」
「では、証明してください」
東堂は判を押した。
一回限り、という条件がついた。
◇
八月十九日。新宿第二ダンジョン第三層、東区画。
定例の間引きだ。危険度は管理されている。第三層の個体は単独では脅威にならず、群れても十二人なら押し返せる。年に六回、同じ手順でやっている。
集合時、名簿を読み上げた監督官が、最後の一行で止まった。
「現場指揮、黒瀬悠真。試験配置」
十一人が振り返った。
誰も声は出さなかった。そういう沈黙だった。
「……撃たないんですか」
二十代前半の隊員が聞いた。悪気はない。単純に分からないのだ。
「撃たない」
「A級が?」
「A級が」
監督官が、隊員の肩を叩いて黙らせた。
安全管理の責任者で、指揮そのものはやらない。要領書どおりに進んでいるかを見ている人だ。
「今日の指揮は黒瀬だ。俺は止めるだけの係」
黒瀬は、通路の三十メートル後方に立った。
誰も彼に期待していないのが、空気で分かる。「暁星の攻撃主任が指揮ごっこをしている」くらいの扱いだ。
黒瀬は、それでよかった。
撃たなくていいと言われたのは、四年ぶりだった。
最初の四十分、黒瀬が言ったのは要領書に書いてあることだけだ。
「一班、そのまま」
「二班、右を維持」
「三班、二十分で交代」
書いてある指示を、書いてある順番に読み上げる。
それ以上のことを言う必要が、まだなかった。
◇
崩れたのは、四十分後だ。
「第二層から流入。二十以上」
無線が言った。
第二層の別隊が取りこぼした群れが、階段を下ってきていた。よくある話ではないが、初めてでもない。
ここまでは、まだ要領書の範囲だった。
「――ケーブル! ケーブルやられた!」
押し寄せた群れが、通路の右壁に這わせてあった仮設ケーブルを引きちぎった。
第三層の照明は、協会が持ち込んだ仮設だ。ケーブルと発電機と、樹脂の被覆。
切断面から落ちた火花が、その被覆に燃え移った。
「東通路、燃えてます。火、右壁を走ってます」
火は、ケーブルの通り道をそのままなぞって進む。
そして三名が、その先にいた。
「四班、孤立。退路が塞がってます」
監督官が黒瀬を見た。
「黒瀬。続けろ」
「はい」
「ここからは要領書にない。読み上げるものがないぞ」
「分かってます」
◇
黒瀬は、通路の壁に地図を広げなかった。
広げる時間が惜しかったし、頭の中にあった。
「一班、下がってください。三メートル。それ以上は下がらない」
「三メートル?」
「三メートルです。四メートル下がると、右の分岐が見えなくなります」
無線の向こうで、誰かが息を呑む音がした。
指示が細かすぎるのだ。前線の人は普通、そんな距離で物を言わない。
「二班、右の分岐を塞いでください。倒さなくていいです。詰まらせるだけでいい」
「詰まらせる?」
「通れなくすれば十分です。押し返すと、こっちの通路に戻ってきます」
「五番、七番」
「はい」
「あなたたち二人で、四十秒持たせてください。四十秒です。それ以上は要りません」
言いながら、右手の親指が指を数えていた。
一班が下がる時間、二班が分岐に着く時間、火の回る速さ、四班の残り。四つを同時に数えている。
誰も倒していない。
黒瀬は、人の位置しか動かしていない。
それでも三十秒で、群れの形が変わった。
二十以上いた個体が、二本の通路に割れる。割れた分だけ、一本あたりの圧が下がる。
五番と七番が、四十秒持った。
四十一秒目に、二人とも下がった。黒瀬が下がれと言ったからだ。
「管制、四班の状態は」
黒瀬が無線に聞いた。
返ってきたのは、若い女の声だった。
『四班の三番の人、報告が短くなってます』
黒瀬は、一瞬だけ手を止めた。
『さっきまで三語だったのが、二語です。あと、呼びかけへの返事が遅れ始めてます』
「……何秒」
『最初は一秒でした。今は三秒です』
「じゃあ、二番と替える」
黒瀬は即答した。
「四班、隊列を入れ替えてください。三番を後ろへ。二番が前」
『了解』
黒瀬は、そこで初めて自分が誰と話しているのか気になった。
だが、聞く時間はなかった。
◇
火が、思っていたより速かった。
四班の退路は、あと九十秒で完全に塞がる。
迂回路はない。次の組み替えまでは一時間以上あるので、通路は今の形のままだ。それが救いでもあり、逃げ道がないという意味でもあった。
黒瀬は、天井を見た。
東通路の入口。上に、仮設の支保がある。協会が資材を運び込むときに立てたものだ。
その奥、三メートルほどの位置に、崩れかけの岩盤がある。
群れは、その下を通ってくる。
黒瀬は無線を握った。
「一班から五班。三秒後、全員、東通路から離れて」
「おい、四班はどうする!」
「離れてください。三、二」
「――解除」
監督官の声が、無線に割り込んだ。
「攻撃行動の制限を解除する。黒瀬、許可する」
「いりません」
黒瀬は右腕を上げた。
「もう撃ちます」
撃つ瞬間を、自分で選べた。
それが妙に久しぶりな気がした。
魔力が右腕に集まって、空気が鳴った。
――《雷槍》。
黒瀬は、群れを撃たなかった。
崩れかけの岩盤を撃った。
轟音。落ちてきた岩が、通路を斜めに潰した。
東通路の幅は六メートル。岩が埋めたのは、右壁側の四メートル半だ。
燃えていたケーブルは、その下に消えた。火は行き先を失った。
残ったのは、左壁沿いの一・五メートル。
人なら、一列で通れる。
二十以上の群れは、通れない。
行き場をなくした個体が、まとめて右へ押し出された。
押し出された先には、二班が詰まらせておいた分岐がある。
「今です」
黒瀬が言った。
前衛の四人が、一斉に踏み込んだ。
狭い場所に固まった群れは、そこから十四秒で片づいた。
黒瀬は、一体も倒していない。
◇
四班の三名は、左壁沿いの一・五メートルを一列で抜けてきた。
上がってきたのは、その八分後だ。
三番の隊員は、右の前腕に熱傷を負っていた。
上がってくるまで、無線では一度も言わなかった。
医療班が包帯を巻いている横で、その隊員が誰にともなく言った。
「途中で前と替われって言われて、意味が分からなかった」
◇
報告書が出たのは、翌週だ。
参加 十二名
死亡 なし
離脱 なし
重傷 なし
軽傷 二名(熱傷一、打撲一)
直人は、過去四年の同種任務――同じ第三層、同じ十二名編成、同じ間引き目的――に絞って平均を出した。
十九回。平均で、離脱一・四名、重傷〇・六名。
東堂は、その紙を三分見ていた。
「一回では、何も証明されません」
「はい」
「十九回の平均と、一回を比べても意味がない」
「そのとおりです」
直人はうなずいた。
「ただ、比べてほしいのはそこじゃないです」
「では、どこですか」
「一点、先に確認させてください」
東堂が言った。
「攻撃行動の解除は、監督官の判断でしたね」
「はい」
「記録に残っていました。時刻まで」
東堂は、そこで初めて資料をめくった。
直人は、別の一枚を出した。
「同じ任務で、黒瀬さんが《雷槍》を撃った回数です」
「……一回」
「過去四年の平均は、一任務あたり十一・四回です」
東堂の目が、そこで初めて紙の上に止まった。
「一回で、あの結果になりました」
◇
「相馬さん」
東堂が、紙を置いた。
「あなたは、A級の攻撃能力を捨てさせようとしている。そう聞こえます」
言い換えてから返す。この人の癖だ。
「違います」
直人は言った。
「A級を捨てるんじゃないです。A級しか見ないのを、やめるだけです」
東堂は、しばらく黙っていた。
「A級しか見ない、というのは、私のことですか」
「制度のことです」
「制度を作ったのは私です」
「はい」
直人は、そこを否定しなかった。
「東堂さんが作った基準で、四年間、黒瀬さんは正しく測られてました。測り間違いは一件もないです」
「では、何が問題ですか」
「測ってない項目があることです」
東堂は手帳を開いて、何かを書いた。書き終わってから、顔を上げた。
「黒瀬悠真の配置は、保留にします」
「……はい」
「決めないという意味ではありません。私が決められないという意味です」
東堂は立ち上がった。
「来週、あなたを呼びます。予定を空けておいてください」
◇
地下二階に戻ると、机の上に紙が一枚置いてあった。
置いた人の心当たりは一つしかない。まだ研修中で、この階に用のない人だ。
紙には、任務中の無線ログの一部が印刷してあった。
黒瀬が「二番と替える」と言った箇所に、蛍光ペンが引いてある。
その横に、丸い字で一行だけ書いてあった。
――この人、私が誰かを聞く前に、何秒かを聞きました。




