確認できた三十分
常連隊のこぶは、発生の夜のうちに、印が付いていた。
捜索の要請は、その夜のうちに出ている。中継から地上へ、家族の電話を待たずに。段取りも、玲奈の卓でその晩に組まれた。
始まりは、遅れていない。直人は、それを先に、自分の中で確かめた。遅れたのは、始まりではなかった。
「捜索の段取り、こちらで組みました。中継は、材料集めをお願いします」
「材料、というと」
「戻ってきた隊の、見たこと聞いたこと全部です」
「圏外のことは」
「圏内に戻った人からしか、取れないので」
「集めます。――時刻の分かるものから、順に」
◇
遅れたのは、見つけることのほうだった。
常連隊は、行先を預けていた。人数も、装備も。預けていたから、どこを探せばいいかは、分かっていた。
預けていなかったのは、戻るつもりの時刻だけだ。縛られたくないと、笑って帰っていった、あの一事だけ。
出発の時刻は、白板にある。最終の通過も、控えにある。分からないのは、荒れが来たとき、三人が道のどこにいたか――行きの途中か、行った先か、もう帰りか。それを分けるあては、戻るつもりの時刻しかなく、それだけが、なかった。
探す場所は、預かった行先で分かっていた。探す範囲は、その道の全部になった。
行先があったから、探せた。時刻がなかったぶん、道の全部を探した。直人は、その二つを、別々の行に書いた。
真壁が、控えを覗いて、短く言った。
「時刻がありゃあ、もっと早かったか」
「分からないです。狭めるあてには、なりました。どれだけ狭まったかは、言えません」
「……あいつが時刻を書かなかったことは、書くなよ。範囲の話と、別だ」
「別にします。崩れた退路は、時刻では変わらないので」
◇
無線の届かない場所のことは、戻ってきた人たちから集めた。
分岐で擦れ違った隊が、時刻と、向きと、人数を覚えていた。
「何時ごろ、擦れ違いましたか」
「はっきりは。けど、うちが二分岐を抜けた直後だから、あの時刻です」
「向きは」
「帰る向きでした。三人、揃って」
三人が、帰る向きに動いていた。これが、いちばん確かな材料だった。識別も、向きも、ここで決まる。
市川が置いた誘導標の一つが、少し動いていた。誰が動かしたかは、分からない。分からないものは、補強にしか使わない。主役にはしない。
中継の控えに、最後の通過の時刻と、持っていった物資の目安が残っていた。乃木の隊が、帰り道で崩れた箇所の状態を、確認して戻ってきた。
圏外の時間を、圏内の材料で、少しずつ囲っていく。
無線の届かない場所で起きたことは、無線の届く場所まで戻った人の体にしか、残っていない。覚えていた時刻。擦れ違った向き。崩れていた箇所。一つずつは、小さい。小さいものを重ねると、見ていない時間の、外側の形だけが、うっすら分かる。中身は、分からないままだ。
◇
発見は、翌朝だった。
夜を越えて、朝。捜索の決まりの、内側の時間だ。
見つかった場所は、発生の初めに三人がいたと見られる所から、帰る向きへ、少しだけ進んだ先だった。退路の一つが、発生の初動で崩れていた。崩れた側へは、進めなかった。残った側を、三人は選んで、進んでいた。
柴田と、若いのの一人が、そこで力尽きていた。
もう一人――時刻くらい俺が書きますよ、と笑っていた、あの若いのだけが、まだ息があり、重い容体で搬送された。
回収と、搬送と、確認の手順を、直人は一つずつ控えに通した。誰が運び、どこで救護が受け、いつ確認されたか。事実の経路を、省かずに書いた。省けば、遺された人が、あとでその空白に苦しむ。
重い容体の一人は、担架で境界を越えた。搬送は、待たせなかった。待たせない形は、もう拠点の手が覚えている。覚えた形が、こういう日に効く。効いても、誇る気にはならなかった。
その日の夕方、帰還確認係が、縄の前に立った。
最後のこぶに手をかけ、いつもの手順で、人数を声に出す。三。解く前に見るはずの顔は、ここにない。それでも、三、と数えてから、こぶを解いた。
解いた縄を、その手はしばらく、放さなかった。
◇
直人は、何が三人を分けたのかを、書こうとして、やめた。
言い切れるだけの材料が、ない。同じ隊の三人が、同じ帰り道にいて、二人が亡くなり、一人が残った。その差を説明できる事実を、紙は持っていない。もっと早く見つかっていれば違ったのか。それも、確かめようがない。
書けるのは、留保だけだった。記録のあるなしが生き死にを分けたかどうかは、この紙からは判断できない。確認できるのは、ここに記した経緯まで――その一行を、綴りの先頭に置いた。
あの笑って帰っていった隊長を、申告しなかった人、として記録に残すことも、しなかった。
預けていたから、見つかった。見つけて、連れて帰ることが、二人には、間に合わなかった。二つの事実は、矛盾しない。並べて、両方、書いた。
◇
再構成した紙に、直人は見出しを付けなかった。
最後の三十分、とは呼ばない。最後が何時だったかを、誰も見ていない。
幅を閉じる時刻は、二つあった。
一つは、分岐の擦れ違い。帰る向きに三人、の目撃に、相手の隊の控えが時刻を添えた。もう一つは、初動の崩れ。あの揺れの始まりは、深部のいくつもの隊が体で覚えていて、卓の交話記録にも、輻輳の立ち上がりが時刻で残っている。
擦れ違いから、初動の崩れまで。間は、ほぼ三十分。
確認できた三十分、とだけ、鉛筆で小さく書いた。確かに言えるのは、二つの時刻に挟まれた、その幅だけだ。
真壁が、横から一言だけ添えた。
「三十分、と言い切るのか」
「確認できた、を付けます。言い切れるのは、そこだけなので」
「……そのほうが、いい」
「言い切らないほうが、ですか」
「知らんことまで知った顔をするのが、いちばん遺された者を苦しめる」
紙は、三つに分けた。確認できた事実は、線の内側に。確認できない事実は、空白のまま、空白と分かるように空けておく。玲奈の卓に残った、あの返事に換えた空白も、埋めずに、空白のまま写した。
三つ目は、問いだ。別の決め方をしていれば、結果は変わっていたのか。それは、この紙では決めない。審査の部署へ回す。返ってきた答えが何であれ、空白の隣に貼る。
◇
生還した一人の報せは、地上の救護から、折り返しで届いた。
「意識、戻りました。まだ山は越えていませんが、話はできます」
「ありがとうございます」
「事情は、いつ聞きに来ますか」
「こちらからは、行かないです。しばらくは」
「……いいんですか」
「代わりに、本人へ伝えてください」
「何と」
「話したくなったら、いつでも第七中継の直通へ。夜でも、受けます」
「伝えます。本人、何か言いたそうでしたが」
「言いたいことがあるなら、聞きます。今日でも。――決めるのは、本人で」
生還した一人の容体が、山を越えたのは、数日あとだった。
照合と引き渡しは、そこからさらに数日かけた。急がなかった。急いで渡す紙ではない。
確かな事実の紙と、空白の紙を、直人は分けて持っていった。全部が分かったふりをした一枚より、分かったところと分からないところを分けた二枚のほうが、長く遺された人を支える、と思ったからだ。
空白の紙には、空白の理由も書いた。ここは誰も見ていない。ここは無線が届かなかった。ここは、卓が返事を優先して、確認の重ねを省いた。省いた理由まで書けば、空白は、怠けた跡ではなく、選んだ跡になる。
◇
引き渡しの場は、一度きりの、短い場だった。
遺された人は、確認できた三十分の紙を、長いこと見ていた。擦れ違いの時刻。帰る向き。崩れた側を避けて、残った側を進んでいたこと。
それから、一つだけ、言った。
「――待ってたんじゃ、なかったんですね。戻ろうとしてたんですね」
直人は、はい、とだけ言った。
◇
数字は、全部、業務の綴りに載せた。
死亡が二。生還が一。発見までの時間。出動の起点。統計は、こういう日のためにある。載せない数字を作れば、次の検算が狂う。
載せなかったものは、一つだけだ。家族へ渡した再構成の紙を、自分の仕事の成果の欄には入れなかった。あれは成果ではない。確認できたことを、確認できた形で返しただけだ。
確認できた三十分の一枚は、綴りに残した。次に時刻を書かない隊が来たとき、背中に見せて脅すためではない。分かったことと分からないことを分ける書き方を、自分が忘れないためだった。
◇
中継点へ戻ると、真壁が、壁の三規則の下に立っていた。
チョークを持って、四行目を書き足そうとしている。三つの規則は、通路の規則だ。四行目は、まだ半分しか書かれていない。
直人は、声をかけなかった。書いている途中の字は、書き終わるまで、読まないほうがいい。




