三回、言います
三日目の朝は、復唱で始まった。
「水、二十。固形、十二箱。止血、八」
補給係の声に、市川の声が同じ数を返す。最後に帰還確認係が返して、三度目で数が確定し、荷が動き出す。
直人は寝台の壁越しに、回数を数えていた。朝の受け渡しは六件。復唱は全部、きっちり三回ずつだった。
六件の中身は、水と食いものと医療品、それから深部の二隊への届け物が二つ。
数だけが行き交う朝だ。規定がどこかに書いてあるわけではない。書いていないのに、守られている。
◇
受付の脇に、太い縄が横に張ってある。こぶが九つ。
「通過した隊の数です」
帰還確認係が言った。潜ったら結ぶ。戻ったら解く。残っているこぶが、いま深部にいる隊だ。
こぶは固く、濡れて光っていた。何年も同じ場所で結ばれ、解かれてきた縄らしい。
「九つのうち、一番古いこぶは、どれですか」
「……分からないです。結び目に、古いも新しいもないので」
夕方、戻りの隊が一つ入って、確認係がこぶを一つ解いた。
解く前に、隊長の顔を見る。人数を声に出して数える。それから解く。確認、という仕事の全部が、その手順に入っていた。
白板には、出発時刻だけが書いてある。板の端を、雨漏りの染みが覆っていた。
「染みは」
「月に一度、天井から雨の筋が来ます。そのたび、書き直します」
「消えた時刻は」
「覚えてる者が、書き直します」
板の控えまで、人の頭の中にあった。
◇
「録音機は、ないんですか」
設備係に聞くと、首だけで笑われた。
「電池は、灯りと無線のぶんしかないです。深く行くほど減りも早いんで、録音なんて真っ先に削られました」
無線機だけは、天井を這う有線で生きている。電気は、この拠点では配給品だった。
紙と鉛筆は、電池の要らない記録だ。それでも紙がないのは、電気の問題ではない。書く手を受付に置いておけるほど、人がいない。
◇
五日目の夜、直人は最初の発見を、紙ではなく頭の中に書いた。
——ここにも、記録はあった。紙じゃなかっただけだ。
復唱は写しで、結び紐は台帳で、白板は受付簿だった。
試しに数えてみる。受付で一件書けば、六秒。通路の復唱なら、呼吸一つ。六秒に流れの人数を掛けると、紙は高い。
走る人を一秒も止めない形だけが、生き残っている。消えたのではなく、選ばれた結果だった。
◇
六日目に、数が一つ合わなかった。
止血剤の箱。医療の棚が待っていたのは八。届いたのは七。
気づいたのは医療係だった。手当ての手を止めずに、首だけ受付へ向けて言った。
「八って言ったんだがな。昨日の夕方」
騒ぐ者はいない。確認が一周する。補給係は七で受けている。
「縄は」
「こぶは隊の数です。箱は数えないです」
「白板は」
「時刻だけです」
昨日の夕方に間を運んだ市川は、いま奥へ走っていて聞けない。
八と七の間が、どこにも残っていなかった。
◇
夜の定時交信で、直人は卓に頼んだ。
「昨日の補給要求の交話を、読み上げてもらえますか」
「あります。——十五時四分、第七中継発。水二十、固形十二、止血七」
「……発信が、七ですか」
「七です。言った言葉のまま残ってます。うちは、そういう決まりなので」
「助かりました」
「——第七中継。そちら、紙がないって本当なんですね」
「受付の中なら、少しあります。白板と、私の正の字です」
地上が積み間違えたのではない。こちらの要求が、無線に乗った時点で七だった。
◇
医療の口から出たのは八。無線口から出たのは七。
間を運んだのは、夕方の市川だった。そのとき彼は四件を並行して運んでいた。負傷の様子の報告。戻り予定が二件。それから、この補給要求。
受付の復唱は、二回目が省かれていた。省いても、誰も止めなかった。夕方は、受付も忙しい。
誰も責めなかった。真壁の一言だけがあった。
「三回が二回になるのは、忙しい日だ。忙しい日に限って、ズレる」
忙しい日、の中身は白板が知っていた。昨日の出発時刻は五つ。ふだんの倍だった。
市川は壁際で水を飲みながら、それを聞いていた。
夜、受付が空いてから、市川のほうが直人のところへ来た。
「……俺、七って言いました?」
「言ってます。二回目の復唱がなかっただけで、市川さんの数は通ってます」
「そうじゃなくて」
水筒を持った手が、所在なく下がった。
「八で預かったのか、七で預かったのか。俺、思い出せないんです。覚えてるのが仕事なのに」
水筒の中身を揺らす音だけが、しばらく続いて、それから付け足された。
「ガキの頃から、書かないで覚えるのだけは、誰にも負けなかったんです。それで伝令になったのに」
直人は、慰めを言わなかった。かわりに、昨日の夕方に彼が運んでいた四件を、順に挙げた。
「四件、並んでました。こぼれたのは一件の、一桁です」
「……数えてたんですか、そんなの」
「数えるのが、仕事なので」
市川は何か言いかけて、結局、水だけ飲んで戻っていった。
◇
数の出どころが分かったから、翌朝の便に一箱足すだけで済んだ。
分からなければ、市川が地上口まで確認に走るところだった。片道四十分の坂を、一往復。
夕方、市川が受付へ顔を出した。
「今日、一本少なかったんですけど」
「数が合ってたからです」
「……そうですか」
短く言って、走って戻った。礼ではない。ただ、昨日の夜の話を覚えてはいたらしい。
◇
七日目、直人は市川に頼んだ。
「明日一日、数えさせてもらえますか。市川さんが運んでるものを」
「荷物ですか」
「頭の中のほうです」
「……邪魔したら、置いてきますよ」
八日目。直人は走れる区間だけ付いて、残りは受け渡しの口で待った。
医療の前では、様子の報告を預かっていた。分岐では、どの枝を先に回るかを自分で決めていた。戻りの隊からは、言伝を三つまとめて受けていた。
分岐では、迷いが見えなかった。どの枝を先に回るか、聞かれる前に決まっている。決めた理由を聞くと、走りながらでは答えられない、と返ってきた。理由はあるが、言葉にする時間が惜しいらしい。
数えたのは、市川の口から出た項目だ。伝言。数。順番の指示。様子の報告。口に出なかったものは数えられない——そう但し書きを付けて、受付に戻るたび、線の内側で紙に正の字を足した。
夜までに、四十一件になった。
受付へ戻る最後の一本で、市川のほうから聞いてきた。
「……で、俺のそれ、多いんですか」
「比べる相手を、まだ数えてないです」
「数えたら、教えてください」
分けてみて、分かったことが一つある。
四十一件のうち、届けた時点で市川の手を離れる件が、二十九。
残りの十二件は、届けたあとも彼が持ち続ける件だった。補給の変更を次の便まで覚えておく。戻り予定の言い直しを、聞かれたらもう一度答える。再照会の受け口が、走っている本人しかいない。
同時に抱えるのは最大で四件でも、持ち続ける十二件は、夜まで減らない。
正の字の紙は、枕の下の手帳の、最初の頁に綴じた。三冊に、ようやく最初の仕事が来た。
◇
走る市川を待つ時間は、嫌いではなかった。
戦えなかった三年間、直人はゲートの前で、走る人たちを見ていた。見ていたことが仕事になったのは、そのあとの話だ。
市川の走りは、あのころ見ていた誰よりも迷いがない。
その頭に、届け終わったはずの情報が十二件、まだ住んでいる。数えるまで、外からは分からなかった。
◇
夜、白板の隅を借りて、直人は真壁に正の字の紙を見せた。
「届け終わったあとも、市川さんが持ち続けてる情報が、十二件あります」
「……昔から、ああだ」
「昔から、誰も数えなかっただけです」
「——数えて、どうしたい」
「まだ決めてないです。数えただけなので」
「数えた奴は、大抵その先を言うもんだがな」
「その先は、数えた相手と決めることにしてます」
真壁は白板の染みのほうへ目をやって、すぐには答えなかった。
返事は、翌朝まで来なかった。




