あなた、この仕事を辞めませんか
判定の日の朝、直人は地下二階に寄らなかった。
机は、前の日に空けてある。受け箱は、そのままにしてきた。柏木が朝から入る日で、受けるものには全部、受ける人がいる。
直人は、東堂の箱を抱えて、まっすぐ十七階へ上がった。十四年前の使用状況の調査が入った、あの箱だ。
中の頁は、昨日の夜に一枚だけ増やしてある。十四年前の紙と同じ寸法の紙を、探すのに少しかかった。
玄関の入館簿に、所属と用件を書いた。不採択担当として、判定の資料を持って上がるのは、今日が最後になる。
◇
資料は三部ある。直人が持って上がったのは、一の使用状況と、三の引継ぎだ。
二の洗い直しは、篠塚の名前で先に出ている。最後まで、そこには触れなかった。
説明に使ったのは、一の最後の頁だった。
様式A三一七 派生
登録済み 十四件/使用中 九件
対象案件なし 二件 ※停止と分けて数える
停止 三件 理由の記載二件/空欄一件
使用中の内訳 救難管制/災害対策室/提携医療機関/ゲート前装備検査所/
新人訓練課/装備課/登録課/救護待機所/教育課
(参考)十四年前 登録十一件。三年後に、使用中〇件
「九件目は」
「教育課です。先月の登録で、今月から記入があります。最初の記入は、新しい担当が回した件です」
「ゲート前の行は」
「若宮さんの滞留記録です。三段目が、装備課の当番表で動いてます。先月は、救護へ回る前に一件止まってます」
「対象案件なしを、停止から出した理由は」
「戻る部署を止まった部署として数えると、次の年の数字が読めなくなるので」
「空欄の一件は」
「埋められなかったです。空欄のまま、次の担当へ申し送ります」
「埋めなかった、ではなく」
「埋められなかった、です」
東堂は、その言い直しに何も足さず、頁を戻した。
◇
三の引継ぎは、頁が薄い。渡した物の一覧と、日付だけだ。
「渡せなかったものは、ありますか」
「一つありました。配る基準の外に出た件を、どう確かめるかです」
「渡らないままですか」
「基準は、同じものが渡ってます。確かめ方は、次の担当が自分で作りました。決められない件を室長へ上げる経路も、この頁にあります」
東堂は、柏木の名前の行を、指で押さえた。
「六年、開かれなかった側の人ですね」
「はい」
「その人が、開く側の席に座る。経緯も、この頁に入れておいてください」
「渡した中で、一番重いのは」
「判定不能の十四件です。今の資料では答えの出ない四件を、含みます」
「数える日は」
「要領に、年に一度と書きました。次の日付は、私の任期の外です」
◇
全部を読み終えてから、東堂は顔を上げた。頁をめくる手は、最後まで番号の順に一定だった。
「篠塚さんの綴りは、先に読みました。判定不能の二種類は、査定部の様式にも入れます」
「……査定部にも、ですか」
「書けない結論を、書ける欄に押し込む癖は、うちにもあるので」
東堂は、一と三の綴りを閉じて、重ねた。それから、閉じた紙の上に手を置いた。
「減ったことを、誰かが見つけました」
「はい」
「見つけて、君に聞かずに直しました」
「……はい」
「十四年前は、そこができませんでした。減ったことは数えました。戻すところまでは、できませんでした」
東堂は、資料を揃えて置いた。
「判定は、今日中に出します」
直人は、立つ前に、抱えてきた箱を机の脇へ置いた。
「お返しします」
「……増えてますね」
「理由の頁を、一枚だけ足しました。五つ目と、それが分かった日付です」
東堂は、蓋を開けなかった。開けないまま、箱の位置を少しだけ直した。
◇
地下二階へ戻ったのは、夕方だった。
受け箱は空で、処理済みの綴りが厚くなっていた。
若宮の月例が、いつもの数字の並びで綴じてある。付箋はない。面談の受付が二件、来週の枠に入っている。
その次に、定例の配置変更の写しが三枚あった。一枚目は治癒職の異動、三枚目は事務方の配置換えで、どちらも知らない名前だ。二枚目に、園田の名前があった。
配置変更 園田(索敵D) 第一層巡回班へ
経緯 装備更新済み・転換の再申請・採択 担当 装備課
受領の欄には、柏木の判子がある。処理は、昼のうちに終わっていた。
来週の面談二件の行には、もう見立ての封筒の番号が振ってある。
経緯の行には、直人の知らない日付が三つ並んでいる。どの日付にも、待った時間の説明が要らなかった。
同じ箱で、去年、死亡の表示を読んだ。
同じ形式の写しが、今日は配置変更を運んでいた。知らない二人の間に挟まれて、特別扱いの印は、どこにもない。
直人は、三枚を順番どおりに戻した。二枚目だけ長く持っていたことに、戻すときに気づいた。
◇
「判定、来てます」
宇野が、封筒ごと渡した。紙は一枚だった。
適性査定部 判定
件名 再配置支援室の常設について
仮承認を、本承認とする。
室長 宇野瑠衣 / 不採択担当 柏木悟
判断した者 東堂啓介
直人の名前は、そこにない。
「名前の欄、作りましょうか」
「要らないです」
「でしょうね」
「仮承認の紙は、どうしますか」
「綴りの中です。表紙裏に貼るのは、新しいほうなので」
宇野は、判定の紙を月次の綴りの表紙裏に貼った。
柏木は、自分の名前の行を一度読んで、それから受付簿の続きに戻った。
読む時間は、長くなかった。名前より先に、今日の受付が三件あった。
二枚目の調査票は、机の抽斗に入れたままだった。
第一希望の欄は、ゆうべ一度書いて、消してある。書き直す言葉が、まだ決まっていなかった。
◇
玲奈が来たのは、その日の卓が終わる時刻だった。
紙を一枚、机に置いた。古い紙だ。元の三段は、三卓の職員の字で書いてある。四段目だけ、玲奈の字だった。
「これ、どこにあったんですか」
「卓の綴りの、表紙裏です」
相馬直人
見るもの 誰に時間を使わないか
残す 使わないと決めた理由
使う 次に、誰に使うかを決めるのに
渡す ――
「一段、増えてます」
「増やしました」
「増やしていいんですか」
「増やした人が、増やした理由を書けば」
裏に、一行あった。
三段のままだと、作った人と一緒に終わるので。
「四段目、空欄です」
「今日のぶんが、まだ終わってないので」
◇
「相馬さん」
「はい」
「あなた、この仕事を辞めませんか」
直人は、顔を上げた。
「……理由を、聞いてもいいですか」
「渡す人が、もういるので」
机の上には、四段目の空欄がある。
「はい」
返事は、それだけで足りた。
玲奈は、四段目に一行書いた。渡した相手の名前と、今日の日付だった。
書き終えると、紙を置いたまま卓へ戻っていった。四段の紙は、机に残った。持ち主の名前の欄は、最初からない。
◇
直人は、抽斗から調査票を出した。
第一希望の欄に、今度は消さずに書いた。書き終えて、そのまま宇野に出した。
第一希望 記録を取っていない部署。部署名は問いません。
理由 取っていないところは、断った件も数えていないので。
「どこでも、って書く人、初めて見ました」
「どこでもいいわけじゃないです」
「では」
「まだ数えてないところが、いいです」
「理由の欄、これで査定部を通ると思いますか」
「通らなかったら、書き直します」
「でしょうね」
宇野は、受理の判を押して、控えを直人のほうへ滑らせた。
「行き先が決まったら、内部便をください。うちの月次に、一行載せるので」
◇
部屋には、柏木が残っていた。
椅子は、四年前からある二脚だ。
直人は、いつもと逆の側に座った。
「今日は、三時間ください」
「三時間ですか」
「はい」
「相談の内容を、先に一行もらえますか」
「次の配置の話です。第一希望が、少し変わってるので」
柏木は、受付簿に一行書いた。日付。受付番号。面談、三時間。
番号の欄に、次の番号が入った。列の上には、この一年に受けた申し込みが、同じ形で並んでいる。
「終わったら、記録に残します。判断した者の欄は、私です」
「お願いします」
「では、始めます。先に、私の見立てを書きます」
柏木は紙を一枚出して、こちらから見えないように伏せた。それから、記録のほうを開いた。
直人は、待った。
逆側の椅子からは、受け箱と、壁の月次が同じ高さに見えた。
頁をめくる音だけが、しばらく続いた。




