渡せなかったのは、面談じゃなかったです
決まりました、と宇野が言った。
差し出された紙は、人事部の回答だった。
考課要領の一部改定 承認
対象業務に、不採択に係る確認・記録・面談を追加する
適用は、四月一日から
「四月からですか」
「項目は、年度替わりでしか動かないです。そのかわり、決定は今日の日付です」
「四月までの間は」
「手当の側に、同じ扱いの行を付けます。決定に、経過の項があるので」
時間。手当。考課。
時間 週二日を、業務時間として確保
手当 確認補助の加算
考課 四月一日から、項目に入る
一年かけて、条件が三つとも紙になった。三つとも、日付がある。
「桑原さんの質問に、一年かかりました」
宇野は、紙を封筒へ戻しながら言った。
「その三年を、誰が持ちますか。あれの答えが、やっとこの三枚です」
◇
条件の写しを持って、最初に行ったのは桑原のところだった。
条件が出たら、もう一度来てください。一年前の言葉のとおりに、行った。
「一年前の質問の、答えを持ってきました」
部屋の奥では、若い職員が二人、壁の表を直していた。桑原の字の隣に、別の字が増えている。
桑原は、立ったまま最後まで読んだ。読み終えて、写しを揃えて返した。
「揃いましたね」
「揃いました」
「一年前にこれを見せられてたら、受けてたと思います」
「今は」
「今は、下に二人います。持ち場を替えると、その二人が止まるので」
桑原は、その場で断りを書いた。理由と、日付と、名前。
「書いた断りは、初めてです」
「もらう側も、初めてです」
断りの紙は、打診の欄の隣に綴じた。
◇
年度内にまた聞きます、と言っていた人には、写しを送った。返事は二日で来た。断り。理由は、今の持ち場の改修を年度末まで抱えている、だった。
打診の欄は、十一人になった。初回の理由で分けると、三つになる。
向いてないと思う 六
評価されない 三
相馬さんがやるほうが早い 二
向いてない、の六人には、それ以上聞いていない。理由と日付のある断りは、そこで閉じる。この一年、他部署に頼んできたのと同じ扱いだった。
条件が揃ったあとも、桑原ともう一人は、別の理由で断り直した。育てている二人と、年度末までの改修。同じ人でも、一年で断る理由は変わる。変わった理由も、初回の断りの横へ残した。
直人が読み返したのは、後ろの二人だった。
早い、は、一人で続ける形の別名だ。早い人がいる間だけ回る仕事は、その人が出た日に、仕事ごと止まる。
断りの十一枚は、そのまま引継ぎに入れることにした。断られた理由の一覧は、次に打診する人の地図になる。
◇
柏木への打診は、宇野の名義でやった。
条件の紙。業務の範囲。考課の適用日。三枚を、柏木は順に読んだ。
読む時間は、最初の依頼書のときより長かった。
「返事は、来週で構わないです」
「今日します」
その前に、と柏木は二つ確かめた。
「今の相棒と潜る日は、このまま残せますか」
「週二日の外は、こちらから触らないです。潜る組み方は、隊とあなたのものなので」
「もう一つ。断る担当が、断られた記録のある人で、いいんですか」
「記録は隠さずに、査定部へ経緯ごと出します。困る判定なら、向こうがそう書きます」
宇野の返事に、柏木はうなずいた。宇野のほうも、最後に一つ確かめた。
「義理で受けるなら、断ってください。義理は、三年持たないので」
「義理じゃないです。受けます」
直人も、一つだけ確かめた。
「やりたい仕事ですか」
「やりたいわけじゃないです」
「じゃあ、なぜですか」
「六年、誰も見てないのが普通だと思ってたので」
「今は」
「普通じゃないと分かったので、そこには戻りたくないです」
志望の欄に載る言葉ではなかった。直人は、そのまま写した。
◇
引継ぎの一覧を、二人で作った。
勤めは、週二日のままだ。だから、来ない日の形も先に決めた。
受付は三人。急ぎの仕分けは室長。決めるのは、柏木の来る日にまとめる。待てない件だけ、宇野の判断で動く。
渡せているもの 記録の照合/案の作成/断りの紙/追跡/数える紙
渡せていないもの
「面談、と書かないんですか」
「面談を担当する人は、育ちました。受付の三人も、判断した部署の側も」
「配るほうは」
「基準ごと、渡してます。本人の言葉を補う。生活の条件を確認する」
「それでも割れる件に、三時間」
「はい。いま言えたとおり、そこまでは渡ってます」
「では、何が残ってるんですか」
「基準の外に出る件です。欄は合ってるのに、本人の言葉と、処理の結果が噛み合わない」
「あるんですか、そういうの」
「年に、数件です。その数件で、どこへ確かめに行くかが、私の中にしかなかったです」
「勘、ですか」
「勘です。基準は渡せて、基準の外の勘だけが残りました」
直人は、空けていた欄に書いた。基準の外に出た件の、確かめ先の判断。
「そこは、渡してもらわなくて、いいです」
柏木が言った。
「基準は、同じものを使います」
「外に出た件は」
「先に見立てを書いて、本人と記録に確かめます。外れたら、直すので」
「一人で抱えない、が条件です」
「決められない件は、決められない、と書いて室長へ上げます。当番表と、同じ形です」
封筒は、机の三段目に入っている。外れの記録が二枚。どちらも、直した日付が隣に書いてある。
勘の代わりに柏木が持っているのは、外れを残す場所だった。
◇
新しい担当の、最初の一件は翌週に来た。
受付と振り分けは、支援室の三人がやる。不採択担当へ回るのは、二種類。根拠へ戻れない件と、理由の説明だけでは終わらず、次の対応先の整理が要る件だ。
二種類目は、先週、直人と柏木で振り分けの見本に足したばかりだった。
この申し込みは後のほうで、柏木に回った最初の一件だった。
補給部門の三十一歳。支援E、九年目。転換の申請が必須研修の未修了で不採択になり、面談を申し込んできた。
柏木は、先に自分の見立てを書いて伏せた。
見立て 落ちた理由に、納得していない人
それから記録と申請の写しを読み、読み終えてから伏せた紙を開いた。
申請の隅には、次に受ける研修の候補が、本人の字で三つ書いてあった。理由なら、もう分かっている人かもしれない。見立てとのズレは、そこにあった。
柏木は、決める前に電話を一本かけた。聞いたのは、一つだけだ。
「不採択の説明を、聞き直したいですか。それとも、次に受ける研修の相談ですか」
研修の相談です、と即答があり、そのあとに一言足されたという。説明は、通知で足りてます。
「三時間、使わないんですか」
「使わないです。本人に確かめました。聞きたいのは、落ちた理由じゃないです」
「では、何ですか」
「受け直しの道筋です。費用と、日程と、次の受付日。私が三時間聞いても、それは出てこないです」
柏木は、教育課の平川へつないだ。本人が申請に書いたものを、先に読んでもらった。
「私が三時間聞くより、書いたものを読んでもらったほうが早いです」
二日後、平川から内部便が来た。
面談三十分。本人持参の候補三つのうち、二つは次の期に受講可。
受付日と費用の一覧を渡した。以後は教育課で追う。
◇
「相馬さんなら、会ってましたか」
報告のあとで、柏木が聞いた。
「会ってたと思います」
「間違いでしたか」
「いえ。私はそう決めてきた、というだけです。あなたの決め方で、届くところに届きました」
「会わないで間違えたら、私の間違いです」
「はい。そこごと、引き受けてもらってます」
週明けに、教育課が一覧の三点を取りに来た。
月の終わりには、様式A三一七の派生が教育課の名前で登録された。十四件目だった。増やしたのは、こちらではない。
◇
最後に渡したのは、手順書ではなかった。手順書は、とっくに渡してある。
未処理の件 三件
例外の一覧 一枚
判定不能の十四件
停止理由が空欄の一件
「これ、毎月増えます」
「未処理の三件は」
「全部、返事待ちです。待つ相手と、次に動く日が書いてあります」
「減らすんですか」
「未処理は、減らしてください。数えてあるのは、そのためです」
「判定不能の十四件も、ですか」
「あれは、減らす紙じゃないです。新しい資料が出た件だけ、区切りを外してください」
柏木は、束の順番を入れ替えた。空欄の一件を、いちばん上にした。
「催促はしないです。ただ、いちばん見えるところに置きます」
「理由は」
「書いても返ってこないのが、どういうことか、知ってるので」
直人は、自分の置き方を言わなかった。月次の端に残してきた空欄は、置き方ごと、次の人のものになった。
◇
東堂へは、一行の報告を出した。
次の担当が決まりました。柏木悟。承諾の日付あり。
打診の欄の十二人目の行に、初めて、承諾、と入った。隣に日付がある。
一年前の調査票の、条件の欄が埋まった。
返事のかわりに、判定日の通知が来た。
一年後判定 十七階 午前
資料は要領のとおり。説明は、相馬直人。
日付は、二週間後だった。
「渡せなかったのは、面談じゃなかったです」
通知を綴じながら、直人は宇野に言った。
「何でしたか」
「基準の外に出た件を、どう確かめるかです」
「渡せましたか」
「渡すものじゃなかったです。基準は、同じものが渡ってます」
「確かめ方は」
「あの人が、自分で作りました。抱えない経路も、決めてあります」
任期は、あと二週間だった。




