判定できない、を置く場所
呼ばれた先は、十七階ではなかった。
篠塚の部屋は、三階の奥にある。洗い直しが始まってから、内部便の返事はいつも当日に来た。呼び出しも、当日だった。
入ると、机の左右が箱で三列に埋まっていた。背表紙には、年度と番号だけが書いてある。過去三年の重大事案の、原資料だった。
「資料の追加をお願いします。それと、相談が一つあります」
篠塚は、座ったまま番号を三つ読み上げ、追加の範囲を先に確定させた。
追加は、様式の版の記録だった。何年の何月に、どの欄が増えたか。判定の中身ではなく、紙の側の歴史だ。相談は、そのあとだった。
「先に言っておきます。判定には、関与させません。聞くのは、欄の作り方です。様式の親元なので」
◇
相談は、結論の欄の話だった。
「結論が書けない件が、十四件あります」
「保留には、しないんですか」
「保留は、期限のある言葉です。期限の日が来ると、その日に書ける結論から選ばれます」
「選ばれた結論は」
「大抵、嘘です」
「……見たことが、あるんですね」
「年を越した保留を、この箱で何枚も読みました。困るのは、次の年の人です」
仮置きの束が、机の真ん中に置かれた。
十四件は、全部別の件だ。共通するのは、今ある結論のどれを書いても正しくないことだけだった。
「去年、欄は一件では作らない、と言ったそうですね」
「言いました」
「十四件なら、作りますか」
「件数じゃないです」
「では、何ですか」
「去年の一件は、今ある欄で正しく閉じられました。この十四件は、どの欄に入れても、嘘になります」
「一件でも、嘘になるなら」
「作ります」
篠塚は、そこで初めてペンを置いた。
◇
十四件は、篠塚が分けた。
直人は判定の中身に触れない。番号と、書けない理由だけが読み上げられ、直人はそれを種類に分けて書き取るだけだ。
「名前は、読まないんですね」
「名前で呼ぶと、読む前に決まるので」
七件目は、救助の要請が二系統から同時に入り、記録が片方にしか残っていない件だった。審査があったかどうか、という過程そのものが、紙から分からない。
十一件目は、規定のとおりに動いて、間に合わなかった件だった。紙は全部揃っている。分からないのは、別の動き方なら間に合ったか、のほうだ。
十三件目だけ、篠塚は読み上げる前に間を置いた。
「記録が二つあって、中身が合わない件です。どちらが違うのか、両方違うのか、紙からは決められないです」
「合わない記録は、直せば次から確かめられる側です。一に入ります」
「矛盾も、一ですか」
「矛盾が見えている記録は、隠れている記録より、直しやすいので」
番号の下にある名前を、直人は最後まで知らないままだった。
分け終わると、書けない理由は二つしかなかった。
一 当時の事実や判断の過程を、記録から確定できない
二 別の判断であれば結果が変わったかが、判定できない
一が十件。記録の側の問題だ。取り方を直せば、次に起きる件からは確定できる。過去の十件の欠けた紙が、それで埋まるわけではない。
二が四件。こちらは、今ある資料と方法では、答えが出ない。
「一の形は、見たことがあります」
「どこでですか」
「訓練課の九件です。検討されたか確かめられない、という形でした」
「では、一はこれから減らせますね」
「新しく出る側は、減らせます。二は、今の資料では動かないです」
「今後も、ですか」
「それは書かないです。書けるのは、今回の調査をどこで区切るか、までなので」
◇
「二の置き場所ですが」
篠塚は、既存の欄の一覧を出した。
「原因不明、という欄なら、もうあります」
「原因不明は、調べれば分かるかもしれない、の箱です」
「二は」
「今ある資料を、調べ終えた件です。ここで区切る、と書いて置く箱です」
「同じ箱に入れると」
「区切りのない調べ物が、一つ増えます」
篠塚は、一覧に二行を足した。
判定不能・一 確定できないもの ―― 当時の事実・判断の過程
判定不能・二 判定できないもの ―― 別の判断による結果
「ラベルだけ増やすと、名前を替えた原因不明になります。何について判定できないかは、毎回書かせます」
書かせます、の主語は篠塚だ。直人は、二行を写すだけにした。
「十四件というのは、多いんですか」
「分からないです。前の年の綴りでは、こういう件は原因不明の欄に入ってました」
「今年は」
「入れられなくなりました。記録が、根拠へ戻れるようになったので」
「見えるようになった、ということですか」
「はい。書けない、が見えるのは、綴りが良くなったからです」
◇
「書く人の側の話も、一つ」
篠塚は、手元の番号を見ないで言った。
「原因不明に入れると、入れた人が、ずっと気にします。書いた本人が、一番覚えているので」
「……はい」
「相馬さん、二十九件目、まだ机に置いてますよね」
資料の受け渡しで、篠塚は二度、地下二階に来ている。
置いていた。判定の写しだ。結論の行に、比較不能、とある。本人の記録は保存箱へ移した。写しだけを、机の右の端に置いたままにしていた。
「毎朝、目に入る場所ですね」
「……入れてました。自分で」
「責めてないです。置き場所の話をしてます」
「置き場所が、なかったので」
「今日から、あります」
どちらの声も、事務の声だった。それで足りた。
篠塚は、自分の綴りの背を、指で一つ叩いた。
「私の綴りの二十九番に、同じ写しが入りました。あなたの机になくても、この件は、なくならないです」
直人は、すぐには返事をしなかった。返事のかわりに、要領の続きへ進んだ。
◇
「判定不能と書いた件は、年に一度、件数だけを数え直しませんか」
今度は、直人から言った。
「数え直して、どうしますか」
「増えたか、減ったかを見ます。ただ、保存している過去の件と、その年に新しく出た件は、分けます」
「分ける理由は」
「記録の直しの効き目は、新しく出る側にしか出ないので。混ぜると、直った年も直ってない年も、同じ数字に見えます」
「保存の側を数え続けるのは、何のためですか」
「忘れていないことが、紙で分かるためです」
篠塚が要領の文を書き、直人が数え方の行を足した。
年に一度、件数を数え直す。一と二、それぞれについて、
保存している件と、その年に新しく出た件を分けて書く。
新しい資料が出た件は、区切りを外して調べ直す。
「数え直すのは、誰ですか」
「不採択担当です」
篠塚は、書きかけた文を一箇所だけ直した。
数え直す者 相馬直人
↓
数え直す者 不採択担当(現任者を問わない)
「名前で書くと、あなたが抱えたまま持って出ることになるので」
直人は、矢印の下の行を写してから、綴じた。
「次の担当は、決まってるんですか」
「まだです」
「では、決まった人が、最初にこれを読むんですね」
「そうなります。名前の欄は、空けたまま綴じます」
◇
その日の終わりに、直人は机の右端の写しを、新しい綴りのいちばん後ろへ移した。
表紙には、判定不能・二、とだけ書いてある。
◇
週の半ばに、返事待ちだった一件から、止めた理由が届いた。
対象が月に一件を切ったため。当面は口頭で足りている。必要になれば戻す。
直人は、停止の欄に理由を写し、やめた理由の一覧にも一行足した。
処理する担当がいない。何のためか分からなくなった。その下に、対象が減った、が並ぶ。
止まり方には、直さなくていい止まり方もある。一覧に載って、初めてそれが分かる。
「戻る日は、書いてないですね」
宇野が言った。
「書いてないです。ただ、戻り方は書いてあります」
「空欄の一件とは、分けて読めますね」
「分けて読めます。止め方まで書いて止めた部署なので」
止まった三件のうち、二件に理由がある。空欄は、資材管理課の一件だけになった。
◇
同じ週に、訓練課からも一枚来た。名取の字だった。
残っていた七件の再確認、終わりました。これで九件、全部です。
順位の変更は、ありませんでした。九件とも、当てた根拠は記録に戻してあります。
時間が出たら、は一度も使いませんでした。
月に一件、五回。その五回目が今月で、書いたとおりの日付で終わっていた。
順位は一つも動かなかった。ただ、動かなかった理由を、九人ぶん紙で言えるようになった。それが、去年との差だった。
◇
月次を締めると、使用中は八件のままだった。
増えも減りもしない月は、この一年で初めてだった。動かない数字を、動かない、と書いて締めた。
任期は、あと二ヶ月だった。
机の右端は、空いたままにしてある。
朝、そこを一度見る癖は、まだ残っていた。




