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役に立たなかった能力

 誰も、助かったとは言わなかった。


 三人は、組み替えが終わる三分前に旧採掘跡へ入っていた。三班の二人が先に着いて、そのまま五人で広い空洞に留まった。壁が動き終わるまで動かない、という判断だった。旧採掘跡は組み替えの対象外だと、隣の管制官が教えてくれた。


 だから三人は助かった。


 そして、通路の形が全部変わった。


     ◇


 モニタの灰色の点は、同じ場所に残っていた。


 判定を保留されたまま、そこに置かれている点。

 その周りの通路は、もうさっきまでの通路ではない。


「四人目、経歴」


 片桐が聞いた。


「若宮蓮。十九歳。登録は先月です」

「加入は」

「今朝、佐倉のパーティに加入届が出てます」


 昨日、直人の端末で見た名前だった。

 読んだだけで、何ひとつ知らない名前。それが今、部屋じゅうで読み上げられている。


 片桐は返事をしなかった。かわりに壁の時計を見た。


 救難の締め切りは、二十四時間。

 残り、二十二時間と少し。


 時間はある。

 時間はあるのに、探す場所がない。


「三班、灰点の半径十で掃く。二班は上から」

「了解」


     ◇


 三十分が過ぎた。


 該当なし、という報告が四回入った。

 玲奈は、渡された席に座ったまま、通信を聞いていた。


 佐倉の声は、さっきから同じことを繰り返している。


「だから、あいつは俺の後ろにいた。落ちてきたとき、後ろにいたんだ」


 三度目だった。


 玲奈は、その言い方を知っていた。

 佐倉が同じ内容を三度言うのは、自分を疑っていないときではない。疑わないことにしているときだ。


「……あの」


 声が出ていた。

 片桐がこちらを見る。玲奈は、続けるしかなくなった。


「佐倉さんは、呼ばれない限り、後ろを見ません」

「は?」

「三年間、一度もです。前を見ろって、いつも言ってました」


 昨日、玲奈が叫んだときは振り向いた。

 叫ばなければ、振り向かなかった。


「若宮さん、叫びましたか」


 誰も答えなかった。答えられるはずがない。

 部屋の温度が、下がった気がした。


「だから『後ろにいた』は、見て言ってるんじゃないと思います。そこにいるはずだ、って言ってるだけで」


 片桐は、しばらく黙っていた。


「……つないでいいぞ。あんたが聞け」


     ◇


 ヘッドセットの向こうが、静かになった。


「中村さん、いますか」


 息を吸う音がした。


「……水瀬?」

「はい」

「なんで」

「見学です」


 自分でも、変な答えだと思った。


「中村さん。若宮さんに、最後になんて言いました?」


 通信が途切れた。雑音だけが流れる。


「……俺の後ろ、離れるなって」


 玲奈は、モニタの階層図を右端から引き寄せた。


「じゃあ、若宮さんは中村さんの後ろです」


 言ってから、付け足した。


「……若宮さんが、言うことを聞く人なら」


 自分でも、頼りない言い方だと思った。

 でも、それ以上のことは言えない。玲奈は、あの人を知らない。


「中村さん、途中で立ち止まりましたよね」

「なんで」

「鐘が鳴ったからです。中村さん、あの音が鳴ると必ず一回止まります。三年間、全部です」


 返事はなかった。


「止まったあと、若宮さんの声か、足音は」

「……ない」

「一度も?」

「一度も」


 通信の向こうで、誰かが息を吸った。三田村の声だった。


「止まった。止まったよ、こいつ」


 玲奈は、指を階層図に置いた。


「中村さんが止まったのは、鐘の一回目です。若宮さんは、そこより手前にいます」

「どのくらい手前だ」


 片桐が聞いた。


「分かりません」


 玲奈は、正直に言った。


「歩く速さも、間の空け方も、知らないので。でも、前ではないです」


 片桐が椅子を回した。


「鐘の一回目はどこだ」

「東区画の入口です」


 若い管制官が階層図を叩いた。


「灰点から、二十メートル手前」

「掃いてません。半径十の外です」


 片桐は、二秒だけ天井を見た。


「三班、戻れ。東区画入口から手前、半径十で潰せ」


     ◇


 発見の報告は、十四分後だった。


 瓦礫の下ではなかった。落ちてきた壁と壁の間に、人一人ぶんの隙間ができていた。若宮蓮は、そこで意識を失っていた。

 脈あり。呼吸あり。左腕骨折。


 部屋の誰も、声を上げなかった。

 搬送の手配、医療班への連絡、経路の確保。誰かが数字を読み上げ、誰かが復唱する。来たときと同じ音に戻っただけだった。


 玲奈は、椅子から動けなかった。


 嬉しい、とは違った。

 膝から下の感覚がなくて、手のひらだけが熱い。三年間ダンジョンを走って、こんなふうになったことはなかった。


 隣の管制官が、ヘッドセットを外しながら言った。


「初日でこれかよ」

「あ、いえ、私、研修まだ」

「知ってる」


 その人は、もう次の卓へ歩いていた。


     ◇


 搬送口は、上と下でまるで違う場所だった。


 地上の帰還ゲート前。担架が三つ並んで、瓦礫の搬出と搬送が同じ動線でぶつかっている。誰かが怒鳴り、誰かが機材を落とし、投光器を積んだ台車が通れずに止まっていた。


「水瀬。下行って、搬送口の整理手伝え」


 片桐にそう言われて、玲奈は走った。


 現場は煙っていた。ダンジョンから上がってくる粉塵が、照明の光に浮いている。担架を運ぶ隊員が、通っていい場所と危ない場所の区別がつかずに一度止まった。


 玲奈は、考える前に手を上げていた。


 赤を、崩れかけた資材の前へ。

 青を、担架が通る線に。

 白を、まだ中に人がいる搬出口の真上へ。


 小さな光が三つ、粉塵の中に浮いた。


「赤は入らないでください。青が退路です。白のところ、まだ人がいます」


 声は震えていたが、通った。

 担架が動き出した。


「おい、そこ! 青を一個くれ!」

「はい!」


 玲奈は青を消して、言われた場所へ置き直した。


 三つしか置けない。だから消して、置いて、また消す。

 その間に、台車の投光器が起こされた。玲奈の《灯標》の何倍も明るい光が、搬送口を全部照らした。


 ――そうだよね、と思った。


 これで十分だ。自分の灯りは、もう要らない。

 ホームセンターで売っている。誰でも買える。三年前から知っていたことだ。


 それでも、投光器が起きるまでの四十秒だけは、あったほうがよかったと思う。

 その四十秒に、担架が二つ通った。


     ◇


 佐倉が担架で運ばれてきたのは、その少しあとだった。


 左足を固定されている。玲奈が見た通りの場所だった。


 目が合った。


「……なんでお前がいるんだよ」

「見学です」

「見学」


 佐倉は天井を見た。それから、思い出したように言った。


「中村から聞いた。お前が言ったんだってな」


 玲奈は、何と返せばいいのか分からなかった。


「戦闘に向いてないって判断は、間違ってなかった」


 佐倉は、こちらを見ずに言った。


「……はい」

「でも、それでお前を役立たずだと思ったのは、間違ってた」


 玲奈は、うつむいた。


 担架が動き出す。すれ違いざまに、佐倉の目が地面の青い光を捉えた。


「……お前、それ」

「はい」


 佐倉は、何か言いかけて、口を閉じた。


 便利だな、と言おうとしたのだと思う。

 言わずに行ったのは、たぶん、その言葉を昨日使ってしまったからだ。


     ◇


 本部が畳まれ始めたのは、十九時を過ぎてからだった。


 片桐が、紙を一枚持って玲奈のところへ来た。


「過去五年、同種の事故が十九件ある」

「はい」

「層替わり中の通路閉鎖、孤立四名以上。生還率の平均は六割ちょっとだ」


 玲奈は、その数字を口の中で繰り返した。

 四人なら、二人か、三人。


「今日は四人。四人だ」


 片桐は紙を折りたたんだ。


「今日で二十件目だ。全員帰ってきたのは、これで三件目になる」


 それから、少し離れた場所に立っている直人のほうを見た。


「あいつ、去年もうちに来たよ」

「え」

「間に合わなかった事故のあと。三日かけて、なんで間に合わなかったのか全部読んでいった。誰にも頼まれてない」


 片桐は、それだけ言って行った。


 玲奈は、直人を見た。

 彼は本部の隅で、備品の返却票に何か書いていた。数字を確かめて、ペンを持ち替えて、また確かめている。


「相馬さん」

「はい」

「去年の事故のこと、片桐さんから聞きました」

「はい」

「なんで、三日もかけて読んだんですか」


 直人は、返却票の欄を一つ埋めてから答えた。


「同じ理由で二回目があると、困るので」

「……困る、ですか」

「はい」


 玲奈は、その言い方を覚えておこうと思った。

 悲しいとも、悔しいとも言わなかった。困る、と言った。


「あと、一個いいですか」

「はい」

「あのとき、『探索者』じゃなくて『冒険者』って言いましたよね」


 直人は、返却票から顔を上げた。


「……言いましたっけ」


 少し考えて、それからまた数字に戻った。


     ◇


 翌日の朝、玲奈は地下二階へ書類を出しに行った。


 廊下の蛍光灯は、まだ切れたままだった。


 再配置支援室のドアの前に、人が立っていた。

 玲奈と同じくらいの年の男が、封筒を持ったまま、ノックをするかどうか迷っている。


 昨日の自分と、同じ立ち方をしていた。


 目が合うと、彼は言った。


「あの、ここって……仕事、変えられるって聞いて」


 玲奈は、ドアのほうを見た。

 中で、椅子が動く音がした。


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