表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/15

見習いは黙ってろ

 管理棟の階段を、二段飛ばしで上がった。


 新宿第二ダンジョンの屋上で、赤い回転灯が四つとも回っている。近くで見ると、あれは音がする。

 三年間で、回っているところを見たのは二度だけだった。

 今日が、三度目だ。


     ◇


 現地救助本部は、管理棟の二階だった。


 中に入ると、思っていたより静かだった。


 怒鳴っている人は一人もいない。二十人ほどが、それぞれの卓で低い声を出している。誰かが数字を読み上げ、誰かがそれを復唱する。それだけが規則正しく続いていた。


 壁一面のモニタに、第四層の断面図が出ている。

 赤い線が何本か走っていた。閉鎖された通路だ。

 その内側に、灰色の点がひとつだけ光っている。


「灰色って」


 玲奈は、小さい声で聞いた。


「最終確認地点です」


 直人も、同じくらいの声で答えた。


「生きてるとも死んでるとも判定しない印です。ビーコンが返らなくなった場所に、そのまま置かれます」


 空調が効きすぎていて、汗が急に冷たくなる。

 三年間、玲奈はこの建物の下にいた。上にこんな部屋があることを、考えたこともなかった。


「相馬さん」


 入口の脇にいた男が振り返った。四十代半ば。作業ベストの背中に「現地管制」とある。


「片桐さん。お疲れさまです」

「なんであんたがいるの」

「近くにいたので」

「近くって、あんたの部屋、地下二階だろ」


 言いながら、片桐の視線が玲奈へ移った。


「そっちは」

「水瀬玲奈さんです。来週から救難管制の研修に入ります」

「来週?」

「来週です」

「じゃあ今週は部外者だな」


 片桐はそれ以上何も言わず、モニタへ戻った。

 玲奈は、壁際に立った。


     ◇


 状況は、簡単ではなかった。


 第四層の東区画で、層替わりの最中に通路が閉鎖。パーティ一組が内側に取り残された。

 層替わりの最中は、壁の材質のせいで通信もビーコンも通らない。最後に位置が返ってきたのは、二十六分前。


「組み替え完了まで」

「二十二分です」


 若い管制官が答えた。片桐は断面図を見上げたまま言う。


「東区画から出られる経路は」

「三本。A、B、C」


 モニタに三本の線が引かれた。


 Aは旧昇降坑。距離は最短だが、一度戻る形になる。

 Bは中央通路。協会が指定している標準退避経路。途中に七メートルの梯子。

 Cは西へ回って旧採掘跡を抜ける道。いちばん遠い。


「Bだ」


 片桐が言った。


「通信途絶時は指定退避経路へ向かう。訓練でそう教えてる」

「二班、Bへ」


 断面図に、青い点が生まれた。投入された班を示す色だと、隣の管制官の手元を見て分かった。


 誰も異論を出さなかった。

 正しい判断だからだ。


     ◇


 玲奈は、モニタのBの線を見ていた。


 七メートルの梯子。


 昨日の午後、佐倉はずっと左足をかばっていた。玲奈を引き倒したときに体重を乗せ直したのも、その左足だ。

 梯子は、片足に全部の体重を預けて降りる。


 言うべきだ、と思った。

 同時に、言えるわけがない、とも思った。


 ここにいる二十人は全員、資格を持ってこの部屋にいる。玲奈は昨日クビになったE級で、研修は来週からで、書類はまだ出ていない。

 誰かの命について口を開く権利が、一つも揃っていない。


 それに、もし外れたら。


 ――佐倉さん、と叫んだときも、考えてから叫んだわけではなかった。


「……たぶん、Bじゃないです」


 部屋の声が、少し減った。


 片桐が振り返った。怒っている顔ではなかった。それがかえって怖かった。


「今、何か言った?」

「あ、いえ、その」

「言ったよな」


 玲奈は、モニタを指した。指先が震えているのが自分で分かる。


「Bに、梯子があるので。佐倉さん、昨日、左足を痛めてます。だから」

「診断は」

「え」

「受傷の記録は。協会に上がってるのか」

「……上がってない、です」

「本人の申告は」

「してない、と思います」


 片桐は、玲奈をまっすぐ見た。


「E級の見習いは黙ってろ。ここは人が死ぬ現場だ」


 言葉に、悪意はなかった。

 声を荒げてもいない。玲奈を見下してもいない。


 だから、何も言い返せなかった。


 診断記録がない。本人の申告もない。

 あるのは、昨日の玲奈が見たというだけの話だ。

 それを根拠に二十人を動かしたら、動かした人が責任を取ることになる。


 片桐は正しい。

 協会の手順も正しい。玲奈が三年間かけて教わってきたことも、全部正しい。


 正しいものだけで組み立てた部屋の中で、玲奈の三年間だけが、どこにも置き場がなかった。


     ◇


「片桐さん」


 直人が、壁際から一歩出た。


 片桐が振り向く。玲奈は、直人の声が今までと同じ調子なのに驚いた。この部屋で、この人だけが昨日と同じ話し方をしている。


「信じてくれとは言ってません」

「じゃあ何だ」

「照合の結果を、見てもらえませんか」


 直人は端末を出して、片桐の卓に置いた。


「水瀬玲奈の同行日報三年分と、協会の負傷記録を突き合わせました。彼女が日報の余白に負傷の予兆を書いた件数が、十四件」


 片桐の視線が、画面へ落ちる。


「そのうち十一件が、三日以内に実際の負傷として協会に記録されています」


 部屋の若い管制官が、手を止めてこちらを見た。


 玲奈は、直人の横顔を見ていた。


 この人は昨日、五百十二枚を読んだと言った。

 読んだだけではなかった。読んだものを、協会の記録と一枚ずつ突き合わせていた。

 自分の三年間が、誰かの手で数えられていたことを、玲奈は今初めて知った。


「もう一件」


 直人は続けた。


「佐倉隼人のパーティが、通信途絶下で退避経路を選択した記録が七件あります。うち五件が、指定経路以外です」


 片桐は、画面を二度スクロールした。


「……これ、いつ作った」

「昨夜、読みながら印をつけた箇所を、今朝システムで照合しました」

「照合、システムでできんの」

「負傷記録の検索はできます。三年分で四十分くらいです」

「なんで作った」

「再配置の評価に要るので」


 片桐は、鼻から息を吐いた。


「……普通、日報の余白なんか検証しないぞ」

「検証できる形で書いてあったので」


「あんた、そういうとこだよ」


 それから、片桐は玲奈のほうを向いた。


「水瀬」

「は、はい」

「どこだ」

「……Cです」

「理由。二つ以上」


 玲奈は、唾を飲んだ。


「一つは、梯子です。左足をかばってる人は、梯子で下りるとき片足に全部乗せます。佐倉さんはたぶん、下りられると言って下りると思います。でも、そのあと必ず遅れます」

「二つ目」

「三田村さんです」

「回復役だろ。それが」

「三田村さん、怪我人が出たら、必ず平らなところまで運んでから処置します。走りながらは絶対にやりません。危ないからって」

「それで」

「佐倉さんは、三田村さんが処置を始めたら、急かさないです。終わるまで待ちます。三年間、そこだけは一度も崩さなかったので」


 玲奈は、モニタのCを指した。


「層替わりに巻き込まれてるので、たぶん誰か怪我をしてます。だったら佐倉さんは、処置できる場所を通る道を選びます」


 指を、Aへ、Bへ、順に移した。


「Aは戻る道です。Bは梯子です。広くて平らなところがあるのは、Cだけです」


 片桐は、モニタのCを見ていた。


「外れたらどうする」


 少ししてから、そう聞いた。


 玲奈は、答えるまでに三秒かかった。


「……外れます」

「は?」

「四人目の人のこと、私、何も知らないので」


 自分の声が、思ったより落ち着いていた。


「あの人がどう考えるか、分かりません。あの人が別の道を主張したら、佐倉さんはたぶんそっちを選びます。だから、絶対じゃないです」


 部屋が、静かになった。


 片桐は、玲奈を五秒くらい見ていた。

 それから卓に向き直った。


「二班はBのまま。三班、Cへ回せ」

「三班、二人しかいません」

「二人でいい。旧採掘跡まで走らせろ」


     ◇


 時計が、十九分を切った。


 玲奈は、壁際で立ったままだった。手のひらが汗で濡れている。

 自分が今、何を賭けたのか、まだ実感が追いつかない。


「水瀬」


 片桐が、こちらを見ずに言った。


「そこ、座れ」

「……え」

「立ってると邪魔だ。座って、通信聞いてろ。二班と三班、両方」


 玲奈は、空いていた椅子に座った。

 ヘッドセットを渡された。耳が、雑音でいっぱいになる。


 直人は、壁際に戻っていた。

 誰にも見られていない場所で、端末に何か書き込んでいる。玲奈がここへ来てから、彼が卓に近づいたのは、あの一回きりだった。


     ◇


 十五分。


 二班が梯子の上に着いた。下は瓦礫で埋まっていて、降りても進めないと報告が入る。

 片桐は「そのまま待機」とだけ言った。誰も、玲奈のほうを見なかった。


 九分。


 三班の呼吸が荒くなっている。走っているからだ。

 二人のうち片方が、通信のたびに語尾を落としていた。玲奈は無意識に、そちらの隊員番号を紙の端に書いた。書いてから、自分が何をしているのか分からなくなって、手を止めた。


 紙は、片桐の卓の隅にあったメモ用紙だった。


 三分。


 誰も、何も言わなくなった。時計だけが減っていく。


     ◇


 ゼロ。


 雑音の質が変わった。壁が動き終わったのだと、隣の管制官が言った。


 ヘッドセットの奥から、音が返ってくる。


「――誰か、聞こえるか」


 聞き覚えのある声だった。

 玲奈は、椅子から腰が浮きかけた。


 本部の全員が、同時にモニタを見る。


「佐倉隼人、生存を確認。位置は――」


 誰かが声を上げかけて、止まった。


 佐倉の声が、続けて言った。


「三人だ」


 雑音が一度、大きくなった。


「一人、いない」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ