人を帰す仕事
「先に、断っておきます」
エレベーターのボタンを押しながら、直人が言った。
「救難管制は、人気のない部署です」
「……そう、なんですか」
「探索者の花形は前線ですから」
箱が上がっていく。表示は地下二階から一階へ。
「管制は地上にいて、画面を見て、指示を出すだけです。倒した数も、潜った階層も、記録には残りません」
「お給料は」
「探索者の平均より低いです」
即答だった。玲奈は思わず笑ってしまった。
「隠さないんですね」
「隠しても、入ってから分かるので」
◇
「あの。救難管制って、具体的には何をするんですか」
「事故が起きたときに、地上から救助隊へ指示を出します」
「指示、って」
「誰がどこにいるか。どの順番で、どのルートで出すか。決めるのは管制です」
ロビーは人が多い。玲奈は半歩遅れてついていった。
「地図を見て決める、ってことですか」
「昨日の地図は使えません」
「え」
「層替わりがあるので」
自動ドアが開いた。八月の熱が、まとめて入ってくる。
通りの先に、新宿第二ダンジョンの管理棟が見える。
白い箱みたいな建物で、屋上に赤い回転灯が四つ。事故が出るとあれが回る。
三年間、玲奈はあの下をくぐって降りていた。回っているところは、二回しか見たことがない。
「第三層から下は、三時間ごとに通路の形が変わります」
「はい」
「壁が降りてきて、組み替わる。理由は誰も知りません。十四年経っても止められない」
「じゃあ、地図って」
「三時間だけ正しい地図です」
「もうひとつ。二十四時間の話は、知ってますよね」
直人は歩道の手前で足を止めた。
「……はい。中で死んだ人は、二十四時間で層に取り込まれる、って」
「遺体も、装備も、指輪ひとつ残りません」
「登録のときに、習いました」
信号が青になった。直人は歩き出す。
「救難側だと、その二十四時間は締め切りです」
「締め切り」
「越えた時点で、捜索対象から外します。書類上は行方不明に切り替わって、以降は捜索しません」
玲奈は、足が止まりかけた。
知っている話だった。
三年間、当たり前の知識として持っていた。
持っていただけで、それが誰かの仕事の締め切りだとは、考えたことがなかった。
◇
支援室を出たとき、もう正午を過ぎていた。
面談は三時間近くかかっていた。直人はその間、一度も時計を見なかった。
訓練棟までは、歩いて七分だった。
直人はその七分、一言も話さなかった。
こういう時、何か言ったほうがいいのかどうか、玲奈には分からない。
「水瀬さん」
急に呼ばれて、背筋が伸びた。
「はい!」
「なんで探索者になったんですか」
「え」
「六年前の申請書、志望動機が一行しかなかったので。あれだけだと、分からないです」
玲奈は、少し迷ってから答えた。
「……人を、助けたかったんです」
言った直後に、耳が熱くなった。
「あ、でも、三年やって、一人も助けられてないんですけど。だから、その、今さらこんなこと言うのも」
「じゃあ、方法が間違ってただけですね」
直人は前を向いたまま言った。
玲奈は、二歩遅れてついていった。
◇
救難管制の実習室は、訓練棟の三階にあった。
部屋に入ると、女性が一人、椅子の背に体を預けてモニタを見ていた。四十手前くらい。ジャージの上に職員証を提げている。
「相馬」
「お疲れさまです」
「あんた、また変なの連れてきたな」
「変ではないです」
「変じゃないやつをここに連れてくる人がいるかよ」
名札に、篠塚とあった。
「三年前に寄越した子、どうしてます」
「三年目」
「そうですか」
「辞めてないよ。あんたが寄越したの、まだ一人も辞めてない」
「五人ですけど」
「五人で全員残ってりゃ大したもんだよ。うち、半分辞めるから」
直人は、興味がなさそうにうなずいた。
玲奈だけが、その言葉の意味を考えていた。
「じゃ、始めるよ。座って」
管制卓は、モニタが五枚。
左から、隊員の位置。生体反応。通信ログ。階層図。時計。
「模擬事故。第三層で崩落。生存反応は三つ。制限時間十分。誰をどの順で、どこから出すか指示して」
「あの、私、まだ何も教わって」
「教わってからやったら適性検査にならないだろ」
時計が動き出した。
玲奈は、まず階層図を見た。
崩落地点。周囲の通路。魔物の反応が二つ。
どこから来るか。どこを塞げば止められるか。安全なルートはどこか。
考えているうちに、数字が減っていった。
「はい、終了」
篠塚が椅子を回した。
「全滅。救出ゼロ」
「……え」
「あんた、十分間ずっと魔物の位置しか見てなかったよ」
玲奈は、口を開けたままモニタを見ていた。
通信ログは、一度も開いていなかった。
三年間ずっと、そうやってきた。
どこから来るか。どこへ逃げるか。誰の後ろに立てば邪魔にならないか。
戦えない者が生き延びるには、それしかなかった。
その癖が、十分間まるごと持っていった。
膝の上で、手が汗をかいている。
「もう一回」
「……え」
「一発目は癖を見る。二発目は、癖を捨てられるかを見る。うちの試験はそういう作りなの」
篠塚は椅子を回して、壁際の直人を見た。
「相馬。なんか言うなら今のうちだよ」
「いいんですか」
「言わないと帰らないだろ、あんた」
直人は、玲奈の椅子の後ろまで来た。
「水瀬さん」
「……はい」
「敵じゃなくて、人を見てください」
◇
二回目。条件は同じだと篠塚は言った。
玲奈は、階層図を右端のモニタへ寄せた。
真ん中に、通信ログを開く。
消すわけにはいかない。魔物も、崩落も、次の層替わりも、見ていないと人は出せない。
ただ、真ん中に置くものを変える。
文字が流れていく。定型の報告と、短い返事と、雑音の表記。
目で追うのをやめて、しゃべっている人を想像した。
佐倉のときと同じだ。中身ではなく、言い方を見る。
一番。隊長。報告が正確で、装備残量まで数字で言っている。落ち着いている人だ。
二番。「大丈夫です」が三回。
一回目と二回目は四分空いていて、二回目と三回目は五十秒しか空いていない。
それに、隊長に名前を呼ばれてから返事までが、毎回遅れている。
最初は一秒。最後は四秒。
三番。装備残量の申告が「半分くらい」。
同じ人が、五分前までは「六割」と数字で答えている。
報告そのものも短くなっていた。三語だったものが、二語になっている。
玲奈は、そこで手を止めた。
――先に行かせました。
二番の発言だ。二十四分前。
指でログを戻す。崩落の発生が、二十八分前。
崩落の、あとだ。
「あの」
「なに」
「四人目って、どこにいるんですか」
篠塚が、キーボードから手を離した。
「四人目はいないよ。生存反応は三つ」
「入坑記録は四人です」
「ビーコンが切れてる。三十四分前に。離脱したか、死んでる。システムはそう判定してる」
玲奈は、モニタの端の時刻をもう一度見た。
「……でも、二番の人が『先に行かせました』って言ったの、崩落の四分あとです」
「だから」
「ビーコンが切れたのは、その十分前で」
言いながら、声が小さくなっていく。
自分がとんでもない勘違いをしている気がしてくる。
「ビーコンが切れたあとも、二番の人は四人目と一緒にいたことになります。だから、離脱してないと思います。壊れただけで」
卓の音が、ひとつずつ止まっていった。
篠塚は、しばらく玲奈を見ていた。
それから椅子ごと直人のほうを向いた。
「相馬」
「はい」
「今年、これに気づいたの三人目だよ」
「そうですか」
「四十七人受けてんの。みんな優秀だよ。ただ、システムが切ったやつを拾いに戻る管制官は、まあ、少ない」
直人は、うなずいただけだった。
「で。順番は」
篠塚がこちらに向き直る。玲奈は慌ててモニタに戻った。
「三番の人を、先に出したいです」
「理由」
「五分前まで『六割』って数字で答えてた人が、『半分くらい』に変わってます。報告もだんだん短くなってて。自分の状態を確認する余裕が、なくなってきてるんだと思います」
「二番は」
「二番の人は……本人の申告だけで、後回しにしないでほしいです」
「言い切らないんだ」
「言い切れないので」
玲奈は、モニタを見たまま続けた。
「大丈夫ですって言う間隔が短くなってて、返事も遅れてます。最初は一秒で、最後は四秒。痛いのを我慢してる人は、たぶんこうなるので。でも、通信が悪いだけかもしれないです」
「ルートは」
「三番の人は、西側の通路から出したいです。遠いですけど、段差がないので」
「二番は」
「一番の人と一緒に、東へ。魔物の反応が近いですけど、一番の人なら、近づかれても正確に報告できると思います。二番の人を一人で歩かせるより、そっちのほうが安全です」
篠塚は、モニタを二秒見た。
それから、玲奈の席からは見えない位置のウィンドウを開いた。
「肋骨、二本」
「え」
「二番の設定。折れてる。最後まで自分から言わない設定になってる」
篠塚が椅子を回した。
「合格」
「え」
「研修は来週から。書類は相馬に出して」
「あ、はい! ありがとうございま――」
言い終わる前に、篠塚はもうモニタに向き直っていた。
◇
廊下に出てから、玲奈はようやく息を吐いた。
手が震えている。
「あの、相馬さん」
「はい」
「私、合格でした」
「聞いてました」
「……はい」
言いたいことは他にあったのに、うまく出てこなかった。
直人の端末が鳴った。
彼は歩きながら画面を見て、それから足を止めた。
止まり方が、それまでと違った。
「どうしました」
「事故です」
直人が画面をこちらへ向けた。
新宿第二ダンジョン 第四層
層替わり中に通路が閉鎖 一パーティ孤立
通報 十四時十二分
その下に、四人の名前が並んでいた。
佐倉隼人。三田村怜。中村匠。
そして、玲奈の知らない名前が、ひとつ。
三年ぶんの穴が、一日で埋まっていた。
「……昨日の今日で、もう入れたんだ」
思ったより静かな声が出た。
悔しいのか、怖いのか、自分でも分けられない。
ただ、その四人目の名前を、玲奈は何も知らない。
癖も、握りも、疲れたときにどこが下がるかも、何ひとつ。
「水瀬さん」
直人はもう、エレベーターのほうへ歩き出していた。
「あなたは研修もまだなので、何もしなくていいです」
それから、こちらを見ないまま付け足した。
「ついてきてください」




