同じ理由が、十一件ありました
廊下から見えた、と平川は書いていた。
見に行くと、たしかに廊下から見えた。
新人訓練課の掲示板の横に、発送前の通知が箱で積んである。一番上の一枚の理由の欄が、通りかかるだけで読める。
現時点で、受講の優先順位に入らないため
直人は、その場では何もしなかった。
戻って、宇野に一枚の写しを見せた。発送前の箱から抜いてきたものではない。訓練課に照会して、正式にもらった写しだ。
◇
「同じ文の通知が、十一件あります」
直人が言うと、宇野は写しを一度だけ読んだ。
「それだけなら、問題ないです」
「同じ文ですよ」
「同じ条件の人が十一人いれば、同じ文になります」
宇野は、写しを返した。
「必須研修が終わってない人が十一人なら、理由は十一件とも同じです。文が同じことは、手抜きの証拠にならないです」
「……はい」
「調べるなら、別のことを調べてください」
直人は、数え方を直した。
文が同じかどうかではない。その人をその条件に当てた根拠へ、戻れるかどうかだ。
三ヶ月前、自分で書いて配った三行の、二番目に入っている。種類ごとに、戻れる資料を決める。
◇
訓練課へ行く前に、もう一つ手続きをした。
柏木への協力依頼だ。出したのは宇野で、紙に条件が並んでいる。
協力依頼 柏木悟 殿
期間 三ヶ月
頻度 週一日まで
内容 記録整理の補助。扱うのは、氏名を除いた一覧と様式の写しに限る
謝礼 協会の規定額による
「探索の仕事と、両立できる範囲ですね」
「できる範囲にしました。できない範囲を頼むと、断られたときに、こちらが何も学べないので」
柏木は、その場で名前を書いた。
◇
新人訓練課は、名前と中身が合っていない部署だ。
扱っているのは新人だけではない。職種の転換研修も、ここが窓口になっている。
防御職が索敵へ移る。攻撃職が整備へ移る。移る前に受ける基礎研修の、受講可否を決める。
落ちれば、移る入口が閉じる。
再配置の紙がどれだけ整っても、この研修に入れなければ、先がない職種がいくつもある。
担当は、名取という女性だった。
四十代で、机が一つ。受講申請は年間で千二百件を超える。受け入れの枠は、期ごとに二十だ。
千二百件を、この人が一人で捌いている。
「同じ文が十一件、というお話でしたよね」
名取は、こちらが切り出す前に言った。
「様式をもらったとき、書き方の三行も読みました。守れてない自覚はあります」
「三行目ですか」
「三行目です。戻れない種類は、条件にしない。うちの理由は、戻れないです」
名取は、机の引き出しから古い付箋の束を出した。電話の伝言メモだ。
「去年まで、これでした」
「伝言ですか」
「どうして落ちたんですか、って電話です。答える紙がなかったので、全部その場で喋ってました」
「一件、何分ですか」
「長いと四十分です。切ったあとに、次の電話が鳴ります」
様式を取り寄せたのは、名取自身だった。六通のうちの一通が、この人だ。
◇
直人は、十一件を一件ずつ確かめた。
二件は、戻れた。必須研修の未修了で、修了記録を見れば誰でも同じ判断になる。
九件は、戻れなかった。優先順位に入らない、と書いてあるが、順位表がどこにもない。
「順位は、どこにありますか」
聞くと、名取は自分の頭を指した。
「ここです」
「基準は」
「あります。言えます。書いてないだけです」
直人は、その言い方に覚えがあった。
三年間、直人も同じ場所に基準を置いていた。八十七件が来た日まで、それで足りていた。
足りなくなった日のことも、覚えている。
基準を紙にするのに、直人は三ヶ月と、二人の他人が要った。名取は、まだ一人だった。
「私も、同じやり方をしてました」
「でしょうね」
「なぜ分かりますか」
「書いてない人は、書いてない人を見ると分かります」
◇
「一つ、先に言っておきます」
名取は、発送前の箱に手を置いた。
「去年までは、何も出してないです」
「はい」
「落ちた人には、何も届かなかった。今年は、理由と、次の期の受付日が届きます。十一件ぶん、去年より良くなってます」
直人は、そこは認めた。
「通知が届くようになったのは、改善です」
「でしょう」
「検討されたか確かめられない点は、まだ残っています」
名取は、嫌な顔をしなかった。箱の上の一枚を、指で揃えただけだった。
「両方、そのとおりです」
◇
必須の欄は、十一件とも埋まっていた。判断した者の名前も、全部入っている。
埋まっているのに、九件は理由を追跡できない。
埋まっていることと、戻れることは、別だった。
◇
柏木は、写しの束を日付順に整理しながら、途中で一度、手を止めた。
「これ、私がもらった紙と同じ文です」
「文の型は、同じです」
「型まで売ったんですか」
「見本を付けたので」
柏木は、そのうちの一枚を長く見ていた。氏名は伏せてある。見えるのは、申請の回数と自由記述の行数だけだ。
「この人、三年連続で申請してます」
「してます」
「自由記述が、毎年短くなってます。三行、二行、一行」
柏木は、その一枚を置いた。
「これ、私と同じです」
◇
「同じ、というのは」
「書いても変わらないって、分かっていくんです。分かると、書けなくなります」
「柏木さんは、そうでした」
「そうでした」
「この人も、そうだと」
「そうだと思います」
直人は、そこで止めた。
「確かめ方を決めてから、確かめてください」
「……どうやってですか」
「それを決めるのが、確かめ方です」
柏木は、しばらく写しの束を見ていた。
それから、メモ帳を一枚破って、何か書いた。書いたものを二つに折って、直人へ渡した。
「見立てを書きました。合ってたか、あとで教えてください」
「今、見ていいですか」
「見せる用じゃないです」
「では、何のためですか」
「私が、あとから書き換えないためです」
◇
帰りに、教育課の前を通った。
平川は、資料の山の向こうにいた。顔を上げて、こちらを見て、何か言いかけて、やめた。
直人のほうから言った。
「便箋、助かりました」
「……見ただけですけど」
「見ただけのことが書いてあったので、使えました」
平川は、少し考えてから、うなずいた。
「憶測を書くと、七枚になるので」
「二枚の本体と、七枚の別冊ですね」
「あれとは違います。あれは、読まなくていいほうです。今回のは、読んでもらうほうなので、一枚です」
◇
直人は、折られた紙を胸ポケットに入れたままにした。
訓練課には、その日は何も足さずに帰った。欄も、様式も、助言も足していない。
名取の頭の中の順位表を、その場で全部紙にしろとは言わなかった。全部を一度に書かせれば、千二百件の処理が止まる。
ただ、全部か、何もしないか、の二択ではないはずだった。
小さく始める形を持たずに来たのは、こちらの準備の問題だ。持ち帰って、分けることにした。
地下二階へ戻って、数える紙を一枚作った。
根拠へ戻れる通知 二件
戻れない通知 九件
九件を、誤用とは書かなかった。
書けるのは、戻れない、というところまでだ。
◇
夜に、宇野が紙を見に来た。
「戻れない九件、どうしますか」
「まだ決めてないです」
「止めさせますか」
「止めさせないです」
「理由は」
「止めると、名取さんは付箋に戻ります。付箋は、九件どころか千二百件が戻れないです」
宇野は、紙の端に日付だけ書いた。
「決めるまでの期限です」
「一週間ですか」
「一週間です。決めないことを決めるにも、期限は要ります」
直人は、胸ポケットの折られた紙を、机の引き出しに移した。
封筒に入れて、表に日付を書いた。柏木が見立てを書いた日の日付だ。
開ける日のほうは、まだ書けなかった。
いつ答えが出るのかは、あの一枚の相手が決めることだった。




