三月です
装備課の照会に、更新の可否を書く欄はなかった。
あるのは、参考意見、という欄だけだ。八行ある。
決めるのは装備課で、直人は八行ぶんの外にいる。
若宮蓮がゲート前の装備検査補助に就いたのは、試験運用の途中だった。
直人が知ったのも、就いたあとだ。登録記録の更新で、最後の行に知らない情報が入っていた。
三月末までの有期契約で、今回が初めての更新になる。
意見を求められたのも、初めてだった。
◇
若宮の記録を出した。
ゲート前の滞留記録は、若宮が自分で始めたものだ。就いてすぐに始めたらしい。
試験運用が終わるころには、二段まで埋まっていた。三段目が入ったのは、去年の暮れだ。
ゲート前 装備検査所 滞留記録
見るもの 線の手前で三秒以上止まった人
残す 通行証番号と、秒数
使う 止まった人に、こちらから声をかける順番に
三段目が入ってから、三ヶ月ぶんの数字がある。
先月 三秒以上止まった人 四十七人
救護待機所へ回した 九人
うち、処置を受けた 三人
三人だ。四十七人のうちの、三人。
内訳も出した。装備の締め具の不具合が二人。前日からの発熱が一人。どれも、止まった時点では分からない。
◇
人事考課の項目を、念のため確認した。
装備検査補助の評価は四項目でついている。検査件数。処理時間。差戻し率。事故報告の件数。
滞留記録は、どこにも入っていない。
やっても、評価されない。三ヶ月前に東堂が挙げた四つのうちの、三番目だった。
◇
参考意見の八行に、直人は三行だけ書いた。
滞留記録は、救護待機所の準備に使用されています。
先月、この記録をきっかけに九件が回付され、三件が処置に至っています。
記録が止まった場合に何が起きるかは、当室では測っていません。
三行目を書いてから、これは参考意見になっていない、と思った。
参考にならないことを書いている。ただ、測っていないものを、測ったように書くわけにいかない。
残りの五行は、空けたままにした。
◇
十四階へ持っていったのは、期限の二日前だった。
装備課の担当は、書類を受け取ってから、少し困った顔をした。
「これ、ありがとうございます」
「はい」
「もう決まってます」
「……決まってますか」
「先週です。更新します。一年です」
直人は、紙を持ったまま止まった。
「先週というのは」
担当は、別の書類を出した。救護待機所からの要望書で、日付は二週間前になっている。
ゲート前の滞留記録は、当所の準備に使用しています。
記録が止まると、準備の判断材料がなくなります。
契約の更新を要望します。
「向こうから来ました」
「こちらへは」
「来てないです。うちと待機所の話なので」
担当は、そこで一度、言い方を足した。
「相馬さんのところに回す項目じゃないです。悪い意味じゃなくて」
◇
「私が言う前に、必要だと言った人がいたんですね」
直人がそう言うと、担当はうなずいた。
「そうなりますね」
「その要望書、写しをもらえますか」
「いいですけど、何に使うんですか」
「使い道は、まだないです」
◇
地下二階へ戻って、宇野に報告した。
「間に合いましたか」
「間に合いました。期限の二日前です」
「では、遅れてないですね」
「遅れてないです。ただ、要らなかったです」
宇野は、参考意見の紙のほうを見た。三行だけ埋まって、五行が空いている。
「それ、どうしますか」
「月次に綴じます」
「表ですか」
「裏です。参考意見としては使われてないので」
宇野は、そこは訂正しなかった。かわりに、要望書の写しを指した。
「そっちは、表です」
「……はい」
「当室が何も出さなくても更新が決まった、という記録です。今年、一番使える紙だと思います」
◇
若宮が来たのは、その週の金曜日だった。
制服のままで、ノートを持っている。二冊目のほうだった。
「決まりました」
「聞きました」
「相馬さんが言ってくれたんですか」
「言ってないです。私が出す前に、救護待機所から出てました」
「……そうですか」
若宮は、それ以上そこを聞かなかった。
聞かない代わりに、ノートを机に置いた。開かなかった。
「若宮さん」
「はい」
「ここで、続けたいですか」
若宮は、線の前で止まるときと同じ間を置いた。
「続けたいです」
「なぜですか」
「数えるものが、あるので」
「ほかの場所にも、数えるものはあります」
「あります。でも、ここのは私が始めました」
「三月に聞く人は、決めましたか」
「決めました。救護待機所の人です」
「自分じゃないんですね」
「自分でも数えます」
「では、なぜ」
「自分だけだと、止まってるのが分からないので」
直人は、その言い方をそのまま書いた。
「その人に、何を頼むんですか」
「記録を持っていく日を、先に決めてあります。持っていかない月が二回続いたら、来てもらいます」
「二回、というのは」
「一回だと、忙しかっただけかもしれないので」
「三回だと」
「三ヶ月空きます。長いです」
誰かに教わった決め方ではなかった。
◇
真ん中の山は、四件のまま残っていた。
一番下に若宮の紙がある。判断保留の欄に、三ヶ月前に足した一行がそのまま入っていた。
支援室の存続が未定。三月に聞く者を、決めておくこと。
支援室は存続した。三月も来た。聞く者は、若宮が自分で決めた。
直人は、その一行に線を引いて、保留の欄を閉じた。
本人は継続を希望。
当室による追加の配置提案は、行わない。
判断した者 相馬直人
配置を決めたのではない。
自分が決めなくてよくなった一件を、閉じただけだった。
◇
柏木が二度目に来たのは、その翌週だった。
今度は、入口から三歩入った。前に来たときより、一歩多い。
「何か、手伝うことないですか」
「あります」
「即答ですね」
「人が足りないので」
言ってから、直人は一度止まった。
柏木は支援室の職員ではない。相談の記録を渡せる立場にない。
渡せるのは、名前も内容も入っていないものだけだ。
直人は、日付と受付番号だけを写した一覧を作った。作るのに四十分かかった。
「これ、番号しかないです」
「中身は」
「渡せないです」
「そうですか」
「日付順に並べ替えてください。今は受付番号順なので」
「なんで日付順じゃないんですか」
「作ったときは、四十七件を二週間で回すつもりだったので」
柏木は、四十六枚を床に並べた。机の上では足りない。
並べ終えるのに、二十分かかった。途中で一度、番号の読み方を聞きに来た。
◇
「これ、番号だけですけど」
「はい」
「断られたあと、この人たちは何をしてるんですか」
半分だけ、答えられた。
「続けてる人と、辞めた人がいます」
「辞めた人は、どこにいるんですか」
「分からないです」
「記録も、ないんですか」
「辞めたときまでの記録は、あります。そのあと、どこで何をしてるかは、追えてないです」
柏木は、床の列のほうを見ていた。四十六枚が、日付順に並んでいる。
「六年前に辞めてたら、私も、そこから先は空欄なんですね」
「空欄です」
◇
柏木は、一番手前の一枚を指した。日付の欄が、来月の頭になっている。
「この日になったら、また見てもらえるんですか」
「見ます。電話をかけます」
「この人にも、そう伝わってますか」
直人は、すぐに答えられなかった。
通知には、次に確認する日が書いてある。
書いてあることと、伝わっていることが同じかどうかは、確かめたことがなかった。
柏木は、列をそのままにして帰った。
片づけるとは言わなかったし、直人も言わなかった。
◇
その日の夕方、直人は電話を三件かけた。
聞くことは一つだ。この日に連絡が来ると、思っていましたか。
一人目は、通知を読んでいなかった。届いたことだけ覚えていた。
二人目は、日付を言えた。三ヶ月先の日付を、そのまま言った。
「連絡、来ると思ってましたか」
「思ってなかったです」
「日付は、覚えてたのに」
「日付は書いてあったので。来るかどうかは、書いてないです」
三人目は、電話に出なかった。
三件かけて、二件と話せた。
一人は通知を読んでいなかった。もう一人は日付を知っていて、それでも、連絡が来るとは思っていなかった。
割合の話ではない。一件、分かったことがある。
日付が読まれていても、次の対応が約束されたとは、受け取られていない。
直人は、二人目の言い方をそのまま紙に写した。
柏木の問いの横に置くと、答えの形になった。伝わってますか。伝わっていない。
◇
週明けに、教育課から内部便が来た。
差出は平川湊。中身は、便箋が一枚だけだ。
隣の課で、断りの様式を使っています。
同じ文が並んでるのが、廊下から見えました。
見ただけなので、中身は知らないです。
平川は、読まなくていいほうに全部入れる人だ。
その人が、一枚だけ寄こしてきた。




