誰も、使いませんでした
東堂が地下二階へ降りてきたのは、三年で初めてだった。
台車を押していた。上に、段ボールが一箱だけ載っている。
箱は古い。角が丸くなっていて、側面に部署の判が押してある。いまはもうない部署の名前だった。
「椅子、二つですか」
「二つです」
「では、私が座ります」
東堂は、相談者側に座った。
◇
箱から出てきたのは、綴じられた冊子が一冊と、紙の束だった。
適性再配置 記録様式 (試行版)
制定 十四年前
配布 三百六十部
回収 三年後 二百九十一部
直人は、その三つの数字を書き取った。
「回収されたのは」
「使わなかった部です。使った部は、綴じ込まれて各課に残ります」
「残ったのは」
「六十九部です」
「六十九課で使われたということですか」
「いいえ」
束のほうが、机に出てきた。
「六十九部のうち、二年目まで書き足されていたのは、四部です」
◇
「通らなかった、と聞いていました」
直人が言うと、東堂は首を振った。
「通りました。一部は」
「制度になったんですか」
「なりました。様式も作りました。配りました」
冊子の表紙が開いた。判が三つ並んでいる。
「二年目に、四部です」
「三年目は」
「三年後には、誰も使っていませんでした」
「廃止したんですか」
「していません。廃止の起案も出ていないです」
「では、どうやって終わったんですか」
「終わっていないです。使う人がいなくなっただけです」
◇
束の一番上が出てきた。
当時の廃止報告ではない。使用状況の調査だ。書いたのは東堂で、日付は十一年前になっている。
制定のときの三つの判に、東堂の名前はない。当時は、起案を通す側にいなかったらしい。
最後の一行に、こう書いてあった。
使われなかった理由は、当室では特定できなかった。
直人は、その一行を二度読んだ。
三日前、直人は自分の検証にほとんど同じことを書いている。次の手順に反映できる材料も、出なかった。
「同じことを書いてますね」
「書いています」
「そのあと、どうしましたか」
「十一年かけました」
◇
四枚の紙が、机に並んだ。
「使われなかった理由を、四つまで絞りました」
一 記録項目が二十三あった。当時の査定は六項目
二 責任者の欄がなかった
三 使っても評価されなかった。人事考課の項目に入っていない
四 既存の査定に足す形だった。現場の作業が一件あたり十八分増えた
直人は、一番の紙のほうを先に取った。
二十三項目が、そのまま並べてある。
現在の配置。等級。潜行回数。負傷履歴。所属年数。装備の内訳。
下のほうに、直人が三ヶ月で足したのと似た欄が二つあった。生活条件に近いものだ。
十四年前に、もう作られていた。
「四つ目までですか」
「四つ目までです」
「五つ目は」
「当時の人に聞かないと出ません」
東堂は、そこで少しだけ言い方を変えた。
「聞きました。三人までです」
「四人目からは」
「覚えていない、と言われました」
◇
直人は、二十三項目の紙を横に置いて、自分の様式を出した。
三ヶ月と少しで足した欄が、いくつも並んでいる。
反証確認。判断保留。不採択の理由記録。検証設計。判断が割れた場合の併記。
生活条件の変化。次に確認する日。当室非関与。
数えた。
当室の様式 十九項目
二十三まで、あと四つだった。
「東堂さん」
「はい」
「これ、増えすぎですか」
「まだ言えないです」
「言えるのは」
「三年後です。使われているかどうかは、使われなくなってからしか分かりません」
東堂は、そこは緩めなかった。
「増やすのは、今日できます。減らすのは、今日はできないです」
◇
「一番効いたのは、どれですか」
直人が聞くと、東堂は二番の紙を前へ出した。
「二です」
「責任者の欄」
「書いた人が分からない紙は、誰も直せません」
様式の見本を開いた。
一枚目の下に、名前を書く欄がない。日付と、部署名だけがある。
「間違いが見つかっても、誰に聞けばいいか分からないです」
「はい」
「聞けないと、直せないです。直せない紙は、次の年に使われないです」
見本が閉じられた。
「三年で四部になった理由は、たぶんそれです」
「たぶん、ですか」
「証明できません。四つとも、証明はできていないです」
◇
直人は、そこで一つ思い出した。
三ヶ月と少し前、東堂に判をもらいに行ったときのことだ。
断る紙に理由を書くのは自分の都合だ、と直人が言った。東堂は、書いてください、都合だと、と言った。
「あれ、二番ですか」
「二番です」
東堂は、否定しなかった。
「君が作った欄に、判断した者、と入っていました」
「入れました」
「私は、そこだけ見ていました」
「三ヶ月、そこだけですか」
「そこだけではないです。ただ、最初に見たのはそこです」
◇
判定書の控えが出てきた。試験運用の終了を告げた、あの一枚だ。
判断した者 東堂啓介
「自分の名前を入れたのも、同じ理由ですか」
「同じ理由です」
「間違っていたら、私が聞きに行けます」
「行ってください」
◇
端末が机に出た。
様式A三一七 派生
登録済み 五件
現在使用中 四件
停止 一件(暁星戦術指揮。独自版へ移行)
「減りました」
直人が言うと、東堂は画面をこちらへ向けた。
「減っていません」
「一件、止まっています」
「動いているものが四つ、というだけです」
指が、その下の行で止まった。
(参考) 適性再配置 記録様式(試行版)
登録済み 十一件
現在使用中 〇件
「十四年前は、十一件でした」
「使用中が」
「三年後に〇です」
◇
直人は、二つの数を並べて書いた。
登録済み 五件 / 十一件
使用中 四件 / 〇件
十一のほうが多い。多いほうが、消えている。
「登録は、消えないんですね」
「消えません。登録は、誰かが番号を取っただけなので」
「使用中は」
「毎年、数え直します。数え直さないと、去年の数字が残ります」
東堂は、端末を閉じた。
「四件が来年も四件だとは、私は言えないです」
◇
東堂は、箱の中身を戻しはじめた。
戻す前に、冊子の表紙をもう一度見た。判が三つ並んでいる。
二つ目と三つ目は、直人の知らない名前だった。
「この二人は」
「どちらも、もういません」
「辞めた理由は」
「聞いていないです。聞ける立場ではなかったので」
◇
東堂は、台車の取っ手に手をかけて、机の上を見た。
判断保留の紙が、一番上に置いてある。
判断した者の欄に、水瀬玲奈と入っている。次に確認する日は、空いたままだ。
「これは」
「保留です」
「何のですか」
「私が、この仕事を続けるかどうかです」
「誰が書きましたか」
「水瀬さんです」
東堂は、その紙を持ち上げなかった。上から読んだだけだった。
「期限が入っていませんね」
「入っていません」
「入れないと、保留は、やめたのと同じになります」
◇
東堂は、内ポケットから判を出した。
押さなかった。次に確認する日の欄に、日付を書いただけだった。
次に確認する日 (翌日の日付)
「明日ですか」
「明日です」
直人は、判断した者の欄にペンを置いた。東堂の名前を、玲奈の名前の横に足すつもりだった。
「そこは、並べないほうがいいです」
東堂が止めた。
「二人でやったので」
「二人でやっていません。別のことを、一人ずつやっています」
◇
「一つの欄に二人書くと、どちらに聞けばいいか分からなくなります」
東堂は、そう続けた。
「……はい」
「分からないと、聞きに行かないです」
「聞きに行かないと」
「直せないです」
直人は、欄を書き直した。名前を並べるのをやめて、下に三行ぶんの枠を引いた。
処理 担当
判断保留 水瀬玲奈
次に確認する日の設定 東堂啓介
三行目は、空けた。
「これでいいですか」
「いいです」
「三行目は」
「明日、埋まります」
◇
「明日、君の査定をします」
東堂は、台車を押して立ち上がった。
「私のですか」
「君のです」
「何の査定ですか」
「適性の査定です。うちは、それをやる部署なので」
直人は、その言い方に一度うなずいてから、聞き直した。
「なぜ、今日じゃないんですか」
「今日は、私が喋りすぎました」
◇
東堂は、エレベーターのほうへ歩いていった。
台車の音が消えてから、直人は箱のことを思い出した。
東堂は、箱を持って帰らなかった。机の横に置いたままだ。
中には、十四年前の様式が三百六十部ぶんのうちの一冊と、使用状況の調査が入っている。
どちらも、誰も使わなかった紙だ。
直人は、箱を開けたままにして、蓋を横に立てた。
閉じると、また誰も開けなくなる。




