同じ結果って意味じゃないです
三日目の朝に、階段のほうから足音がした。
協会の内部便は、朝と夕方の二回ある。
転帰の載った様式が救難管制へ回ったのは、その日の朝の便だった。
足音は、四十分ほど遅れて着いた。
十一階から地下二階まで、エレベーターなら二分もかからない。階段だと五分近くかかる。
入ってきたのは玲奈だった。救難管制の制服のままで、手に六卓の綴りを一冊持っている。
「読みました」
それだけ言って、綴りを机に置いた。
◇
三日のあいだ、直人は通常の件をやっていた。
確認日が来た件に電話をかけ、査定部から回ってくる週次の表を読み、有村の記録を綴じた。
やることは、二十九件目が抹消される前と、一つも変わっていない。
変わっていないことを、直人はその三日で二度、記録に書いた。
◇
開いてあったのは、あの日のページだった。
六卓/三番目へ/位置特定済み・一名/移動推定二十六分/担当 水瀬
右端に、二つの欄がある。玲奈が二つとも埋めていた。
出るまでにかかった時間 二十二分(推定十九分)
着くまでにかかった時間 二十六分
字は、事故の翌日のものだった。
隊が戻ってきて、玲奈が数字を入れた。ずれは三分で、その月の平均のところにも三分と書いてある。
入れたとき、玲奈は転帰を知らない。
綴りは、発見までしか受け取らない。
◇
「これ、そっちの検証に要りますか」
「要ります」
「持ってきました」
「はい」
直人は、綴りを受け取らなかった。玲奈も、手を離さなかった。
「検証、終わったんですよね」
「終わりました」
「何が出ましたか」
「出ませんでした」
そこで一度だけ、目の動きが止まった。
「一つも」
「遠山さんの件では、一つもです。順番も、不採択も、時間も、全部合ってました」
「ほかの件では」
「一件、当室の判断と割れました。勤務地が変わった件です」
玲奈は、そこで一度、目を戻した。
「割れる件は、あるんですね」
「あります」
「じゃあ、あの件だけ、何も出なかったんですね」
「そうなります」
◇
「うちの四行、直しますか」
玲奈が聞いた。
「直す材料が出てないです」
「じゃあ、直さないです」
綴りが閉じた。
「直したくはあります」
「はい」
「直す理由が、どこにもないです」
◇
「私、三番目にしました」
閉じた綴りに手を置いたまま、そう言った。
「……はい」
「記録に残ってます。理由も書きました」
「読みました」
「相馬さんも、残してましたよね」
「残してました」
そこで一度、言葉が置かれた。
「じゃあ、二人とも、同じことをやってます」
「……はい」
◇
「同じ結果って意味じゃないです」
玲奈は、そう足した。
「同じ形です」
「形」
「私は人を出す順番。相馬さんは時間を配る順番。重さは違います」
「違います」
「でも、決め方は同じです」
指が、綴りの表紙をなぞった。
「先に何を見るか決めて、残して、次の判断に使ってます」
「はい」
「だから、二人とも書けます」
◇
直人は、その言い方を書き取ろうとして、ペンを持ったまま止まった。
書き取る相手が、目の前にいる。
三年間、直人は誰かの言葉を書き取るとき、たいていその人が帰ったあとに書いていた。
「書いていいですか」
「どうぞ」
「水瀬さんの名前も入れます」
「入れてください」
◇
「三番目にしたことは、間違ってないです」
そのあとに、続きがあった。
「はい」
「間違ってないことしか、言えないんですけど」
「……はい」
「それだけだと、足りないですよね」
直人は、そこに置く言葉を持っていなかった。
持っていないことを、玲奈も分かっているようだった。
二人とも、しばらく何も言わなかった。廊下の蛍光灯が、切れたままで鳴っている。
◇
先に動いたのは、直人だった。
右上の隅の束から、確認日を設定した四十七件だけを抜いて、机の真ん中へ移した。
返答待ちの三件は、右上に残した。回答期限のほうは、まだ来ていない。
それから、査定部から戻ってきた四十五件の写しを、その横に積んだ。
「全部、もう一回見ます」
「全部」
「四十五件と、四十七件です。九十二件あります」
直人は、順番の紙を出した。
「三時間ずつやると、二百七十六時間です」
「入らないですよね」
「入らないです。入らないので、条件を外します」
三ヶ月の残りは、ひと月と少しだ。所定の八時間で全部埋めても、二百時間に届かない。
届かないことは、束を動かす前に分かっていた。分かっていて、動かしていた。
◇
「条件を外す、というのは」
玲奈が聞いた。
「三時間を配る件を、選ばないということです」
「全員に会うんですか」
「会います」
言ってから、直人は自分の手順の順番が入れ替わっていることに気づいた。
三ヶ月前なら、数えてから決めている。
今日は、決めてから数えていた。二百七十六時間は、決めたあとに出した数字だ。
直人は、そこで一度、手を止めた。
「会わないと決めた紙に、私の名前が入っています」
「入ってますね」
「四十五枚あります」
◇
綴りが、鞄に戻った。
かわりに、白い様式が一枚出てきた。支援室の書式だ。どこかで写しを取ってきたらしい。
欄の名前だけ、書き込んである。
判断保留
「相馬さん、これ、判断保留です」
「何がですか」
「相馬さんが、この仕事を続けるかどうかです」
直人は、その紙を見た。
「私は、続けます」
「続けるかどうかを、今日決めないでください、と言ってます」
「同じことです」
「違います」
玲奈は、そこは引かなかった。
「材料が足りないです」
◇
「材料が足りない、というのは、あなたが決めることですか」
玲奈は、首を振った。
「決めることじゃないです」
「では」
「相馬さんが作った欄です。書いてあるとおりに当てただけです」
玲奈は、様式の条件を読み上げた。
――結論を出すのに必要な材料が、この時点で揃っていない場合、判断を保留する。
――保留にした理由と、判断した者を記載する。
「揃ってますか」
「……揃ってないです」
「じゃあ、保留です」
◇
玲奈は、理由の欄に書いた。
検証の結果が出た当日である。比較できる件が、ほかに一件もない。
それから、判断した者の欄に自分の名前を書いた。
水瀬玲奈
「次に確認する日は」
直人が聞くと、玲奈はペンを置いた。
「そこは、私が決めることじゃないです」
「空けておくんですか」
「空けます。埋める人が、たぶんいます」
◇
机の上の九十二件を、玲奈が見た。
「これ、戻していいですか」
「……はい」
玲奈は、四十五件の写しを机の端へ、四十七件の束を右上の隅へ戻した。
置き方まで、元と同じにした。順番を勝手に動かすと、あとで検証できない。
誰に教わった置き方でもない。
三年前、この部屋で見た置き方だった。
◇
「一つ、聞いていいですか」
直人が言った。
「どうぞ」
「あの日、私は六卓の三件目を見ていました」
「はい」
「番号も、順番も、理由も、その場で書きました」
「書いてましたね」
「書いて、それで終わりました」
玲奈は、鞄の持ち手を握り直した。
「私もです」
◇
「四十八分は、私が書きました」
そのまま、続いた。
「はい」
「書いたときは、生きてました」
「……はい」
「生きてる人の記録として、書きました」
玲奈は、そこで一度、息を吸った。
「書き直す欄が、ないです」
◇
直人は、その意味を確かめようとして、やめた。
六卓の綴りは、救助が終わったところで閉じる。転帰の欄がない。
欄がないから、あの四十八分は、これから先もずっと「発見時、生存」のままで残る。
直したいわけではない、と玲奈は言っていた。直す理由がどこにもない、とも言っていた。
それとは別に、書き直せない、という事実だけがある。
欄がないものは、あとから数え直せない。
三ヶ月前、直人が二週間目の追跡票で見つけたのと、同じ形だった。
◇
二人とも、その先を言わなかった。
直人は、判断保留の紙を机の一番上に置いた。
次に確認する日の欄が、白いまま残っている。
玲奈は、階段のほうへ歩いていった。エレベーターは使わなかった。
五分かけて上がるつもりらしい。
直人は、その足音が聞こえなくなるまで、座っていた。
ストップウォッチは、机の上にある。押さなかった。
◇
その夜、直人は記録に一行だけ書いた。
判断保留 相馬直人 判断した者 水瀬玲奈
自分の名前が、判断される側の欄に入っている。
三ヶ月前、玲奈のノートに一行入ったときと、同じ形だった。
あのときは、未定と書いてあった。
今度は、保留と書いてある。




