全部、書いてありました
「何を見るかが、まだ書けていません」
東堂は、それを聞いても表情を変えなかった。
「では、そこからやります」
「はい」
「一つ、先に決めておきます」
東堂は、机の上に手帳を置いた。開かなかった。
「君は、この検証に入らないでください」
「……はい」
「戸松さんのときと同じです」
◇
設計は、二日かけて書いた。
書いたのは直人だが、判断はしない。判断する人に何を渡すかを決めるのが、この二日の仕事だった。
検証設計
渡すもの
当時の申請書(自由記述を含む)
再確認の時点までに存在した記録
(潜行記録・査定・所属履歴・生活条件)
改訂後の様式の空欄
渡さないもの
登録状況と抹消事由の欄
当室が出した結論(不採択か、順位へ戻したか)
再確認より後に発生した記録
「結果を伏せるんですか」
篠塚が聞いた。
「伏せます」
「答えを知らずに判定するんですね」
「答えを知っていると、答えのほうから逆に読むので」
「誰がですか」
「私がです」
◇
もう一つ、決めたことがある。
二十九件目を、単独では出さない。
同じ時期に再確認した四十九件のうち、二十九件目を除いた四十八件から、無作為に八件を抜いた。
そこへ二十九件目を混ぜて、九件にする。
どれが問題の件かは、検証者に伝えない。
「一件だけ渡すと、探しに行きますよね」
宇野が言った。
「行きます」
「九件だと、探せないです」
「探せないようにしました」
◇
検証者は三名だった。
篠塚と、査定部の職員が二名。三名とも、二十九件目の再確認には関わっていない。
九件を、それぞれ別の部屋で読んだ。突き合わせは、三名とも終わってからにした。
三日かかった。
◇
九件 三名の判定と、当室の判断との一致
一致 八件
不一致 一件
不一致の一件は、二十九件目ではなかった。
勤務地が変わった件で、当室は順位へ戻している。三名のうち二名が、戻さなくてよいと書いた。
理由は、勤務地の変更が本人の申告のみで、記録に反映されていないことだった。
直人は、その理由を書き取った。
書き取ってから、その件が二十九件目でないことを、もう一度確かめた。
◇
二十九件目については、三名とも同じことを書いていた。
不採択は妥当
次に確認する日の設定も妥当
三名のうち一人は、余白にもう一行足していた。
――順位に入れる材料が、この時点では出ない。
◇
篠塚が地下二階へ来たのは、突き合わせが終わった日の夕方だった。
「あの九件、どれが問題の件だったんですか」
「言わないほうがいいです」
「気になります」
「気になると思います」
「なんで言えないんですか」
「次も、同じやり方でやるので」
篠塚は、そこで少し考えて、口の形を変えた。
「……あ」
「はい」
「私が知ってると、次のときに、そういう件を探しますね」
「探すと思います」
「探して、見つけたら、たぶん褒められますよね」
「褒めます。だから、危ないです」
篠塚は、それ以上聞かなかった。
出ていく前に、一度だけドアのところで止まった。
「相馬さん」
「はい」
「九件、どれも普通でした。それだけ言っていいですか」
「言ってください」
直人は、その一行も検証の綴りに入れた。
誰が言ったかも書いた。そういう手順にしてある。
◇
救難側は、同じやり方で、玲奈以外の三名が行った。
当日の三件から、転帰をすべて外した。誰がどうなったかは、三名とも知らない。
渡したのは、要請が入った時点で卓に出ていた情報だけだ。
一件目 三名。うち一名、意識なし。通信あり
二件目 二名。通信途絶。位置不明
三件目 一名。位置特定済み。通信は第三者経由。動けている旨の申告あり
三名とも、同じ順番を書いた。
一件目、二件目、三件目
理由の欄も、三名とも似たことを書いている。
三件目は、要請の時点の材料では猶予を見積もれて、着くまでの時間も計算できる。だから後ろへ回せる。
◇
時間の内訳は、事故報告と六卓の綴りから出た。
入電から出動まで 二十二分(推定十九分/ずれ三分)
出動から到着まで 二十六分(推定二十六分/ずれなし)
合計 四十八分
※一件目に出した場合 入電から出動まで六分+移動二十六分 = 三十二分
移動の推定は、外れていない。
伸びたのは、前の二件が戻るのを待った時間だ。玲奈が、計算できないと言っていたほうだった。
◇
医療側の所見は、二行だった。
致命傷を負った時刻は特定できない。層替わりの前か後かも判定できない。
到着時刻と転帰の関係は、この事例では判定できない。
三十二分で着いていた場合にどうなったかは、書いていない。
書けない、と書いてある。
◇
もう一つ、確かめたことがある。
要請を出したのは、本人ではなかった。同じ層にいた別のパーティだ。
その申告には、動けている、と入っている。
直人は、その申告が誤りだったかどうかを調べようとした。
調べられなかった。
申告した三名は、四十メートル離れた通路から見ている。見えたとおりに言った、としか書けない。
見えたとおりであったかどうかは、致命傷の時刻が出ないと決まらない。時刻は出ない。
◇
直人は、最後に一つだけ、自分でやったことがある。
新しい基準を、二十九件目に当てた。
条件の一。本人の言葉は、二行ある。当たらない。
条件の二。生活条件の欄は、再確認のときに埋めている。当たらない。
条件の三。結論は割れていない。当たらない。
→ 十五分の側
三時間を配る件には、入らなかった。
◇
宇野が来たのは、その翌日だった。
「簡易処理でやった場合の結果を、出してみました」
「はい」
「同じです。順位には入らないです」
「……はい」
「私のほうが速いだけで、結論は同じでした」
宇野は、紙の端を指で揃えた。
「速いほうが悪い、という話にはならないですよね」
「なりません」
「三時間かけていたら、変わりましたか」
「変わらないと思います」
「じゃあ、何が問題ですか」
直人は、答えを探した。
探しても出ないことは、途中で分かっていた。
「分からないです」
宇野は、その返事を書き取った。
「分からない、と書きます」
「書いてください」
「書くと、残ります」
「残してください」
◇
十七階へは、検証の綴りを持っていった。
「検証して、何が出ましたか」
東堂が最初に聞いたのは、そこだった。
「間違いは、出ませんでした」
「不採択は」
「妥当です。三人とも一致しました」
「救難の順番は」
「妥当です。三人とも同じ順番を書きました」
「時間は」
「推定どおりです。移動は、ずれていません」
東堂は、綴りを開かなかった。
「それが結果です」
◇
「一つ、聞いていいですか」
直人が言った。
「どうぞ」
「これは、検証と呼べますか」
「呼べます」
「何も直せないです」
「直すのは、検証の次の工程です」
東堂は、そこで初めて綴りに手を置いた。
「次の工程に、材料が出ませんでした。そう書いてください」
「……はい」
「書けますか」
「書きます」
◇
直人は、その日の夜に、検証記録の最後の欄を埋めた。
三ヶ月のあいだに増やしてきた欄が、いくつも並んでいる。
反証確認。判断保留。不採択の理由記録。生活条件の変化。次に確認する日。当室非関与。
どの欄も、書けることは書いてあった。
最後の欄だけ、直人は新しく作らなかった。
作りかけて、やめた。一件しかない。一件で欄を作ると、次に同じ形が来たときに、その欄に合わせて読む。
かわりに、既にある欄の下へ、一行だけ足した。
本件について、手順の不備は出なかった。
次の手順に反映できる材料も、出なかった。
◇
書いてから、直人はその一行を読み直した。
二行のうち、下の一行が本体だ。
三年間、直人は、間違いを見つけて欄を増やしてきた。増やせば、次の人のときに使える。
今回は、増やせない。
増やせないということだけが、検証で出たものだった。
◇
申請書の写しは、まだ机の端にある。
今のままでも死にません。
でも、あと何年かは考えたいです。
この二行を、直人は読んだ。読んで、順位に入らないと判断した。
三名が同じ判断をした。改訂後の様式でも、同じ判断が出た。新しい基準でも、十五分の側に入った。
全部、書いてあった。
書いてあるとおりに、やっていた。




