今のままでも死にません
二件目の行の右端に、表示が一つ増えていた。
登録状況 抹消済
四文字を、しばらく見た。
抹消は、珍しくない。等級を返上した人も、クランを離れて更新しなかった人も、同じ表示になる。
三年で、何十件も見ている。
事由の欄を開いた。
抹消事由 死亡
◇
名前は、遠山亮介と出ていた。
三十四歳。索敵D。所属あり。
その名前を、直人は知らなかった。
番号のほうで照合した。断った五十二件のうちの、二十九件目だ。
二十九件目 元の判断 妥当/再確認 変化なし/次回確認 (日付)/相馬直人
自分の字だった。二週間かけて五十二件を洗い直したときに、直人が書いた四行のうちの一つだ。
例示として三件を並べたことがある。この行は、その真ん中にあった。
◇
順位へ戻した二件のほうも、念のため開いた。
勤務地が変わった一件と、契約の期限が動いた一件だ。どちらも二十九件目ではない。
その件の申請書を出した。
自由記述の欄に、二行ある。
今のままでも死にません。
でも、あと何年かは考えたいです。
直人は、そこで手を止めた。
この二行は、読んだ覚えがある。
不採択の通知を出したあと、通知を持って地下二階へ来た男がいた。名乗らなかった。
「俺のは、あとで取り返せるって書いてありました」
「誰が決めたんですか」
「私です」
「……そうですか」
それだけ言って、帰った。
直人は、名簿の写真で顔を照合しただけだった。名前を呼んでいない。
呼んでいれば、この名前を知っていた。
◇
直人は、そのとき出した通知の控えを開いた。
本件は、今回の順位に入りませんでした。
次に確認する日を設定しています。
その時点で条件が変わっていれば、順位の対象へ戻します。
判断した者 相馬直人
あとで取り返せる、とは書いていない。
書いていないが、そう読める。読めるように書いた覚えもある。
直人は、その三行を二度読んだ。
文言を直すところは、一つも見つからなかった。
◇
再確認の記録を出した。
二十九件目 電話 所要三分
生活条件の変化 なし
次に確認する日 (日付)
三分だ。
三分を、思い出そうとした。
四十九件かけたうちの一件で、内容は読み上げと確認だけだ。区別のつく記憶が、どこにも残っていない。
ストップウォッチの記録も見た。その日の「迷っている時間」は、四十分ある。
押した理由の一行に、二十九件目は入っていなかった。
迷っていない。迷う材料が、なかった。
◇
事故報告は、その日の午後に届いた。
協会の様式で、三枚ある。直人の担当ではない。検証担当として、写しが回ってくる。
発生 新宿第二ダンジョン 第二層
態様 単独潜行中、層替わりに遭遇
要請 同層にいた別パーティより。要請番号(番号)
発見 要請から四十八分。発見時、生存
搬送 提携医療機関
転帰 搬送後、医療機関で死亡
二枚目に、時刻が四つ並んでいた。
入電 (時刻)
出動 (時刻) 入電から 二十二分
到着 (時刻) 出動から 二十六分
合計 四十八分
二十六分のところで、一度、目を止めた。
第二層の奥は、だいたい二十五分から三十分だ。対応表の中に入っている。
六卓の綴りには、移動推定を書く欄と、実測を入れる欄がある。ずれは先月の平均で四分だった。
この件のずれは、三分だ。長いほうへ、三分。
推定は外れていない。
◇
メモを出した。
六卓を見せてもらった日のものだ。その日の三件を、番号と順番と理由だけ写してある。
名前は入っていない。卓の綴りにも入らない。要請番号しか出ないからだ。
三件目 六卓 一名/位置特定済み/第三者経由・動けている旨の申告
三番目へ 移動推定二十六分
番号が、一致した。
◇
二枚を並べて置いた。
左に、事故報告。右に、自分のメモ。
同じ番号が、二枚に一つずつ書いてある。
メモのほうは、直人の字だ。
あの日、直人はその番号を書いて、順番を書いて、理由を書いた。書いただけで、その日は終わっている。
◇
事故報告の三枚目に、対応の記録が付いていた。
受付卓 六卓
担当 水瀬玲奈
直人は、その二行から目を上げなかった。
上げなかったが、読んでいたわけでもない。
◇
救難管制に戻る記録は、救助が終わったところまでだ。
そのあと、その人がどうなったかは、あの様式に入っていない。玲奈自身がそう言っていた。
六卓の綴りに入っているのは、発見までだ。要請から四十八分。発見時、生存。
そこで救助は終わっている。搬送から先は、医療側の記録になる。
だから、六卓は、まだ知らない。
転帰が協会の様式に載って、救難管制へ回るのは、内部便で三日後だ。
三日だけ、直人が先に知っていることになる。
直人は、端末を開いた。
宛先の欄に救難管制室と入れて、そこで手を止めた。
書くことがないのではない。
書けば、玲奈は当日の記録を見に行く。見に行けば、六卓の三番目の行に自分の字があることに気づく。
三日を二日にする理由を、直人は持っていなかった。
宛先を消した。
消したことも、記録に書いた。
◇
確認日の一覧に戻った。
二十九件目の行は、まだ残っている。抹消済の表示が付いても、日付は消えない。
次に確認する日 (日付)
三週間後だった。
その日付を、しばらく見ていた。
三週間後に、誰かがこの行を開く。開いて、抹消済の表示を見る。それだけだ。
直人は、その行に何も書かなかった。
書く欄はある。生活条件の変化の欄も、空いている。
◇
その週の確認日は、三件あった。
一件目は、午前に済ませてある。抹消の表示を見る前だ。
三件目は、午後にかけた。
「変わったことは、ありますか」
「ないです」
「では、次の確認日を入れます」
「あの」
「はい」
「これ、いつまで来るんですか」
「決まってないです」
「じゃあ、まだ順番には入ってるってことですか」
「入ってます」
「……分かりました。じゃあ、待ちます」
三分だった。
直人は、その三分を記録に書いた。
二十九件目と、同じ長さだった。
◇
右上の隅の束は、五十件のままだ。
抹消済の表示が付いても、紙は減らない。
束の厚みも変わらない。四十七件と、返事のない三件。数え方も、三ヶ月前のままだった。
◇
夕方に、査定部から内部便が来た。
簡易処理の週次の表だ。件数と、受諾率と、追跡の結果が並んでいる。
いつもどおり、直人にも写しが回る。担当ではない人が読むのを、反証確認と呼ぶ。
封を開けて、机に置いた。
一時間経って、まだ開いていなかった。
◇
その日、ストップウォッチは一度も押さなかった。
押し忘れではない。押していない。
押し忘れた回数を書く欄はある。押さなかった時間を書く欄は、作っていない。
直人は、その日の記録に一行だけ書いた。
本日、計測なし。
理由の欄は、空けたままにした。
◇
夜に、地下二階のドアが二回鳴った。
開けなかったわけではない。開いていた。
入ってきたのは篠塚で、書類を一枚持っている。
「相馬さん、これ」
「はい」
「明日、東堂さんが来るそうです」
篠塚は、そこで少し言いにくそうにした。
「事故の件、聞きました」
「はい」
「うちの担当じゃないですよね」
「担当じゃないです」
「じゃあ、なんで相馬さんに回ってくるんですか」
「断った件だからです」
篠塚は、その言い方に一度うなずいて、それからうなずき方を変えた。
「検証、やるんですよね」
「やります」
「私、何をやればいいですか」
「まだ決めてないです」
「決まったら、言ってください」
篠塚は、書類を置いて出ていった。
置いていったのは、検証の様式だった。直人が三ヶ月前に作った書式で、右上に番号が振ってある。
◇
様式の一枚目を開いた。
検証設計
一 何を見るか、先に決める
二 決めたことを、残す
三 残したものを、次の判断に使う
一番上の欄に、何を見るかを書く。
書けなかった。
書けないまま、机の上に置いた。
◇
申請書を、もう一度出した。
自由記述は五行しか書けない。この人は、二行しか使っていない。
今のままでも死にません。
でも、あと何年かは考えたいです。
その二行を写した。
写した紙を、検証設計の一枚目の横に置いた。
何を見るかは、まだ決まっていない。




