できたら、売ってください
暁星から、面会の申し込みが来た。
クランからの照会は、協会の受付を通る。地下二階まで回ってくることは、まずない。
用件の欄には、一行だけ書いてあった。
様式について。三十分いただけますか。
差出人は、黒瀬悠真だった。
◇
黒瀬は、約束の十分前に来た。
椅子は二脚しかない。直人が相談者側を勧めると、黒瀬は座る前に紙を一枚出した。
「先に、悪いほうから出します」
「はい」
「うちは、相馬さんの様式を使うのをやめます」
紙には、暁星の様式番号が振ってあった。協会のものではない。
「理由を聞いてもいいですか」
「生活条件の項目が、うちに合わないんです」
指が、項目の並びを上からなぞった。
「協会の様式は、協会の等級表と手当表を前提に作ってあります。読み上げる項目が、うちの契約と合いません」
「合わないと、どうなりますか」
「読み上げても、本人が首をかしげます。そこで四分が八分になります」
◇
「三段は、そのままです」
二枚目が、上に重なった。
何を見るか。残す。次の判断に使う。並びは同じだった。項目名だけが暁星のものに替わっている。
暁星戦術指揮 再配置確認 様式(案)
一 記録の照合 直近十二ヶ月の潜行記録/編成履歴/負傷記録
二 優先確認項目の判定
三 契約条件の確認 基本報酬・危険加算・装備負担・宿舎・移動時間
四 配置案の作成 最大三つ
三段目の名前が違う。生活条件ではなく、契約条件になっている。
協会には手当という言い方があって、暁星にはない。あるのは加算と負担だけだ。
中の項目も四つ替わっていた。住居の欄が宿舎になり、通勤時間が移動時間になっている。
直人は、その二つの言い換えを書き取った。
暁星の宿舎は、隊ごとに割り当てが違う。移動時間は、隊が動くたびに変わる。同じ言葉では聞けない。
「中身を替えて、形は残したんですね」
「形が要るところだけ、残しました」
「判断した者の欄は」
「あります。うちは、そこを消すと誰も直せなくなるので」
直人は、その一行を書き取った。
複製登録の一覧から、暁星の一件が消えるわけではない。登録は残る。
変わるのは、その横の欄だけだ。
様式A三一七 派生
登録済み 五件
現在使用中 四件
暁星版 旧版停止。独自版へ移行
登録されていることと、使われていることは、別に数える。
三ヶ月前、直人はその二つを同じ数として見ていた。
◇
「それを言いに来たんですか」
「いえ」
黒瀬は、そこで初めて座った。
「十五分の手順は、うちでも作れます」
「作ってるんですか」
「もう動いてます」
「いつからですか」
「A三一七が回ってきた週からです。三ヶ月と少しになります」
直人は、その週のことを覚えていた。置くだけです、と東堂が言った週だ。
「番号が回ってきて、その週に組んだんですか」
「うちは、使えるものは先に組みます」
「件数は」
「百三十件です。うちの登録が二百十四人なので、半分以上に当てました」
直人は、その数字を書いた。四千三十一に比べれば小さい。ただ、半分以上、というところが違う。
「うちの人数なら、十五分で足ります」
「はい」
「じゃあ、何を買いに来たんですか」
◇
「百三十件のうち、六件で、あとから本人が言ってきました」
三枚目が出てきた。
「言ってきた、というのは」
「配置が決まったあとで、実はこういう事情がある、と」
「六件とも、配置は動きましたか」
「四件は動きました。二件は、そのままです」
黒瀬は、六件の一覧を伏せたまま置いた。名前が出ない形にしてある。
「聞いていいですか」
「どうぞ」
「その六件に、共通するものはありましたか」
「探しました」
黒瀬は、そこで一度、言葉を切った。
「出ませんでした」
◇
「等級も違います。年数も違います。生活条件の欄も、六件とも埋まってました」
黒瀬は、伏せた一覧の上に、別の紙を重ねた。名前を外して、分布だけにしたものだ。
あとから申し出があった六件 分布
等級 A一件/B二件/C二件/D一件
年数 三年から十四年(中央値 七年)
処理にかかった時間 十一分から十六分
電話がつながるまで 全件、一回目
配置案の受諾 六件とも受諾
百三十件全体の分布も、その下に並べてあった。
等級の割合も、年数の幅も、ほとんど同じだった。六件だけが偏っているところが、一つもない。
指が、一覧の端で止まった。
「埋まっているのに、足りなかったんです」
「はい」
「事前に、この六件を拾う方法が、うちにはないです」
直人は、聞き方を変えた。
「六件のあと、様式は変えましたか」
「変えてないです」
「変えられなかったんですか」
「何を足せばいいかが、出なかったので」
黒瀬は、そこで初めてこちらを見た。
「相馬さんのところは、二十二件のうち、あとから見ていなかった条件が出たのは何件ですか」
「一件です」
「一件で、欄が二つ増えたんですよね」
「増えました」
「うちは六件出て、一つも増えてないです。三ヶ月やってです」
◇
直人は、その差がどこから出たのかを考えた。
戸松の件は、配置が間違っていたわけではない。整備の仕事は、本人に向いていた。
見ていなかったのは、住むところのほうだ。
欄が二つ増えたのは、直人が会いに行ったからだった。物流倉庫の休憩所で、二十のことを聞いている。
黒瀬の六件は、電話で足りている。足りてしまったから、聞きに行っていない。
「六件に、会いましたか」
「会ってないです」
「なぜですか」
「配置が決まって、本人も納得しているので。会う理由が、書式の上にないんです」
◇
「全員を見る方法は、要らないんです」
黒瀬は、そう言った。
「はい」
「うちは二百十四人です。全員に三時間は、どうやっても無理です」
「無理です」
「欲しいのは、見るべき人だけ拾う方法です」
直人は、すぐには答えなかった。
三ヶ月前なら、全員に会えばいい、と答えていた。二十二件のときは、それで通っていた。
二百十四人では通らない。四千三十一人では、もっと通らない。
「持ってないです」
「作ってないんですか」
「作れてないです」
黒瀬は、うなずいた。怒った顔でも、失望した顔でもなかった。
「じゃあ、できたら売ってください」
◇
「一つ、聞いていいですか」
「どうぞ」
「俺のとき、記録を見るのに何時間かけました」
「十三時間です」
黒瀬は、その数字を復唱しなかった。
「十五分だったら、味方の人数で並べるところまで行きましたか」
「行ってないです」
「……はい」
「敵の種類で並べて、階層でやって、時間帯と装備と同行クランもやりました。全部だめでした」
「そのあとですか」
「四日目の朝です」
黒瀬は、机の縁を見ていた。
「十五分だと、一回目で終わりますね」
「終わります」
◇
「値段を聞いてもいいですか」
直人が聞くと、黒瀬は少し考えた。
「うちの六件ぶんです」
「それは、いくらですか」
「分からないです。まだ辞めてないので」
◇
帰りぎわに、黒瀬は一度だけドアの上枠を見た。辞表を持って来た日と、同じ癖だった。
「うちの十五分版は、いい手順です」
「はい」
「うちの十五分版だったら、俺は今も前に出てます」
「……はい」
「だから、六件が気になるんです」
◇
直人は、机に戻って、黒瀬のファイルを出した。
面談の記録は、二枚しかない。話したのは、二日を合わせて一時間ほどだ。
厚いのは、そのあとに綴じた分析のほうだった。
百九十七件。各任務の初弾だけを拾って、秒数と、周囲にいた味方の人数を並べてある。
並べ替えの過程も、そのまま残っていた。
敵の種類 出ない
階層 出ない
時間帯 出ない
装備 出ない
同行クラン 出ない
味方の人数 ――
六番目の横だけ、線が引いてある。四日目の朝に引いた線だ。
黒瀬にかけたのは、時間ではなかった。回数だった。
同じ百九十七件を、六回並べ替えている。
◇
白紙を一枚出した。
見るべき人を拾う条件。そう書いて、その下に一行も書けなかった。
六回目をやったのは、五回目までで何も出なかったからだ。
何も出ないことが、続ける理由になっている。ふつうは逆だ。五回だめなら、そこで畳む。
五回で畳まなかった理由は、記録のどこにも書いていない。
三年間、直人はそれを毎回その場で決めている。決め方を、一度も紙にしていない。
黒瀬が欲しがっているのは、たぶんそこだ。
十五分に足りないぶんではなく、どこで手を止めないと決めるか、のほうだ。
直人は、その紙を裏返して、机の端に置いた。
裏返したのは、書けなかった紙を捨てないためだった。捨てると、書けなかったことも残らない。
ストップウォッチを押した。
名前のない時間が、また始まった。
◇
その夜、端末に一行だけ返信を出した。
宛先 救難管制室 水瀬玲奈
来週の火曜、六卓を見せてください。
朝から夕方まで、置いてもらえると助かります。
返事は、五分で来た。
どうぞ。
その日、たぶん重なります。




