十五分でできます
地下二階の椅子が、四脚から二脚に戻った。
総務が二人で来て、古いほうを二脚、台車に載せていった。
試験運用の終了に伴う備品の整理、という紙が一枚ついている。判定の三日後だった。
「まだ三ヶ月あるんですけど」
直人が言うと、若いほうが台帳を見た。
「備品は期間で切るので」
「はい」
「戻すときは、また申請してください」
残ったのは、三年前からある二脚だ。
相談者用と、直人用。増える前の形に戻っただけだった。
◇
宇野の机も、その週のうちに運び出された。
運んだのは宇野本人だ。来たときと同じで、台車も自分で押していった。
机がなくなると、部屋は少し広くなった。会議机はまだ二つある。
直人は、その広さを見ながら、東堂の最後の質問のことを考えていた。
――君がいなくても回る形を、君は見たことがありますか。
見たことはある。玲奈が置いていった六卓の束だ。
六人で回している。書き方が決めてあるので、誰が書いても同じになる。
問題は、直人の仕事のうち、書き方を決められた部分が三時間四十分しかないことだった。
◇
宇野が地下二階へ来たのは、それから六日後だった。
持っているのは紙が二枚。ノックはしないで、開いていたドアから入ってきた。
「先に見せに来ました」
「はい」
「東堂さんには、明日出します」
宇野は、一枚目を机に置いた。
◇
再配置相談 簡易処理手順(案) 適性査定部
所要 一件あたり十五分
一 記録の照合 六分
査定二回分/直近十二ヶ月の潜行記録/所属履歴/負傷記録
二 優先確認項目の判定 三分
三 生活条件の確認 四分
額面・手当・補助・住居・通勤時間を、本人に電話で読み上げて確認する
四 配置案の作成 二分
職種別の一覧から、条件に合うものを最大三つ出す
※面談は行わない。
※本人が希望した場合に限り、面談を行う(三時間)。
※判断が割れた場合は、両案を併記する。
※判断した者の氏名を、各件に記載する。
◇
直人は、上から二度読んだ。
削られているのは、面談だけだった。
優先確認項目は残っている。生活条件の欄も残っている。判断が割れた場合の併記も、判断した者の氏名も残っている。
三ヶ月かけて足した欄が、一つも落ちていない。
落ちているのは、三時間だけだ。
「生活条件、電話で聞くんですか」
「聞きます。読み上げて、違ったら言ってもらいます」
「言わない人がいます」
「います。だから、言わなかった記録も残します」
宇野は、そこを先に潰してきた。
「面談の項目も、二枚目に入れてあります」
「入れて、やらないんですか」
「やるのは、本人が希望した場合だけです」
◇
直人は、反論を探した。
三十分探して、一つも出なかった。
欄を削ったなら言える。判断した者の氏名を消したなら言える。
どれも消えていない。消えたのは、直人が一番大事にしてきたものだけだ。
「聞いていいですか」
「どうぞ」
「なぜ面談を残さなかったんですか」
「時間だからです」
宇野は、もう一枚を机に滑らせた。
◇
一次処理の見込み(一名あたり)
一日のうち、一次処理に充てられる時間 四時間
一件十五分 = 一日十六件
週五日 = 週八十件
十三週 = 千四十件
電話が通じない件、面談を希望する件を差し引き 二割減
三ヶ月の一次処理見込み 八百件
※一次処理は、記録の照合から案を三つ出すところまでを指す。
※配置先との連絡、差戻し、本人からの質問、上司の確認は含まない。
「一次処理だけなら、一人で八百件です」
宇野は言った。
「一次処理」
「記録を照合して、案を三つ出すところまでです。そのあとの調整は入っていません」
「入っていないのは」
「配置先との連絡、差戻し、本人からの問い合わせ、上司の確認。全部、外です」
「それを足すと」
「まだ数えてないです。数えてから出します」
◇
直人は、その数字を三度見た。
東堂の一つ目の質問が、そこにあった。
三ヶ月前、直人が答えられなかった質問だ。四千人を、君は何人で見るんですか。
「五人置けば四千件、とは書かないんですね」
「一次処理だけなら、書けます。それ以外は、まだ書けないです」
「一つ目の質問の、半分に答えが出てます」
「半分です」
宇野は、そこは黙らなかった。
「私は、三ヶ月で二十二件でした」
「二十二件です」
「同じ数え方をすると、四千件なら百八十三人要ります」
「……はい」
「今のは参考値です」
「参考値」
「相馬さんの二十二件は、配置先との調整まで終わった件数です。私の八百件は、案を三つ出すところまでです。工程が違うので、本当は並べられないです」
「並べたのは」
「並べないと、何倍かが言えないからです。一次処理だけで揃えた数字は、まだ出してないです」
◇
「これ、東堂さんに出したら、通りますね」
「通ると思います」
「窓口は、もう閉じてます」
「閉じてます」
「三ヶ月後に、支援室を常設にする理由がなくなりますね」
「なくなります」
宇野は、紙を揃えた。
「言いに来たのは、そこじゃないです」
「はい」
「相馬さんが作った欄を、全部使っています」
宇野は、一枚目の下のほうを指した。
「この様式の番号、A三一七の二です。親番号は三一七です」
「三一七は」
「あなたが三ヶ月前に作った、受付順位の基準です」
◇
直人は、その番号を書き取った。
三ヶ月前、東堂が右上に振った番号だ。査定部の様式フォルダに置くときに付けられた。
置くだけです、と東堂は言った。見る人は三年に一度くらいです、とも言った。
「参照回数、見られますか」
「見られます」
宇野は、端末を出した。
様式 A三一七 登録から三ヶ月
参照 四十一回
複製登録 五件
「五件、というのは」
「五ヶ所で、別の番号を取って登録されてます」
宇野は、画面をこちらへ向けなかった。読み上げただけだった。
「救難管制。様式名は、応答時間の記録票です」
「はい」
「暁星戦術指揮、配置替えの理由記録。災害対策室、重複要請の受付順位表。提携医療機関、施術の割り振り表」
「あと一件は」
「ゲート前の装備検査所です。滞留記録、という名前になってます」
◇
直人は、その五つを紙に書いた。
三ヶ月前に玲奈がノートに書いてきた五つと、同じだった。
玲奈は歩いて集めた。宇野は端末で数えた。同じ五つが出た。
「五件目は、若宮さんですか」
「そうです。先月、登録されてます」
「中身は」
「三段のうち、二段までです。使い道の段が空欄のまま登録されてます」
宇野は、端末を閉じた。
「これ、増えます。私の簡易版を出したら、たぶん一気に増えます」
「はい」
「増えたら、親番号のほうも参照が増えます」
◇
「相馬さん」
「はい」
「あなたの手順は、残ります」
宇野は、そこで初めて座った。二脚しかない椅子の、相談者側のほうだった。
「残るのは手順です。窓口ではないです」
「東堂さんも、同じことを言いました」
「同じことを言うようにできてます。私が三ヶ月見たので」
宇野は、両手を膝に置いた。
「平川さんの件のとき、私、言いましたよね」
「はい」
「一件で二人がかりですね、四千人います、って」
「言いました」
「あのとき、あなたは答えなかったです」
「答えられなかったです」
「私も答えられなかったです。だから、作りました」
◇
その日の夕方、救難管制から返信が来た。
六日前に出した照会の返事だ。差出人の欄は、部署名ではなく個人名になっている。
差出 救難管制室 水瀬玲奈
様式番号は、ないです。
決め方は決まってますけど、書いたものがありません。
卓に座ってる人が、その場で決めてます。
書いてないので、送れないです。すみません。
直人は、その四行を二度読んだ。
読んでから、宇野が読み上げた五つを書いた紙を、横に置いた。
救難管制 応答時間の記録票
登録されているのは、卓ごとの応答時間の記録だ。要請者の語数と、返答までの秒数。
直人が照会に書いたのは、そちらではない。同時に三件入ったときに、どの現場へ先に人を出すか。
同じ部署の、別の仕事だった。
片方は書いてある。書いてあるから、番号が付いて、他所で複製されている。
もう片方は、毎日やっているのに、一行も書かれていない。
救難管制は、同時に三件来ても、順番をつけて人を出している。
決まっているのに、書いてない。
直人の四時間二十分と、同じ形をしていた。
◇
返信の一番下に、一行だけ足してあった。
見に来ますか。
直人は、返事を書きかけて、消した。
見に行くのは簡単だ。見に行って何を見るのかを、先に決めていなかった。
三段のうちの一段目だ。何を見るかを、先に決める。
直人は、その一行を書いてから、日程の調整だけ返した。
◇
その週のうちに、直人は文具店でストップウォッチを買った。
三ヶ月、宇野が机に置いていたのと同じ形のものだ。千二百円だった。
書けない四時間二十分を、まず数えることにした。
何に使ったかを書けないなら、何分使ったかだけでも残る。
初日は、押し忘れが四回あった。
二日目に、押し忘れた回数を書く欄を作った。
◇
宇野が帰ったあと、直人は引き継ぎ対象の十六件から一枚抜いた。
受付番号は五十三番。八十七件が届いた週に受け付けた紙だ。
索敵C。六年目。本人に確認中の八件のうちの一枚で、優先確認項目は、生活の維持が困難になっている。
三時間の面談は、まだやっていない。順位を付けたまま、査定部へ渡ることになっている。
直人は、簡易処理手順の紙を横に置いて、上から順にやってみた。
記録の照合に、七分かかった。慣れていないぶんだ。
優先確認項目の判定は、二分で出た。
生活条件の確認は、電話がつながった。読み上げるだけだ。
「額面が、月に二十九万四千。危険手当が三万八千。装備補助が協会負担で半分。
住まいは借上ではなく、ご自身の契約。通勤が、片道三十五分。合っていますか」
「合ってます」
「変わる予定のあるものは」
「ないです」
「今日中に思い出したら、この番号にください」
「はい」
四分で終わった。
三時間の面談で聞くのと、同じことが返ってきた。違うのは、それ以外を聞かなかったことだけだ。
配置案は、職種別の一覧から三つ出した。
所要 十六分
◇
出た三つのうち、一番上を見た。
記録だけを読んだ時点で、直人が第一候補に置いていた案と同じだった。
この人とは、まだ話していない。話したら変わるのかどうかも、まだ分からない。
直人は、その紙をしばらく持っていた。
それから、面談の記録用紙を出して、日付だけ書いて、置いた。
記録を読んで、案を三つ出すところまでなら、十五分でできる。
三時間かけていたのは、その先だ。
その先で何が出ていたのかを書く欄は、どの様式にもなかった。




