あなたが知らなさすぎるんです
三ヶ月ぶんの記録は、段ボール二箱になった。
一件あたりの手順記録が、平均で十九枚。試験運用を始めたころより、五枚増えている。
増えたぶんは、全部、欄が増えたぶんだった。
直人は、二箱を台車に載せて十七階へ上がった。
◇
会議室には、四人いた。
東堂。宇野。片桐と、篠塚。
机の上に、直人は一枚だけ先に出した。
試験運用 三ヶ月 結果
枠 三十件 = 配置案を提示 二十二件 + 未使用 八件
提示二十二件 = 本人が受けた十九件 + 本人が断った三件
十九件 = 継続中十七件 + 離職一件 + 試験配置の終了一件
(枠を消費しない件)
判断保留 四件(若宮蓮を含む)
配置の変更を伴わない件 一件(神崎遼・別記)
「八件、余っていますね」
東堂が最初に言ったのは、そこだった。
「余りました」
「五件は、新規のために空けたと聞きました」
「三件来ました。二件は、空いたままです」
「残りの六件は」
「配分した二十件のうち、六件まで届きませんでした。読む時間が足りなかったです」
直人は、そこは言い換えなかった。
「余った八件は、順番を待っていた人が八人いた、ということです」
東堂は、そこで一度、手を止めた。
「六件は、もう選んであったんでしょう」
「選んであります。順番も付いています」
「なら、入れられましたよ」
「入れることはできました。確認の工程を、途中から短くすれば」
「短くしなかった」
「前半と後半で、条件が変わるので」
「変わると、何が困りますか」
「先の十四件と、あとの六件を、同じ結果として比べられなくなります」
直人は、そこは言い方を選ばなかった。
「六人は、待たせたままです。工程を守ったせいで待たせました」
「それは、あなたの都合ですか」
「三ヶ月後に検証する側の都合です」
東堂は、その紙に何か書き足した。何を書いたかは見えなかった。
◇
「では、始めます」
東堂は、手帳を開いた。
「試験運用を始めたときと、同じ質問を四つします」
◇
「二つ目からいきます。あなたと同じ判断ができる人を、どうやって育てますか」
直人が口を開く前に、宇野が資料を出した。
「私が答えます」
東堂は、止めなかった。
「三ヶ月で、手順書は十四行になりました。足りません」
「はい」
「二時間十一分ぶんの説明が、十四行です。全然足りないです」
「十四行の内訳は」
「相馬さんが書いたのが一行。私が書いたのが九行。相談者から出たのが四行です」
東堂は、そこで顔を上げた。
「相談者から」
「一人です。平川湊さん。書いたつもりはないと思います。研修資料に書いたことを、こちらが写しました」
「一行しかないんですね。相馬さんの」
「一行です。二行目からは、本人が言ったことです」
宇野は、次の紙を出した。
「ただ、私が同じ手順で面談をやると、相馬さんと同じ結論になる件と、ならない件があります」
「割合は」
「十一件やって、七件は同じでした。四件は違いました」
宇野は、そこで一度、資料の端を揃えた。
「大事なのは、そこじゃないです」
「言ってください」
「どの四件が違うかを、私は事前に言えるようになりました」
東堂の手が、止まった。
「事前に」
「面談を始める前にです。この件は割れる、と分かります。割れると分かっていれば、両方書けます」
宇野は、最後の一枚を出した。様式の写しだ。結論の欄が、二つある。
「同じ判断ができる人を作るのは、たぶん無理です。私は無理でした」
「はい」
「割れても止まらない手順なら、作れました」
東堂は、十一という数字のところに指を置いた。
「十一件では、再現性があるとは言えません」
「言いません」
宇野は、そこは引かなかった。
「再現できたとは書いていないです。割れたときに止まらない書式が残せた、と書きました」
「その二つは違いますか」
「違います。前者は、あと何十件か要ります。後者は、今日から使えます」
東堂は、様式の写しを手元に引いた。
「割れた四件は、どうなりましたか」
「三件は、本人がどちらかを選びました」
「残りの一件は」
「二つとも要りました」
宇野は、平川の配置条件の写しを重ねた。
「置き場所は、私の記録から出ています。口頭説明を外す条件は、相馬さんの面談から出ています」
「片方だけなら」
「同じ問題が、もう一度出ていたと思います」
◇
「三つ目。二つの案が、どちらも安全だと、誰が保証しますか」
「保証はしていません」
直人は、三隅の紙を出した。
「保証のかわりに、取り返せる範囲を決めました」
撤退条件 本人が書く
安全停止 現場責任者が持つ。本人の同意は要らない
登録 変更しない
終了時 同じ班に残る
「本人が決めたのは、失敗と認める条件までです。危ないときに止める権限は、渡していません」
「渡さなかった理由は」
「本人に渡すと、誰も止められなくなるので」
東堂は、その紙を二度読んだ。
「結果は」
「三ヶ月やって、本人が戻ると言いました。撤退条件には達していません」
「では、失敗ですか」
「分からないです。ただ、四回目の却下にはなりませんでした」
◇
「四つ目。判断のどこが間違っていたのか、あとから再現できますか」
「できます」
直人は、戸松の検証記録を出した。
「先週やりました。第三者三人が同じ配置を出しました。判断は間違っていません」
「では、何が間違っていましたか」
「設計です。生活を見ていませんでした」
直人は、追加した二欄の紙を重ねた。
「どこで間違えたかを、二欄で言えます。どちらも、次の件から使えます」
「一件失って、二欄増えたと」
「はい」
東堂は、紙から目を上げた。
「戸松さんの件を、成果に入れますか」
「入れます。失敗の側に入れます」
「入れる理由は」
「入れないと、次の人のときに同じことをするので」
◇
「では、一つ目です」
東堂は、手帳を閉じた。
「昨年度、困っていた人は四千三十一人です」
「はい」
「三ヶ月で、二十二件でした」
「はい」
「四千人を、君は何人で見るんですか」
直人は、答えを探した。
探しても出ないことは、途中で分かっていた。
試験運用を始めた日と、同じところに立っている。
◇
ノックが二回あった。
入ってきたのは玲奈だった。救難管制の制服のままで、手に大学ノートを一冊持っている。
「すみません、遅れました」
東堂が椅子を指した。
「呼んだんですか」
直人が聞くと、東堂は首を振った。
「彼女から、時間をくれと言われました。三日前です」
◇
玲奈は、ノートを開いて机に置いた。
中は、直人の記録ではなかった。
救難管制 六卓
見るもの 要請者の語数と、こちらの返答までの秒数
残す 卓ごとに、日ごとに
使う 次に誰を先に出すかの順番
「これ、四ヶ月前から続いてます。六卓ともです」
ページの端に、日付ごとの数字が細かく並んでいた。
卓の番号と、要請者の語数と、返答までの秒数。同じ書き方が、何十日ぶんも続いている。
最初の数日だけ、字が違った。玲奈以外の誰かが書いている。
直人は、そのページを見た。
八十七件が届いた週の朝に、玲奈がドアのところで言った言葉を思い出した。あれ、まだ続いてます、六卓とも。
「頼んでないです」
「頼まれてないです」
玲奈は、次のページをめくった。
暁星戦術指揮 黒瀬悠真
見るもの 配置を変えた理由
残す 配置替えの記録として
使う 次の編成に
「書式番号だけ聞かれましたよね」
「……聞かれました」
「あれ、クランの標準様式になってます」
◇
三ページ目に、名前が入っていなかった。
災害対策室
見るもの 要請の内容と、重複した時間帯
残す 記録として
使う 次の優先順位に
「これ、誰ですか」
直人が聞くと、玲奈は首を振った。
「分からないです。部署名しか出てこないので」
「出どころは」
「救難管制に、様式の照会が回ってきました。うちにも聞いてきてます」
片桐が、そこで初めて口を開いた。
「あれ、うちにも来た。神崎のところの誰かだろ」
◇
四ページ目は、志水千夏だった。
提携医療機関
見るもの 施術の順番と、同時に呼ばれた回数
残す 割り振り表として
使う 次の予約順に
「これ、追跡票の余白に書いてあったやつです」
「読んだんですか」
「読みました。写しが管制にも回ってくるので」
◇
五ページ目で、玲奈の手が止まった。
ゲート前 装備検査所 若宮蓮
見るもの 線の手前で三秒以上止まった人
残す 通行証番号と、秒数
使う
三段目が、空欄だった。
「若宮さんのだけ、まだ使い道が書いてありません」
「……はい」
「聞きました。まだ決めてないそうです」
◇
玲奈は、五ページを並べて置いた。
「相馬さんは一人です」
東堂のほうを見ずに、そう言った。
「でも、手順は五ヶ所にあります」
◇
東堂は、五枚をゆっくり順番に読んだ。
読み終わるまで、誰も何も言わなかった。片桐が椅子を鳴らしそうになって、途中でやめた。
「四つは、同じ形をしています」
東堂は、指で三段を上から下へなぞった。
「何を見るかを先に決めて、残して、次の判断に使っている」
「はい」
「残り一つも、二段目までは同じです」
東堂は、若宮のページをもう一度開いた。
空欄の三段目を、しばらく見ていた。
「……偶然で五ヶ所に同じ手順が生まれたとは、考えにくいですね」
◇
「制度と呼べるかもしれません」
東堂は、そう言った。それから、すぐに付け足した。
「呼べるかもしれない、です。呼べる、とは言っていません」
「はい」
「五ヶ所で回っていることと、四千人に届くことは、別です」
「別です」
東堂は、五枚を揃えて玲奈に返した。
「持ち帰ります。判定は、来週出します」
◇
「一つだけ、質問していいですか」
東堂が立ち上がる前に、直人がそう言った。
「どうぞ」
「なんで、みんな勝手に始めてるんですか」
東堂は答えなかった。
答えたのは、玲奈だった。
「あなたが知らなさすぎるんです」
◇
会議室に残ったのは、二人だった。
玲奈は、ノートを閉じずに机に置いたままにしている。
直人は、五ページを最初から見直した。二回見て、それから顔を上げた。
「水瀬さん」
「はい」
「私の名前、ないですね」
「はい」
玲奈は、ノートの新しいページを開いた。
一番上に、名前を一つ書いた。
相馬直人 未定
「まだ、誰も見つけてないので」
◇
直人は、その一行を見ていた。
見るもの。残すもの。次の判断に使うもの。
一つ目と二つ目は、他人についてなら三年やっている。
三つ目も、他人についてならやっている。配置に使ってきた。
自分については、一つ目から書けなかった。
何を見ればいいのかが、決まっていない。決まっていないから、次の判断に使いようがない。
机の一番下の引き出しに立ててある封筒と、同じだった。
中は異動希望調査票で、第一希望の欄は三年ぶん白紙のままだ。欄はある。空いている。
今日、初めて、他人の字でそこに一行入った。
「水瀬さん」
「はい」
「これ、写していいですか」
「どうぞ」
「何に使うかは、まだ決めてないです」
玲奈は、ペンを置いた。
「知ってます」




