それ、どこに書いてありますか
ストップウォッチの音が、面談中に二回鳴った。
押したのは直人ではない。
四脚のうち一番奥の椅子に座っている女が、開始と終了で一回ずつ押していた。
◇
その前の週に、十七階で話がある、と呼ばれていた。
「三ヶ月、君の手順を全部見せてください」
「監査ですか」
「両方です」
東堂は、机の上に人事の紙を一枚置いていた。
「前に、十人育てられますかと聞きました」
「はい」
「一人からです」
直人は、紙の名前を見た。宇野瑠衣。適性査定部、着任三年目。
「一つ、先に言っておきます」
「はい」
「彼女は、君のやり方に反対しています」
「……はい」
「反対していない人を寄越すと、何も出ないので」
◇
宇野瑠衣が地下二階に来たのは、その週の月曜日だ。
机は自分で運んできた。総務にも通していた。
挨拶は十秒で終わって、それから質問が始まった。
「面談は三時間ですか」
「そのくらいです」
「査定部なら十五分です」
「はい」
「そのぶん、何が取れてるんですか」
直人は、答えるまでに間があいた。
「……順番に聞くので」
「順番は資料にありますか」
「あります」
「見せてください」
宇野は、その資料を三十分で読んだ。
読み終わって、最初に言ったのがこれだった。
「二時間四十五分ぶん、資料に書いてないです」
◇
宇野の口癖は、三日で分かった。
――それ、どこに書いてありますか。
直人が「たぶん」と言うたびに出る。一日に四回か五回だ。
直人は、四回目からその回数を記録に書き始めた。
書き始めたことは、言わなかった。
◇
二十枠の四件目は、平川湊という男だった。
二十九歳。索敵B。七年目。
能力ランクも、査定も、実績も、どこにも問題がない。
問題は、所属の履歴だった。
七年で、七つの隊にいる。
うち四回、隊のほうから外されている。理由の欄は、四回とも空白だった。
「四回とも空欄なら、書きたくない理由があるってことですよね」
宇野は、申請書を見ながら言った。
「そう読めます」
「読めるだけですよね」
「はい」
◇
面談は、二時間半で終わった。
平川は、話しやすい人だった。
こちらの質問に、必ず数を添えて返してくる。
「そのときは、三人でした」
「はい」
「二回目です。一回目は、その前の月です」
「はい」
途中で三回、平川はこちらの顔を見て止まった。
「今の、分かりました?」
「分かりました」
「じゃあ次なんですけど」
三回とも、直人が答えるまで先に進まなかった。
二回目までは、丁寧な人だと思っていた。
三回目で、直人はペンを止めた。三回とも、こちらは分かると言っている。それでも確認が入る。
◇
「外されるとき、何か言われましたか」
直人が聞くと、平川は少し考えた。
「一回だけ、言われました。四年目のときです」
「なんて」
「――お前が喋ってると、決まらない」
平川は、それを笑って言った。
「意味が分からなくて。報告してるだけなので」
「そのあと、報告を減らしましたか」
「減らしました。三ヶ月くらい」
「それで」
「戻しました。減らしたら、見落としが出たので」
「見落としは、何件ですか」
「二件です。一件は、隊長に言われました。もう一件は、自分で気づきました」
数が、また添えられた。
◇
宇野は、面談のあいだ一度も口を挟まなかった。
書いていたのは、直人の質問だけだ。平川の答えは一行も取っていない。
あとで見せてもらうと、質問の横に秒数が振ってあった。何を聞くのに何秒かけたか、という記録だった。
二時間半のうち、直人が話していたのは十九分だと書いてあった。
「二時間十一分、聞いてますよね」
「聞いてます」
「聞いてるあいだ、何かしてますか」
「待ってます」
「待つのが手順ですか」
「はい」
「じゃあ、待ち方も書いてください。それがないと、誰もできません」
直人は、その日の手順記録に一行足した。
――相手が言い終わってから、二秒空ける。
書いてみると、三年やっていたことのわりに、短い一行だった。
これで二時間十一分が書けたわけではない。一つ目が書けただけだ。
宇野は、その行の頭に番号を振った。
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二を書くのは直人だ、ということらしかった。宇野は、番号だけ振って帰った。
◇
直人は、平川の索敵報告と、隊の行動記録を突き合わせた。
平川が報告を入れてから、隊が次の動作に移るまでの時間。
平均で、四十一秒だった。
同じ階層、同じ規模の隊で、索敵Bの平均は十九秒。
報告の内容は正しい。正しくて、長い。
前で待っている人が、決めるまでに時間がかかる。
◇
「その四十一秒と十九秒、条件そろってますか」
宇野が言った。ストップウォッチは机に置いてある。
「階層と隊の規模は、そろえました」
「隊長は」
「……そろえてないです」
「判断の速い隊長と遅い隊長がいたら、四十一秒は平川さんの数字じゃなくなりますよ」
直人は、ペンを持ち替えた。
「そろえ直します」
「もう出しました」
宇野は、印刷したものを机に置いた。
「同じ隊長が指揮した潜行だけに絞りました。平川さんが平均四十一秒、ほかの索敵Bが二十四秒です」
「……縮みましたね」
「縮みました。消えてはいません」
直人は、その紙を見た。
「……ありがとうございます」
「業務です」
東堂と同じ返し方だった。
「それと、一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「面談で取れたものは、この四十一秒に入ってますか」
「入ってないです」
「じゃあ、まだ何も証明されてないですよね」
◇
直人の案は、その日のうちに書けた。
平川湊 再配置案(相馬)
現状 索敵Bとして正確。ただし報告が長く、隊の判断を遅らせている
案 単独行動の比率が高い職へ移す
深層の事前踏査、または単独斥候
根拠一 報告から隊が動き出すまでの時間
同一隊長の潜行に絞って比較 平川 四十一秒/ほかの索敵B 二十四秒
根拠二 面談中、相手が理解したことを確認してから進む動作が三回
三回とも、直人は「分かりました」と答えている
宇野は、それを読んで、一度だけうなずいた。
「面談の三回、記録に残ってるんですか」
「残しました。時刻も」
「じゃあ、根拠です」
それから、自分の紙を出した。
◇
平川湊 再配置案(宇野)
案 新人教育用の研修資料・手順書の作成
「新人教育、ですか」
直人は、顔を上げた。
「根拠、二つあります」
宇野は、一枚目を指した。
「外された四回の日付です。四回とも、隊に新人が入った三週間後でした」
「四回中、四回」
「はい。母数を出します。所属した隊は七つ。新人が入ったのは五つ。そのうち四つで外されています」
「残りの一つは」
「隊が解散しました。データがありません」
「新人が入らなかった二つは」
「外されていません。片方は現在の所属です」
直人は、数え方のほうを先に確かめた。
「新人の定義は」
「登録から一年未満で、その隊に初めて入った人です。定義も紙に書いてあります」
宇野は、二枚目を出した。
◇
「これが二つ目です」
紙には、平川の報告書の文字数が並んでいた。
新人加入前 平均 四百二十字
新人加入後 平均 千三百字
「三倍です。増えたぶんを分類しました。全部、新人からの質問への回答でした」
「回答かどうかは、どこで分けましたか」
「報告書に質問者の登録番号が入っている段落だけを抜きました。入っていないものは数えていません」
「新人がいない時期に、質問への回答はありますか」
「あります。月に一段落か二段落です。増え方が違います」
宇野は、そこで初めて椅子に座り直した。
「新人が嫌いなんじゃないです。教えすぎる人です」
◇
「これ、新人に教える仕事ではないんですね」
直人が聞くと、宇野は首を振った。
「教える役だと、現場でまた教えすぎます」
「同じ職場には入りますよね」
「入ります。ただ、人に付きません。書くだけです」
宇野は、紙の余白を指で叩いた。
「細かく書く癖は、前線だと邪魔です。資料だと、足りないほうが問題になります」
直人は、その一行を書き取った。
欠点が能力に変わったわけではない。
邪魔にならない場所へ、移しただけだ。
◇
「一つ、聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「平川さんに、新人のこと、聞きましたか」
宇野は、少しのあいだ返事をしなかった。
「聞いていません」
「理由は」
「聞くと、答えが変わるので。本人が自分の理由を作ってしまいます」
「変わるかもしれないです」
「変わったら、記録と合わなくなります」
「合わないほうが、材料が増えます」
宇野は、ストップウォッチを指で回した。
「それ、どこに書いてありますか」
「書いてないです」
「じゃあ、手順じゃないですよね」
「はい」
直人は、そこは認めた。
「手順じゃないです。だから、書き足すことになると思います」
◇
二つの案が、机に並んだ。
直人の案は、面談から出ている。
宇野の案は、記録から出ている。
三年間、直人は記録を読む側だと思っていた。
同じ記録から、直人が出さなかったものが出ている。
「決めましょう」
宇野が言った。
「どっちが正しいか、決めないと出せません」
「今日は決めないです」
「明日ならいいんですか」
「明日も決めないと思います」
「三ヶ月見せてもらう約束なんですけど、一件目で止まりますよ」
「はい」
宇野は、ストップウォッチを鞄に入れて、机の紙を揃えた。
帰りぎわに、一度だけ振り返った。
「私の案が通ったら、あなたの三時間は要らないってことになりますよ」
「なります」
「それでいいんですか」
「よくないです」
◇
宇野が帰ったあと、直人は書式を開いた。
結論の欄は、一つしかなかった。




