見つけなかった人
若宮蓮の書類は、真ん中の山の下から七枚目にあった。
真ん中の山は、決まっていない人の山だ。いま、十四人いる。
月に一度、登録記録の更新だけを流し見る。本人には会いにいかない。材料が増えていなければ、会っても同じ話になる。
その月の更新で、一行だけ動いた人がいた。
◇
協会の登録記録を出した。
左腕の固定は外れている。復帰の可否は、医師の診断で「支障なし」。
潜行の記録は、事故のあと一件もない。
最後の行に、直人の知らない情報が入っていた。
就労 協会業務委託 装備検査補助(有期・来年三月まで)
配置したのは直人ではない。
配置した人が、記録のどこにもいなかった。
◇
ゲート前の装備検査所は、朝の七時が一番混む。
直人が着いたのは八時過ぎで、列はもう短くなっていた。
若宮は、折りたたみの机の向こうに立っている。制服ではなく、貸与のベストを着ていた。
ゲートを通る人には、全員に通行証番号がある。探索者は登録番号がそのまま使われて、職員は職員番号が使われる。
若宮は、通る人の装備を見て、その番号を読み上げて、次に進める。一人あたり、四十秒くらいだ。
三十分見ていて、若宮が止めたのは一件だけだった。
固定具の型番が申請と違う、と言って、書き直させていた。相手はいい顔をしなかった。
若宮は、通した。書き直させてから通した。
「相馬さん」
列が切れたところで、先に気づかれた。
「潜るんですか」
「見学です」
言ってから、それが玲奈の言い方だったことに気づいた。
◇
検査所の主任は、五十くらいの女だった。
直人が用件を言うと、名簿を出す前に一つ聞かれた。
「あの子、何かやりました?」
「何もないです。うちで、まだ配置が決まっていない人なので」
「決まってないのに働いてるんですか」
「はい」
主任は、名簿を戻した。
「募集は年中出してます。誰も来ないので」
「なぜ来ないんですか」
「潜れる人は潜るからです。ここは、潜らない人の仕事なので」
直人は、その言い方を書き取った。
「若宮さんは、なぜ採ったんですか」
「来たからです。それだけ」
主任は、壁の当番表を指した。
「潜れなくなった子が、ゲートの前に立ちたがるんですよ。よくあります」
「よく、ですか」
「三年で四人来ました」
「今は」
「いません。四人とも、三ヶ月くらいでいなくなりました」
直人は、その数字を書いた。
「辞めた理由は、聞きましたか」
「聞いてないです。有期なので、切れたら終わりなんです」
◇
休憩は九時から十五分ある。
二人は、検査所の裏の階段に座った。ゲートの音が、壁越しに低く響いている。
「ここ、誰に言われて来たんですか」
「誰にも言われてないです。募集が貼ってあったので」
「貼ってあった」
「地下二階の廊下です。掲示板の、一番下のやつ」
直人は、その掲示板を三年間見ている。
貼ってあったのは覚えていた。誰も応募しない求人だと思って、それで終わっていた。
「潜れないままですか」
「潜れないです。ゲートの、線のところで止まります」
「線」
「床に白い線が引いてあるでしょう。あそこです」
若宮は、その方向を指さす手つきをして、途中でやめた。
「毎日、十回くらい行きます。行って、戻ってきます」
「戻る理由は、決めてますか」
「決めてないです。足が向かないだけなので」
◇
直人は、いつもの順番で聞いた。
今の仕事。一日の動き。最後に休んだ日。装備の内訳。今の手取り。
どれも、答えが返ってきた。
どれも、地下二階に来たときには出せなかった答えだ。
「若宮さん」
「はい」
「この仕事は、あなたが決めたんですか」
「……それ、どっちの意味ですか」
「そのままの意味です」
若宮は、少し考えた。
「決めた、っていうのとは違うと思います」
「はい」
「潜れないけど、帰るのも嫌だったので。ここなら、ゲートの音が聞こえるので」
直人は、その言葉を書き取った。
書き取ってから、ペンを止めた。
ここを選んだのか、ここで止まっているだけなのか。
どちらでも説明がつく。持っている材料を全部見ても、線が引けない。
主任の言った四人も、同じところにいたのかもしれない。
四人がなぜいなくなったのかは、誰も聞いていない。
「それ、俺が見つけたんじゃないです」
直人は言った。
「はい」
若宮は、それだけ返した。
◇
話が途切れたところで、若宮が立ち上がった。
階段を降りて、検査所の脇を抜けて、ゲートのほうへ歩いていく。
直人は、ついていかなかった。座ったまま、その背中を見ていた。
ゲートの手前には、床に白い線が引いてある。潜行区画の境界だ。
線の向こうは照明が違う。青みが強くて、人の輪郭が少し硬く見える。
若宮は、線の一メートル手前で止まった。
中を見ているわけではなかった。顔は下を向いている。
誰かが線を越えていくたびに、若宮の肩が同じ高さで止まったままだった。
二十秒くらいで、戻ってきた。
息が上がっているわけでもなく、汗をかいているわけでもない。
階段を上がって、さっきと同じところに座った。
「今の、毎日ですか」
「毎日です」
「回数は」
「数えてないです」
初めて、数えていないものが出てきた。
◇
休憩が終わる二分前に、若宮は机の上のバインダーを開いた。
業務の記録用紙だ。滞留、と印字された欄がある。
線の手前で立ち止まった人の通行証番号が並んでいて、その横に秒数が書いてあった。今日のぶんで七件ある。
「これ、業務ですか」
「業務です。ここで止まられると、後ろが詰まるので」
「秒数まで書くんですか」
「様式にあるのは人数だけです。秒数は、俺が足しました」
「足した理由を聞いてもいいですか」
「人数だけだと、混んでるのか、止まってるのか分からないので」
直人は、その欄を見た。
書き方が決まっていた。三秒以上止まった人だけ、番号と秒数。それ以外は書いていない。
何を書くかを先に決めて、そのとおりに残している。
「この数字、誰かに出してますか」
「出してないです」
「出す先は」
「……ないと思います」
◇
直人は、七件のうちの一つで目を止めた。
四十秒
番号は、直人の職員番号だった。
「これ」
「先週の火曜日です」
「……覚えてないです」
「三秒以上の人は、全部書くので」
直人は、ゲートの前を通ったことは覚えていた。
止まった記憶がない。
「若宮さん」
「はい」
「この四十秒、私の記録に写してもいいですか」
「いいですけど、何に使うんですか」
「まだ決めてないです」
「……じゃあ、俺と同じですね」
直人は、数字の横に「若宮」と書いた。
誰が出した数字かも残す。そういう手順にしている。
三年間、直人の側の数字を出した人は、一人もいなかった。
◇
地下二階に戻って、直人は手順記録を開いた。
欄は、いつもどおりだ。
何を読んだか
誰に何を聞いたか
どの記録と照合したか
どこで判断が変わったか
反証確認
判断保留
四つの欄は、埋まった。
何を読んだか 登録記録/就労の一行/検査所の滞留記録
誰に何を聞いたか 検査所主任(三年で四人、四人とも三ヶ月前後で離職)
本人(就労の経緯、一日の動き、線の手前で止まること)
どの記録と照合したか 医師の診断/事故後の潜行記録(〇件)
どこで判断が変わったか 変わっていない
読んだ。聞いた。照合した。
それでも、配置を決める根拠になるものが一つもない。
三年間、読んで、聞いて、照合すれば、何かしら答えは出ていた。
出ない人がいる、というのは、書いてみるまで分からなかった。
直人は、判断保留の欄に書いた。
現在の就労が本人の選択か、停止の継続かが分からない。
両方の説明がつく材料がそろっていて、片方に寄せる材料がない。
契約は来年三月まで。三月の時点で、もう一度聞く。
それから、欄を一つ足した。
相談の途中で、本人が自力で配置を変えた件(当室非関与)
足してから、その欄に何を書けばいいのかで、しばらく手が止まった。
関与していないのだから、経過が書けない。経過がないのに、残さないといけない。
結局、日付と、若宮の登録番号だけを書いた。
その欄の前で止まっていた時間も書いた。六分。
◇
夕方に、玲奈が降りてきた。
救難管制の制服のまま、書類を一枚持っている。今度は本物の用事だった。
「若宮さん、会いました?」
「はい」
「どうでした」
「決まってないです」
玲奈は、真ん中の山を見た。
「戻すんですか」
「戻します」
「三ヶ月前と同じですね」
「同じじゃないです」
直人は、若宮の紙を山の一番下に入れた。
「本人が動いてます。私が動いてないだけです」
玲奈は、何か言いかけて、書類を机に置いた。
「相馬さん」
「はい」
「それ、悔しくないんですか」
「……分からないです」
直人は、山の高さを手で揃えた。
「悔しいのかどうかを、決める材料を持ってないので」
玲奈は、そこで一度、机の脚のあたりを見た。
「じゃあ、代わりに言っときます」
「はい」
「私は、ちょっと悔しいです」
階段を上がる音が、途中で一度止まって、また続いた。




