失敗しても、戻れます
撤退条件の欄は、空けたまま渡した。
三隅は、紙を最後まで読んでから顔を上げた。
「これ、俺が書くんですか」
「はい」
「相馬さんが決めるんじゃないんですか」
「決めません」
直人は、そこで一度言葉を置いた。
「決めたら、四回目の却下になるので」
◇
紙には、条件が六つ並んでいる。
試験配置(案) 三隅晃
期間 三ヶ月
配置 第三層までの常設討伐班 攻撃要員(試験)
潜行 週一回まで。第四層以下へは出ない
登録 防御職としての登録は変更しない
装備 本来装備を保持する。攻撃装備は貸与とする
評価 本人と現場が、別々に書く。突き合わせは三ヶ月後
撤退条件 ( )
「三ヶ月って、短くないですか」
「短いです」
「それで、何か分かりますか」
「書き方によります」
三隅は、括弧のところを指で押さえた。
「これがないと、始まらないんですか」
「これがないと、終われないです」
三隅は、しばらくその括弧を見ていた。
「失敗していいです」
直人は言った。
「三ヶ月のあいだは、失敗しても戻れるようにします」
「……戻れるようにしてから失敗させるって、それ、失敗ですか」
「失敗です。取り返せる失敗です」
◇
三隅は、二日で書いてきた。
撤退条件
一 重傷を負った場合
二 班長が続行不可能と判断した場合
直人は、それを読んで、何も言わなかった。
直せる箇所は二つ見えている。
ただ、直すとこの紙は直人の紙になる。四回目の却下と同じ形だ。
かわりに、写しを持って第三層の待機所へ降りた。
◇
常設討伐班の班長は、岸田という四十代の男だった。
第一層から第三層までを、決まった経路で回っている。
人を名前ではなく番号で覚える癖があって、直人のことも最初は職員番号で呼んだ。
「監督者、やってもらえますか」
「できません」
紙を受け取る前に、そう返ってきた。
「理由を聞いてもいいですか」
「判断できないからです。俺は攻撃職の適性を見る人じゃない」
「判断はしません」
「は」
「数えるだけです」
岸田は、そこで手を出して紙を取った。
読んだのは十秒くらいだった。
「これ、使えないですよ」
「はい」
「重傷って、誰が決めるんですか」
直人は、答えなかった。
「あと、続行不可能って書いてあると、こっちは最後まで止められません。動けてる人を止める理由が、一つもないので」
岸田は、紙を机に置いた。
「止めるのは怪我のあとじゃないでしょう。怪我の前に止めないと、意味がない」
◇
直人が書き取っているあいだ、岸田は待っていた。急かしもしなかった。
「前にも、やったことがあるんですか」
「あります。二年前です」
「どうなりましたか」
「辞めました。三ヶ月もたなかった」
岸田は、そこで初めて直人の顔を見た。
「そいつは、やめる条件を紙に書いてなかった。俺も書かせなかった。途中でおかしいと思っても、止める理由がこっちに一つもなかったんです」
「……はい」
「止めなかったのは俺です。数えてなかったからです」
岸田は、紙を指で二回叩いた。
「数えるだけでいいなら、やります。判断は、そっちで」
「判断は、本人がします」
「……そりゃ、面倒だ」
◇
翌日、直人は岸田の言葉をそのまま三隅に渡した。
自分の言葉に直さなかった。直すと、現場が言ったことではなくなる。
「これ、班長が言ったんですか」
「はい」
「厳しいですね」
「私もそう思いました」
「じゃあ、書き直します」
三隅は、その場では書かなかった。
持って帰って、四日後に持ってきた。
◇
撤退条件(第二稿) 三隅晃
一 同じ部位を二度打った時点で、その日の潜行を終える。負傷の有無は問わない
二 隊列で防御位置へ戻るよう指示が出た回数が、一回の潜行で三回に達した場合、
その回は攻撃要員として数えない
三 十二回の潜行のうち四回で一または二に触れた場合、試験配置を終える
四 終える場合、防御職として同じ班に残る
「二番は、厳しくないですか」
「厳しいです」
「私は書けなかったです」
「相馬さんが書いたら、四回目の却下ですよ」
三隅は、初めて笑うような顔をした。
「一番と二番の回数は、班長に聞きました。何回までなら数えられますかって」
「岸田さんは、なんて」
「三回までなら確実に覚えてられる。四回目からは怪しい、って」
「それで、三回で切ったんですか」
「はい。四回目を数えないと決まらない条件にすると、数えられない日が出るので」
直人は、その数字の横に岸田の名前を書いた。
「四回というのは」
「十二回の三分の一です。三回に一回できないなら、たぶん向いてないので」
「どこかで見た基準ですか」
「見てないです。俺が決めました」
三隅は、そこで一度言い直した。
「相馬さんが決めた数だと、また人に決められたことになるので」
◇
「四番は、書かなくてもいいんですけど」
「書きます」
「はい」
「辞めるつもりがないって、先に書いとかないと。俺が忘れるので」
直人は、四番の行を二度読んだ。
◇
「一つだけ、私が足します」
「はい」
「三隅さんが決めるのは、自分が失敗と認める条件です。危ないときに止めるのは、別の話です」
直人は、紙の一番下に一行入れた。
※上記とは別に、班長が生命または身体に即時の危険があると判断した場合は、
本人の同意を要さず試験を中止する。中止の理由は、その日のうちに記録する。
「これ、俺が嫌だって言ったら」
「変えないです」
「四回目の却下みたいですね」
「そこは、却下でいいです」
三隅は、その一行をしばらく見ていた。
「岸田さんが決めるんですね」
「はい」
「じゃあ、いいです。あの人、たぶん使わないので」
「使わないと思います」
◇
三隅が三ヶ月後に何を選ぶかは、この紙のどこにも書いていない。
書いてあるのは、選べる状態が三ヶ月後にも残る、ということだけだ。
東堂が四つ目に聞いたのは、安全の保証だった。
直人はいまも、それを保証できない。できるのは、取り返せる範囲を先に決めておくことだけだ。
◇
攻撃装備の貸与は、二日止まった。
貸与の様式には、申請者の登録職種を書く欄がある。三隅の登録は防御職のままだ。
様式どおりに書くと貸与の対象にならない。登録を変えると、撤退条件の四番が成立しなくなる。
「これ、どっちかにしてもらわないと出せません」
「どちらもやめられないです」
「じゃあ、出ないですね」
その日の夜に、直人は岸田へ電話をかけた。班の予備装備がいくつ空いているかを聞いた。
空いていた。班の中で回すぶんには、貸与の様式は要らない。班内装備の管理は、岸田の権限だ。
「借りるんじゃなくて、班のものを使うことにしましょう」
「それ、ずるくないですか」
「書式はずるいです。装備はずるくないです」
「というと」
「型番を全部書き出します。適合確認だけ、装備課に通します」
岸田は、電話の向こうで少し笑った。
「あんた、書式に弱いのか強いのか分からないな」
適合確認は、翌日に下りた。
書式上の区分は避けた。確認は避けなかった。その二行も、記録に残した。
◇
直人は、その日の記録に欄を一つ足した。
本人希望が適性と食い違う場合の検証設計
一 何を見るか、先に決める
二 決めたことを、残す
三 残したものを、次の判断に使う
三年間、直人は一つ目だけをやっていた。
自分の頭の中で決めて、自分の頭の中で見て、自分で正しかったことにしていた。
二つ目と三つ目は、他人がいないと成立しない。
◇
夕方に降りてきた玲奈が、三隅の紙を上から下まで読んだ。
「二十枠の一つを、三ヶ月かかる試験に使うんですか」
「使います」
「あと十九人、待ってますよね」
「待ってます」
「……ずるくないですか」
「ずるいです」
直人は、そこはごまかさなかった。
「ただ、ずるいことをした記録は残ります。三ヶ月後に、二十件のうち一件をこう使いました、と書きます」
「書いて、どうなるんですか」
「怒られると思います」
「怒られたいんですか」
「怒られないと、次の人のときに同じことをするので」
玲奈は、紙の四番の行をしばらく見ていた。
「これ、いいですね」
「はい」
「終わっても、いなくならないところ」
◇
十七階へは、書式だけを持っていった。
東堂は、最後まで読んだ。
途中で止まったのが二回ある。撤退条件の二番と、四番だった。
質問は、一つも来なかった。
東堂は判を押して、紙を直人のほうへ滑らせた。
「東堂さん」
「はい」
「何か、ないですか」
「あります」
「……はい」
「三ヶ月後にします」
東堂は、手帳を開いたまま言った。
「今言うと、君が直すので」
「もう一つ、いいですか」
「どうぞ」
「試験運用が終わったあと、この件の評価はどうなりますか」
「制度としては終わります。追跡は別です」
東堂は、手帳に一行書いて、そのページを直人のほうへ向けた。
試験運用期間中に採択した案件は、期間終了後も三ヶ月間、追跡を継続する。
「これ、最初の条件に入っていましたか」
「入っていません。今日から入ります」
「……はい」
「三ヶ月の途中で採った人を、期間の都合で切るわけにいかないので」
◇
地下二階へ戻ると、内部システムに問い合わせが一件入っていた。
差出 災害対策室
件名 複数要請が重複した場合の受付順位について
直人の担当ではない。災害対策室は十四階で、S級の出動要請を扱う部署だ。
東堂が共有に置いた様式を見たのだろう、と思った。番号が振ってあるものは、検索に出る。
同一時間帯に三件以上の要請が重複した場合、
優先順位を決める基準が現行規程にありません。
他部署に前例があれば、様式だけでも共有いただけますか。
直人は、管轄が違うことを書いて、受付順位基準の様式を添付した。送信して、その件は終わった。
分からないのは、そのあとだ。
番号を知っていれば、様式は自分で引ける。わざわざ地下二階へ文面を送る必要がない。
差出人の欄には、部署名しか入っていなかった。
◇
三隅の一回目は、その週の水曜日だった。夜に、短い連絡が来た。
差出 三隅晃
一回目、終わりました。二番に一回触れました。数えたのは岸田さんです。
直人は、それを記録に写した。
触れた回数の横に、岸田の名前も書いた。誰が数えたかも残す。そういう手順にした。
残り十一回。四回で終わる。
どちらに転んでも、三隅は同じ班に残る。
三年間、直人はこの形の紙を一枚も作ったことがなかった。




