障害児を持つということ
幼馴染の息子は聴覚障害を持っていた。
障害がわかったのは保育園に通っていた頃。
言葉が遅いことから、検査を受け、聴覚障害であることがわかった。
音は聞こえるが、高音が聞き取れないため、発見が遅れた。
彼女はそれまで、障害者と接することがなく、息子に障害があることを知り、目の前が真っ暗になったという。
そのショックは、息子と一緒に死のうと考えるまでであった。
そんな彼女を救ったのは、ネットで知り合った聴覚障害を持つ女性であった。
その女性の両親は教育者で、その女性を普通の学校に通わせ、不便を無くすべく行動し、あらゆることにチャレンジさせた。
その女性は、自分のやりたいことに突き進み、海外留学まで果たし、現在も活躍されている。
彼女は、親である自分が、障害があるからといって、息子の将来を諦めてはいけないと思ったと言う。
そして、彼女の息子は、ろう学校の幼稚部に午前中のみ通うようになり、ろう学校の先生との出会いが、彼女の親としての姿勢を変えた。
彼女は、いわゆる毒親の元に育ち、16歳で家出、年齢を誤魔化して水商売で働き、悪い男に引っかかって、出産、シングルマザーとなった。
幼少期の辛い時期に、誰も救ってくれなかったことから、彼女は、人を信用しない。
彼女にとっては、お金が全てであった。
きれいごとは、偽善でしかないと思う彼女に、ろう学校の先生は、彼女の息子が将来困らないようにと、全力を尽くす。
彼女の息子が、風邪で休めば、家でも勉強できるようにと教材を作成して持ってくる。
息子の時間を大事にするあまり、その先生は、病気の我が子を置いて仕事をし、子供の風邪が悪化し、肺炎になったこともあるという。
彼女は、その先生のもとで、次々と言葉を覚えていった息子の可能性を知ると同時に、自分の怠慢と無償の愛を知った。
彼女は、息子の将来を考え、自分に厳しい言葉をかけるろう学校の先生に恥じないよう、子供の可能性を広げるべく、息子に学をつけた。
彼女の息子は難関大学に進学し、今、立派に働いている。
母親としての責務を十分に果たしたと思うが、彼女は、息子にハンディを負わせた妻をずっと抱えている。
彼女が、活躍する同じ障害を持つ女性と、ろう学校の先生との出会に恵まれていなかったら、不遇に嘆いていただろう。
彼女自身、出会いにこそ恵まれたが、悔しい思いもたくさんした。




