目指すべきもの
障害が軽いが故に、同じ障害を持つ者と気持ちを共有できない者もいる。
健常者の中では、配慮を必要とする障害でも、同じ障害で程度の重い者に不満を漏らせば贅沢と言われる。
障害者ではないのに手帳があるとも。
全く同じ程度の障害者は少なく、障害者同士でも、気持ちの共有は難しい。
現状に苦しんでいる人に、他人の悩みなど甘えに聞こえることもある。
それは、健常者も同じだ。
また、先天的に障害を持っている者と、後天的に障害を負った者も違う。
後天的に障害を負った者は、人生の終わりを感じる。
今まで当たり前にできていたことができない、また、視覚が徐々に失われていく場合は、できないことが日々増えていく。
世の中は、不便で溢れている。
視覚障害者にとって、外出自体大変だが、外出時のトイレも大変であることに気づいている人はいるだろうか。
トイレにより、流すボタンの位置が違うため、外出時に使うトイレの場所を決めている視覚障害者は多い。
公共交通機関も困難である。
乗車の時は、乗車口がわからない、降車ボタンの位置は、バスにより場所が違い、分からず降車したいところで降りることができず、1つ先のバス停で降車し、自分がどこにいるか分からなくなることもある。
そういった、不便に溢れた世の中で、障害が進行し、できないことが増えていく彼等の気持ちを共有できる者などいるだろうか。
気休めを言ったところで、救われる者ではない。
もし自分が、と考えた場合、乗り越えられる自信がある者はいないだろう。
できることといえば、同じ状況の方が活躍されていることを伝え、自分の可能性を感じて欲しい。
また、そういった可能性を同じ立場の方に与えられるような存在に自分がなろうと思えたら、素敵だと思う。
障害の有無に関わらず、目指すべき存在があることは、生きる力になる。
目的もなく、ただ生活のためだけに働くよりも、目指すべきものがあれば、人生は豊かになると思う。
しかし、その目指すべきものを見つけることは難しい。
じっと現時点にとどまるのではなく、とにかく、外界に触れていたら、何か見つかるかもしれない。
じっとしていては、何も変わらない。




