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「はい、エレノア様」
バーナードが薄く笑う。その笑みには、完璧な執事の仮面の下にある、冷酷な嗜虐心が滲んでいた。
「王宮内は、現在『未曽有の奇病』の恐怖に包まれております。特に……エザリントン公爵令息、ジュリアン様の状態は悲惨を極めておりますな」
「あら、詳しく聞かせて頂戴」
「承知いたしました」
バーナードが影の鏡を空間に浮かび上がらせた。
そこには、王宮の豪奢な自室で、狂乱するジュリアンの姿が映し出されていた。
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「姿見を割れ! 今すぐ鏡という鏡をこの部屋から撤去しろと言っているんだ!!」
ジュリアンの怒号が部屋に響き渡る。
だが、その声は以前のハリのある高貴なものではなく、まるで老人のようにカサカサに枯れ果てていた。
彼は召使いの手を振り払い、頭を抱えて床に転がっていた。
かつて人々を魅了したプラチナブロンドの美しい髪は、根元からボロボロと抜け落ち、ところどころ禿げ上がっている。
そして、何より恐ろしいのは――彼の皮膚だった。
「痒い……熱い、痒いんだ……!」
ジュリアンは狂ったように自分の顔や首を掻きむしっている。
彼の顔面には、赤黒い斑点と、膿の溜まった無数の「腫れ物」が敷き詰められていた。
それだけではない。彼が強く掻くたび、皮膚がボロリと剥がれ落ち、その下の肉から小さな「人間の歯」や「髪の毛の束」が顔を覗かせているのだ。
「ひっ……! 公爵令息様、お戯れを……!」
医師や召使い達は、あまりの気味悪さにジュリアンに近寄ることすらできず、部屋の隅で震え上がっている。
「クロエ……クロエはどこだ!? 彼女の『光の加護』があれば、私のこの病も治るはずだ! クロエを呼べ!!」
ジュリアンが血走った目で叫ぶ。
ちょうどその時、部屋の扉が開き、純白のドレスを着たクロエが入ってきた。
「ジュリアン様……! まあ、なんてお可哀想な……」
クロエは涙を浮かべ、ジュリアンに駆け寄る。
ジュリアンは「クロエ!」とすがりつき、彼女の細い腰に抱きついた。
「救ってくれ、クロエ! あの陰気なエレノアを追い払ってから、私の体はおかしくなる一方だ! お前の光で、私を浄化してくれ!」
「ええ、ええ……もちろんですわ、私の愛しいジュリアン様……」
クロエはジュリアンの背中を優しく撫でた。
しかし、その顔は――驚愕と怒りで激しく歪んでいた。
(なぜ……!? なぜこの男の生命力が、私の中に流れ込んでこないの!?)
クロエは心の中で激しく困惑していた。
彼女はジュリアンの皮膚の隙間から自分の「透明な触手」を差し込み、彼の魂と魔力を吸い上げようとしていた。
いつもなら、一口吸うだけで全身を満たすご馳走が手に入るはずだった。
だが、今のジュリアンから吸い上げられるのは――「腐敗した泥水」のような、汚濁した呪詛の味だけだった。
(違う! 私の力が……逆に吸い取られている!? この男の体を媒介にして、どこかの誰かが、私の蓄えた魔力を奪っているんだわ!!)
「きゃあああっ!?」
突然、クロエが悲鳴を上げてジュリアンを突き飛ばした。
彼女の美しい白い指先が、見る間に黒く壊死し、ポロポロと爪が剥がれ落ちていく。
「クロエ……? なぜ私を突放すんだ……?」
床に転がったジュリアンが、濁った目でクロエを見上げる。その顔の腫れ物が弾け、黄色い膿が垂れ落ちた。
「近寄らないで、この汚物!!」
クロエは思わず、いつもの可憐な口調を忘れて怒号を浴びせた。
周囲の召使い達が息をのむ。
「な……なんだと……? 今、なんと……」
「うるさい! この役立たず! 苗床の分せいで、私に害をなすなんて……!」
クロエは自身の腕に走る激痛に耐えかね、着物の裾を捲り上げた。
彼女の雪のように白い太ももには、いつの間にか「エレノア・ヴァレンタイン」の名を刻んだ紫色の呪印が浮き出ており、そこからどろりとした黒い血液が噴き出していた。
「エレノア……!? まさか、あの女が……北離宮で生きているというの……!?」
クロエの瞳から可憐さが消え、爬虫類のような縦長の瞳孔が露わになる。
彼女の背後の影が膨れ上がり、無数の人間の腕が天井に向かって伸びては、苦悶の悲鳴を上げた。
「あ……あ……」
ジュリアンは、目の前の「聖女」の化け物のような真の姿を見て、ついに腰を抜かした。
「化け物……クロエ……お前は……聖女などでは……」
「黙りなさい、ゴミ屑!」
クロエはジュリアンの胸を容赦なく踏みつけ、部屋を飛び出していった。
後に残されたのは、自分が愛した「聖女」に踏みにじられ、全身が腐敗していく恐怖の中で泣き叫ぶ、哀れな公爵令息だけであった。
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「ふふふ……あはははは!」
北離宮の影の鏡の前で、私はお腹を抱えて笑い転げた。
「見たかしら、カイル様? あのジュリアンの情けない顔! 『汚物』呼ばわりされて踏みつけられるなんて、最高のお似合いのカップルだわ!」
「ああ、傑作だったね」
カイル様も口元を抑え、肩を揺らしている。
「ジュリアンはもうすぐ全身の肉が自壊して、死ぬこともできずに苦しみ続けるだろう。だが、これで終わりではないんだろう?」
「もちろんですわ」
私はティーカップをテーブルに置き、立ち上がった。
漆黒のドレスの裾が、揺らめく影とともに美しく広がっていく。
「クロエは追い詰められました。自分の力が削られ、正体が暴かれそうになっている。彼女が次に取る行動は一つしかありません」
「ほう?」
「数日後に控えた『神聖降臨祭』……王国の貴族たちが一堂に会するその大儀式で、彼女は会場にいるすべての貴族を一度に『捕食』し、強引に完全復活を遂げようとするはずです」
私の分析に、カイル様が満足そうに頷いた。
「なるほど。追いつめられた獣が、最後の賭けに出るというわけだね。……そして、君はその舞台を横取りする」
「ええ。王宮の腐敗した貴族たちと、偽りの聖女。そして、我が家を虐げてきたすべての者に、最高の『幕引き』を用意して差し上げます」
私はヴィンセント卿に向き直った。
「ヴィンセント卿。不死の騎士団に出陣の準備を。神聖降臨祭の夜、王宮のすべての出口を影で封鎖し、逃げ場をなくしなさい」
「ハッ! 我が女王の仰せのままに!」
ヴィンセント卿が深々と頭を下げ、影の中へと消えていく。
「そして、カイル様」
私はカイル様の胸元にそっと手を置き、彼のヘテロクロミアの瞳を覗き込んだ。
「私を、あの神聖降臨祭の夜会へと連れて行ってくださいますか? 『追放された忌み子の公爵』の、最高に美しく、最も恐ろしいパートナーとして」
カイル様は私の腰を抱き寄せ、唇が触れ合うほどの距離で優しく微笑んだ。
「喜んで、私の女王。君が王冠を戴くその瞬間を、一番特等席で見届けさせてもらうよ」
暗闇の中で、二つの悪意と、二つの孤独な魂が完全に重なり合った。
王宮の栄華が、ガラガラと音を立てて崩れ去るまで、あとわずか。
復讐の夜会へのカウントダウンが、今、静かに始まったのだった。




