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第4話:崩壊する『俺様』の論理



私が差し出した通帳と印鑑を、和樹は鼻歌交じりに受け取った。

 彼はそのままソファに座り直し、ペラリと通帳のページをめくる。


「さてと、いくら下ろせばいいかな……ん?」


和樹の手が止まった。

 眉をひそめ、通帳を顔に近づけたり、遠ざけたりしている。


まるで、そこに書かれている数字が理解できない異国の言語で書かれているかのように。


「……おい。なんだこれ」


「どうしたの?」


「どうしたもこうしたもあるか! これ、記帳ミスか何かか? 残高が348円になってるぞ!」


和樹の声が裏返った。

 私はキッチンでコーヒーを淹れながら、平然と答える。


「ミスじゃないわよ。それが現在の正確な残高よ」


「はあ!? ふざけんな! 800万円近くあったはずだろ! マイホームの頭金と、子供のために貯めてた金だぞ!? どこにやったんだよ!」


和樹は顔を真っ赤にして立ち上がり、私に詰め寄ってきた。

 今にも掴みかからんばかりの剣幕だ。


けれど、私は全く動じない。

 ゆっくりとコーヒーカップをテーブルに置き、ソファの脇に用意しておいた分厚いファイルを手に取った。


「どこにやったか、ですって? 変なこと聞くのね。全部、『家族』のために使ったじゃない」


ドサッ。


重厚な音を立てて、ファイルがテーブルに置かれた。

 中から溢れ出したのは、おびただしい数のレシートと領収書の山だ。


「な、なんだこれ……」


「見てわからない? この1年間の、お義母さんとお義姉さんとの交際費の記録よ。日付、場所、金額、全部まとめてあるわ」


和樹は震える手でレシートの一枚を手に取った。


『高級エステサロン・ロイヤル ¥66,000』


次の一枚。


『特選懐石ランチ3名様 ¥45,000』


そして、極めつけの旅行会社の領収書。


『温泉旅館宿泊費・新幹線代一式 ¥980,000』


「ば、馬鹿な……なんだこの金額……!」


「驚くことないでしょ。和樹も知ってたじゃない。お義母さんたちとエステに行ったことや、温泉旅行に行ったこと。楽しかったって報告したら、『よかったな』って笑ってたわよね?」


「そ、それはそうだが……! 俺が言ってるのはそういうことじゃねえ!」


和樹は領収書の束を床に叩きつけた。


「なんでここ(共有財産)から出してるんだって聞いてるんだよ! お前には親父さんの遺産が入っただろ! 都内の実家を売ったんだ、どう少なく見積もっても数千万はあるはずだろ! 俺たちのためにそっちから出せばよかっただろ!」


「どうして?」


「どうしてって……お前、頭おかしいのか!? お前が金を持ってるから、お前が払えって俺は言ったんだ!」


唾を飛ばして叫ぶ和樹。

 完全にパニックに陥っている。


自分の貯金が空っぽになった事実を受け入れられず、責任を私に転嫁しようと必死だ。

 私は静かに、けれど冷徹に彼を見据えた。


「和樹、あなた大きな勘違いをしているわ」


「あ?」


「私の父の遺産は、私が相続した『特有財産』よ。たとえ夫婦でも、あなたに指図される筋合いはないし、生活費や家族の遊興費に充てる義務もないの」


私は一歩、彼に近づく。


「対して、この通帳のお金は、結婚してから二人の収入で貯めた『共有財産』。家族のために使うお金よね」


「だ、だからなんだよ!」


「忘れたの? 1年前、私が相談した時、あなたはこう言ったわ」


私はポケットからICレコーダーを取り出し、再生ボタンを押した。

 静まり返ったリビングに、和樹の不機嫌な声が響き渡る。


『家族なんだから、金を持ってる奴が出すのが筋だろ』

 『お前が出してやれ。俺の顔を立てると思って、気持ちよく払えよ』

 『二度と同じことで文句言ってくるな。わかったな?』


自分の声を聞き、和樹の顔色がサーッと青ざめていく。


「あなたは私に『金を出せ』と言った。でも、『遺産を使え』とは一言も言っていない。だから私は、あなたの指示通り、私が管理している『我が家の金』の中から出したのよ」


「……は、屁理屈だ! そんなの通用するか!」


「通用するわよ。だってあなた、『文句言うな』って言ったじゃない。だから私、一度も文句言わずに、忠実にあなたの命令を実行したわ。褒めてくれてもいいくらいよ?」


にっこりと微笑む私を見て、和樹は後ずさりをした。


ようやく気づいたようだ。

 目の前にいる妻が、従順な羊ではなく、1年かけて罠を張り巡らせてきた狩人だったことに。


「お、お前……まさか、最初から……」


「ええ。忠告したはずよ? 『エスカレートするわよ』って。でもあなたは耳を貸さなかった。私の言葉より、自分のラクを選んだのよ」


私は空っぽになった通帳を拾い上げ、彼の胸に押し付けた。


「そういうわけで、お金はもうないわ。車検代? 残念だけど払えないわね。だって、あなたの大切なお母様とお姉様の贅沢のために、全部消えちゃったんだもの」


「ふ、ふざけるな……! 返せ! 今すぐお前の遺産から補填しろ!」


「嫌よ」


「なんだと!?」


「あなたが使い道を承認したお金を、どうして私が補填しなきゃいけないの? 嫌なら、使った本人たち……お義母さんとお義姉さんに返してもらえば?」


和樹は絶句した。

 あの二人に返済能力などないことは、彼が一番よく知っている。


義姉はパートだし、義母は年金暮らし。

 800万円もの大金、返せるはずがない。


「くそっ……くそおおおおッ!」


和樹はその場に崩れ落ち、髪をかきむしった。


でも、まだ終わりじゃない。

 これはただの「お金の話」。


これから話すのは、私たちの「今後」の話だ。


「さて、和樹。お金もなくなったことだし、私たちも終わりにしましょうか」


私はソファの後ろに隠しておいた、もう一つの書類を取り出した。

 緑色の紙。記入済みの離婚届だ。

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