第3話:華麗なる散財と、ゼロへのカウントダウン
その週末。私たちは駅前に新しくできた高級エステサロンの受付にいた。
「お客様、本日は『ロイヤル・アンチエイジングコース』、3名様で承っておりますが、お間違いないでしょうか?」
「はい、お願いします。支払いはカードで」
私は迷うことなく、財布からクレジットカードを取り出した。
それは、私の個人のカードではない。
夫・和樹の名義で作った家族カードであり、引き落とし先は私たちの「将来のための貯蓄口座」だ。
お会計、3人合わせて6万6,000円。
以前の私なら手が震えていたかもしれない金額だが、今の私には単なる数字にしか見えなかった。
むしろ、決済端末の「承認されました」という電子音が、復讐のファンファーレのように心地よく響く。
「いやーん、悪いわねえ美晴さん! さすがはお金持ち!」
「ありがとうねえ。やっぱり持つべきものは、孝行な嫁だわ」
義姉の由香里さんと義母の富江さんは、私が「自分の遺産」から支払っていると信じて疑わない。
施術中も、二人は「極楽だわあ」「肌が若返るわあ」と大はしゃぎだった。
私はアロマの香りに包まれながら、心の中で冷たく微笑む。
――ええ、存分に楽しんでください。だってこれ、あなたたちの息子であり弟である、和樹のお金なんですもの。
◇
一度タガが外れた欲望というものは、留まるところを知らない。
私が「夫の許可がありますから」とニコニコお金を出すようになってから、義実家の要求は青天井に加速していった。
週に一度のランチは、コース料理が当たり前になった。
デパートへ行けば、「これ似合いそう」とお互いに服を選び合い(支払いは全て私)、帰りには高級食材を大量に買い込む。
そして、極めつけは旅行だった。
「ねえ美晴さん。お母さん、死ぬまでに一度でいいから、あの有名な温泉旅館の『離れ』に泊まってみたいのよ」
義母がテレビの旅番組を見ながら呟いた一言。
1泊、1人10万円は下らない超高級旅館だ。
「いいですね、お義母さん。行きましょうか」
「えっ、本当!? いいの?」
「もちろんです。和樹さんも『親孝行してやれ』って言ってますし」
私は即座に予約を入れた。
もちろん、一番高いプランで。交通手段もグリーン車の上を行くグランクラスだ。
二泊三日の極上旅行。
総額で100万円近くが、たった数日で吹き飛んだ。
旅館の露天風呂に浸かりながら、義母と義姉はシャンパングラスを片手に上機嫌だ。
「あーあ、美晴さんがお嫁に来てくれて本当によかったわ!」
「本当よねえ。和樹にはもったいないくらいよ」
その言葉には、心の底からの同意を返した。
ええ、本当にもったいないですよね。
こんなに素直に、夫の言いつけ通りに全財産を使ってあげる妻なんて、他にいませんから。
◇
そんな狂乱の宴が1年ほど続いた、ある日のこと。
自宅のリビングで、上機嫌な和樹が私に声をかけてきた。
「おい美晴。最近、おふくろたちと上手くやってるみたいじゃないか」
彼は満足そうに頷いている。
妻からの小言がなくなり、実家からも「いい嫁をもらった」と感謝され、自分の株が上がったと思っているのだ。
自分の懐が全く痛んでいないと信じているからこそできる、余裕の笑みだった。
「へえ、やっぱり金があるなら使うもんだな。俺の言った通りだろ? 少し金を出してやるだけで、みんなが幸せになれるんだ」
「ええ、本当に和樹の言う通りね。みんな幸せそうで、私も嬉しいわ」
私はお茶を出しながら、聖母のような微笑みを向けた。
「お前もやっと、『良き妻』としての振る舞い方がわかってきたみたいだな。見直したよ」
「ふふ、ありがとう。あなたのおかげよ」
和樹は気分良さそうにビールを煽っている。
……滑稽だわ。
彼は気づいていない。
彼が座っているその場所が、すでに崖っぷちだということに。
私はキッチンに戻り、スマホで銀行アプリを立ち上げた。
画面に表示された数字を見つめる。
結婚してから3年間、不妊治療や将来の子供の養育費、そしてマイホームの頭金にと、爪に火をともすようにして貯めてきた貯蓄口座。
その残高は、この1年の「家族付き合い」によって、見るも無残な姿になっていた。
【残高:348円】
およそ800万円あった貯金は、綺麗さっぱり消え失せていた。
3桁になった数字を見ても、後悔は微塵もない。
あるのは、重荷を下ろしたような清々しい達成感だけだ。
私はスマホを閉じると、大きく息を吐いた。
共有財産は使い切った。私の役目はこれで終わり。
さあ、あとは「その時」を待つだけだ。
翌週。
その時は、あまりにも唐突に、そして必然のタイミングで訪れた。
「おい美晴! 車検のハガキ来てるぞ。来月車検だ」
「あら、もうそんな時期?」
「ああ。タイヤも交換時期だし、今回は20万円くらいかかるかもな。いつもの口座から引き出しておくから、通帳と印鑑出してくれ」
リビングでくつろぐ和樹が、何気なく言ったその言葉。
私は隠していた通帳と印鑑を、恭しくテーブルの上に置いた。
「はい、どうぞ」
これが、終わりの始まりの合図だった。




