第2話「群狼の討伐」
村の入り口に、男が立っていた。年は七十を超えているだろう。背は低いが、幹のように太い体躯。白髪まじりの眉が、俺を見た瞬間にぐっと持ち上がった。ギルドマスターだ、とリリアが耳打ちする前からそんな気がしていた。
「来たか、転移者」
声に力がある。老人特有の掠れがなく、腹の底から出てくる声だ。
「単刀直入に言う。古竜の眷属が森を荒らし始めた。放置すれば一月以内に村が終わる。討伐の報酬は金貨二百枚。失敗した場合の保証は、何もない」
目が笑っていない。脅しではなく、事実として言っている。
「断れる空気じゃないのはわかってる」俺は言った。「やります」
爺さんは一度だけ頷いた。それだけだった。
翌朝、リリアに連れられて広場へ出ると、二人が待っていた。一人は壁みたいな男だった。身長は俺より低いが、横幅がほぼ同じだ。鎧の上からでもわかる筋肉の盛り上がり。斧を肩に担ぎ、口の端に笑みを貼り付けている。肌は浅黒く、顎鬚は短く刈り込んであった。
「ガルドだ。ドワーフの斧使い。難しいことは考えねえ。前に出て、叩き潰す。それだけだ」
もう一人は、小柄な少女だった。猫耳が頭の上でぴんと立っている。ローブの袖から細い手首が覗き、大きな目が俺をまじまじと見ていた。
「ミアっていいます! 火魔法、得意です! よろしくお願いします!」深々と頭を下げてから、ふと顔を上げる。
「……あの、一緒に寝てもいいですか? 夜、怖くて」
「それは別の話だ」リリアが即座に遮った。
昼前には森の縁にキャンプを設営した。作戦会議は焚き火を囲んで行った。
「古竜は直接相手にできない。まず眷属から崩す」
リリアが枝で地面に図を引く。
「斥候の報告では、狼の群れが三つ。それぞれ十匹以上。一つを仕留めると残りが集まってくる。各個撃破は無理だと思え」
「まとめて焼けばいいじゃないですか」ミアが手を挙げる。
「木が燃える」
「あー」
「悠真が前衛、ガルドが右翼、ミアが後方支援、私が上から射線を通す。これで行く」
ガルドが斧の刃を親指で撫でた。
「シンプルでいい。俺はシンプルなのが好きだ」
「わかった」俺は言った。「やってみる」
夜が来た。焚き火を落として一時間、偵察に出たリリアが音もなく戻ってきた。
「来る。思ったより早い」それだけだった。木々の向こうで、複数の唸り声が重なりはじめる。赤い目が暗闇の中に無数に灯った。一つ、三つ、七つ、十——数えるのをやめた。
「……十五はいるな」ガルドが低く言う。楽しそうだった。
「来い」俺は剣を抜いて、前に出た。
先頭の群れが雪崩れ込んできた瞬間、頭上でリリアの弦が鳴った。最前列の一匹が倒れ、隊列が乱れる。その隙に俺は踏み込んだ。剣が青白く発光する。体の奥から、何かが湧き上がる感覚。
「――転移者の剣魂・連撃」声に出す必要はなかったかもしれないが、出た。剣が動く。左から右へ。体の軸を中心に弧を描く、連続した斬撃。一撃ごとに青い残光が空を裂く。四匹が、ほぼ同時に地に伏した。
「すげえ……!」ガルドの笑い声が右から聞こえた。次の瞬間、重い金属音と短い悲鳴。斧が二匹をまとめて吹き飛ばしている。後方でミアが詠唱する。
「《爆炎》」
火球が三つ、放物線を描いて落ちた。着弾と同時に炸裂し、五匹が炎に包まれる。悲鳴が上がり、散り散りに逃げようとした二匹を、上から来たリリアの矢が縫い留めた。
俺は前へ出続けた。汗が目に入る。拭う暇もない。体が熱い。息が荒い。それでも剣は止めない。斬って、踏み込んで、また斬る。金属が肉を割く音、魔獣の咆哮、炎が燃える音、ガルドの豪快な笑い声が、ぐちゃぐちゃに混ざり合う。
背後で気配がした。振り返れる余裕はなかった。だが、振り返る必要もなかった。風を切る音。矢が耳元を掠め、飛びかかってきた一匹の喉を貫いた。
「油断するな」リリアの声は、どこか高い場所から降ってきた。
「わかってる」
最後の一匹が正面から突っ込んできた。俺は一歩も引かなかった。踏み込み、剣を振り下ろす。魔獣が倒れ、足音が消えた。
静寂。
【大量経験値獲得!】
【レベルアップ:Lv.2 → Lv.5】
【新スキル解禁:龍殺しの構え】
(対大型魔獣時、攻撃力 +50%)
膝をついて息を整えた。ガルドが近づいてきて肩を叩いた。力が強すぎて少し痛かった。
「よくやった。一緒に戦うのに不足はねえ」
「ありがとう」
ミアが走ってきて、そのまま抱きついた。ローブが焦げ臭い。
「すごーい! 悠真さんめちゃくちゃ強い! 次は古竜だよ、古竜!」
「落ち着いてくれ」
「興奮するじゃないですか……!」
笑い声が漏れた。自分でも気づかなかったけれど、声が出ていた。いつぶりだろうと少し思った。リリアが木から降りてきた。弓を肩に掛けて、俺の前に立つ。
「……頼りになるわね」口の端が少しだけ上がっていた。リリアが笑うのを初めて見た気がする。
「お前の矢に二回は救われた」
「三回よ」
「……そうか。ありがとう」
彼女は何も言わず、焚き火の方へ歩いていった。
ガルドが酒瓶を取り出したのは、火が落ち着いた頃だった。
「これを飲んだら旨いんだ、戦いの後は」強烈な匂いがした。一口飲んだら喉が焼けた。ガルドは腹を抱えて笑った。ミアは一口で真っ赤になって、俺の肩に頭を預けたまま寝落ちした。
静かな夜だった。炎を見ながら、俺はこの世界に来てから初めて、前だけを見ていることに気づいた。残業も、スマホの画面も、交差点の信号も、何も思い出さなかった。今夜ここにある火と、隣にいるこの仲間たちだけが、確かなものだった。
生きる意味、なんて大げさなことは言えない。ただ今日ここで戦って、誰も死ななかった。それだけで十分な気がした。リリアが焚き火の向こうで呟いた。
「古竜の巣窟は、明日だ」
炎の爆ぜる音が、しばらく続いた。
「ブレスが来たら……どんな隊形を組んでも、逃げ切れるかどうかわからない」
ミアがかすかに寝息を立てている。ガルドは酒瓶を傾けたまま、空を見上げていた。遠く、森の奥から咆哮が響いた。低く、腹に響く、地鳴りのような音。獣のものではない。もっと古く、もっと大きな何かの声。俺たちは顔を見合わせた。誰も何も言わなかった。でも、誰も逃げようとも言わなかった。
それだけで、十分だった。
—続く—




