第1話「召喚の夜」
佐藤悠真、二十八歳。今夜も終電間際の改札を目指して、深夜のオフィス街を歩いていた。スマホの画面がぼやける。瞬きをしても、文字の輪郭が滲んだままだ。残業は十一時間を超えていた。体の芯から何かが少しずつ抜けていく感覚は、もう慢性病みたいなものだった。
「もう限界だな……」
声に出した途端、自分でも驚いた。誰かに言いたかったわけじゃない。ただ、どこかへ零したくなっただけだ。
交差点の信号が青に変わる。横断歩道に踏み出した、その瞬間だった。クラクション。鼓膜を叩くような、けたたましい音。ヘッドライトの白い光が視界を埋め尽くす。脳が状況を処理しきれないまま、衝撃が全身を貫いた。
痛み。そして――闇。
目を開けた。まず感じたのは土の匂いだった。湿った腐葉土の深い香り。仰向けのまま視線を上げると、枝葉が幾重にも重なって夜空を覆い、その隙間から月明かりが差し込んでいた。木漏れ日ならぬ、木漏れ月だ。体のどこにも痛みはない。服はくたびれたスーツのまま。腕時計は午前零時二分を指している。
「夢……か?」
立ち上がろうとした瞬間、視界の中央に青白い光が滲み出た。半透明のウィンドウ。映画やゲームで見たことのある、あの類のやつが、現実の風景に重なって浮かんでいる。
【転移確認】
あなたは異世界へ転移しました。
職業:剣士(転移者)
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名前 佐藤悠真
レベル 1
HP 150 / 150 MP 80 / 80
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筋力 18 耐久 15 敏捷 20
知力 12 魔力 10 幸運 8
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スキル
・剣術 Lv.1
(剣道経験により初期値高め)
・転移者の剣魂
(剣技威力+30% レベルアップで新技解禁)
・異界適応 Lv.1
(異世界の言語・常識を徐々に理解する)
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「……マジかよ」呟いた声が森の静寂に吸い込まれた。異世界転移。ラノベで読んだことはある。まさか自分が、とは思うけれど、目の前のウィンドウはどう見ても現実だ。それに腰に重みがある。見ると、鞘ごと剣が帯びられていた。ファンタジー映画に出てくるような、装飾のある細身の剣。
柄を握る。その瞬間、何かが手のひらに馴染んだ。懐かしい、という表現しか出てこない。高校から大学まで六年間続けた剣道の感覚が、筋肉の記憶から一気に浮かび上がってくる。竹刀とは違う。でも確かに、これは俺の武器だ。
「とりあえず……生きてるなら、動くしかないか」覚悟というより諦念。でも、足は前に出た。
歩き出して三分も経たないうちに、遠くから咆哮が轟いた。足が止まる。木陰の暗がりを見ると、赤い光点がいくつも揺れている。一つ、二つ、三つ。じりじりと間合いを詰めながら、低く唸り声を上げる。黒い毛並みの狼型魔獣。体高は俺の腰ほどもある。牙の間から粘性の高い涎が垂れていた。
シャドウウルフ、とウィンドウに表示が出る。レベル3。三匹。
「くそっ、初っ端からかよ……!」
剣を抜く。思ったより滑らかに鞘から出た。体が軽い。スキルの補正か、それとも転移先の重力が違うのか、ともかく動きの起点が全然違う。先頭の一匹が跳躍した。考えるより先に、体が動いた。左へ半歩。剣を腰だめに引いて、横薙ぎ。
ザシュッ。
鋭い切断音。首が宙を舞い、黒い体が惰性で俺の脇を通り抜ける。血しぶきが頬にかかった。熱い。現実だ、と脳が認識する。
【経験値獲得:+150】
【レベルアップ! Lv.1 → Lv.2】
体の芯が熱を持つ。血流が速くなる。力が湧く、というのはこういうことか。残り二匹が同時に来た。連携している。片方が正面から跳びかかり、もう一匹が右側から回り込む。爪が肩口をかすめた。制服の上着が裂け、皮膚に熱い線が走る。
「痛っ……!」
だが、足は止めない。痛みより興奮が勝っている。剣を頭上に振り上げ、正面の一匹に縦斬り。抵抗なく刃が通り、魔獣が二つに裂けて倒れる。最後の一匹が後退した。追う。踏み込みは剣道そのまま。右足を鋭く踏み出し、全体重を乗せた突き。剣先が心臓を貫いた。
【戦闘終了】
【経験値獲得:+300】
息が上がっている。膝に手をついて、大きく呼吸した。正直、怖かった。でも、それより何倍も――
「これ……本物だ」声が震えていた。恐怖ではなく、確かな手応えに。
気配がした。上だ。見上げると、木の上から人影が音もなく降りてきた。着地の音すら立てない。銀色の髪が月明かりに輝く。細い弓をこちらに向けたまま、クールな目が俺を値踏みしている。耳が尖っている。エルフだ。
「……人間。意外とやるじゃない」低く、けれど澄んだ声。視線に油断はない。「転移者か?」
「ああ。さっき来た」
少女は弓を下ろした。名はリリア。この森に隣接する村の斥候だという。
「森の奥に古竜が目覚めた。放っておけば村が終わる。あなたが本当に転移者なら、その剣魂も使えるはず」視線が腰の剣に落ちる。
「手伝えるなら、来なさい。断るなら、今夜この森で一人でいなさい」
村への道を歩きながら、リリアが語ってくれた。エテリアという世界では、数十年周期で魔獣が爆発的に増殖し、人間の集落を脅かす「魔潮」と呼ばれる現象が起きる。転移者はその都度現れることが多く、強大な力を持つ者が少なくない――少なくない、というだけで、ほとんどが生き残れないとも付け加えた。
俺は半信半疑のまま聞いていたが、剣を振った感触だけは疑いようがない。あの熱がまだ掌に残っている。
「まあ……やるしかないか」
リリアは振り返らなかった。村の灯りが見え始めた頃、彼女は足を止めた。
「古竜の咆哮が、今日も聞こえてきたわ」
振り返って見たその目に、初めて感情の色が混じっていた。恐怖、ではない。それよりずっと重いもの。
「あなた、本当に助けてくれるの?」
答える前に、遠くで地が揺れた。低く、腹に響く咆哮。木々が戦慄く。俺は剣の柄を握り直した。
「――ああ」
—続く—




