出会い
獣は、低く唸りながら蒼星を睨んでいた。
複数の目が、不気味に揺れる。
さっきよりも明らかに警戒している。
「……学習してる」
蒼星は小さく呟いた。
さっきの一撃で、“ただの獲物じゃない”と認識された。
つまり――
(次は、簡単には当たらない)
喉が乾く。
でも、目は逸らさない。
「蒼星!」
父の声が飛ぶ。
「次、右から来る!」
その瞬間、獣の筋肉が弾けた。
横へ跳ぶ――フェイント。
次の瞬間、地面を砕きながら一直線に突っ込んでくる。
「……っ!」
分かっていても、速い。
怖い。
足がすくみそうになる。
(逃げ――)
頭に浮かんだその言葉を、蒼星は無理やり押し込めた。
(違う……!)
手を前に出す。
空間を開く。
今度は、“正面”じゃない。
獣の進行方向――その“少し先”。
「……ここ」
イメージする。
位置。角度。タイミング。
そして――
“中の時間”。
「……遅く」
異空間の一部だけ、時間を引き延ばす。
獣がその領域に踏み込んだ瞬間。
動きが、ほんのわずかに鈍る。
その一瞬を、逃さない。
「……今!!」
圧縮。
重力を、一点に叩き込む。
空間が軋む。
見えない“棘”が、今度は迷いなく形成される。
(外さない……!)
恐怖で震える手を、無理やり固定する。
そして――
“内側から”。
ズドォッ!!
鈍く、深い音。
獣の体が、途中で止まる。
そのまま――
背中側へ、突き抜けた。
一瞬の静寂。
それから、
ドサッ……
巨体が、崩れ落ちた。
動かない。
完全に、止まった。
「……え……」
蒼星は、しばらく動けなかった。
(……倒した?)
信じられない。
自分が?
あの化け物を?
数秒遅れて、全身から力が抜ける。
「っ……!」
膝が崩れ、その場に座り込む。
息がうまくできない。
視界が、少し歪む。
「蒼星!」
母が駆け寄る。
「大丈夫!?」
「……う、ん……でも……なんか……」
頭が重い。
時間の感覚が、ズレる。
さっきの一瞬が、やけに長く感じる。
逆に、今が妙に早く流れている気がする。
「……気持ち、悪い……」
自分の手を見る。
震えている。
さっきまで“支配していた空間”が、今は逆に、自分を引っ張っているような違和感。
父が低く言う。
「……使いすぎだな」
蒼星は小さく頷いた。
(やっぱり……)
なんでもできるわけじゃない。
代償がある。
その時――
「すげぇ……」
知らない声がした。
顔を上げると、少し離れた場所に一人の少年が立っていた。
年は同じくらいか、少し上。
その手のひらには――
薄く、冷気が揺れている。
地面には、いくつもの氷の塊。
さっきの“助けた人たちの方向”から来たのは間違いない。
「今の、お前がやったのか?」
まっすぐな視線。
蒼星は一瞬、言葉に詰まる。
人に見られるのが、少し怖い。
どう思われるか、考えてしまう。
でも――
「……うん」
小さく、答える。
少年は一瞬黙って、それから少しだけ笑った。
「そっか」
軽く息を吐く。
「助かった。あいつ、俺一人じゃ削りきれなかった」
その言葉に、蒼星の目が少しだけ見開かれる。
(……助けた?)
“自分が”じゃない。
“お互いに”だ。
少年は続ける。
「避難所、行くんだろ?」
顎で方向を示す。
「結界張ってるやつがいる。今のうちに集まった方がいい」
蒼星は、少しだけ迷ってから頷いた。
立ち上がろうとして――ふらつく。
「あ、やば……」
その瞬間、少年が軽く肩を支えた。
「無理すんなって。顔、やばいぞ」
少しだけぶっきらぼうな言い方。
でも、手はちゃんと優しい。
蒼星は小さく「ありがとう」と言った。
そして、もう一度だけ後ろを見る。
倒れた獣。
壊れた街。
震えている自分の手。
(……怖いまま)
(でも……)
ゆっくりと、息を吸う。
「……行こう」
その声はまだ弱い。
でも確実に――
前を向いていた。




