満月の夜
街は、すでに“普通”じゃなかった。
遠くで崩れる音がする。
叫び声が混ざる。
「……こっち!」
薙の声に引かれて、蒼星たちは走る。
蒼星はスマホを握りしめたまま、地図を見ていた。
(指定避難場所……ここ)
「あと少しだ……!」
母が必死に走る。
父は後ろで、周囲を警戒していた。
その顔には疲れが浮かんでいる。
(早く……早く行かないと)
その時だった。
「——危ない!!」
父の叫び。
空気が一瞬で変わる。
次の瞬間。
ドゴォォォン!!
目の前の地面が吹き飛んだ。
「きゃあっ!!」
衝撃で全員がよろける。
土煙の向こう。
そこにいたのは——
「……っ……」
言葉が出ない。
巨大な異形獣。
さっきまでのものとは、比べものにならない。
何かを“積み重ねたような異常な圧”。
人間を取り込んだ痕跡のような歪さ。
ただそこにいるだけで、空気が重い。
「グォォォォォォォォォ!!!!」
咆哮。
(……無理)
(これ……勝てるの?)
足が止まる。
動かない。
(怖い)
(死ぬ)
頭では分かっているのに、体が言うことを聞かない。
「蒼星!!」
薙の声。
でも届かない。
異形獣が腕を振り上げる。
その影が、ゆっくりと落ちてくる。
(来る)
(やだ)
(動け)
動けない。
その瞬間。
ドンッ!!
「ぐっ……!」
衝撃。
視界の端に、父の背中。
「……父さん?」
異形獣の一撃を、父が庇っていた。
肩から血がにじむ。
「……大丈夫だ」
それでも立っている。
(なんで……)
(なんで私を庇ったの…)
「……親だからな」
その言葉で、何かが崩れた。
(私、何してるの)
手が震える。
自分に言い聞かす。
(私が家族を守るって決めたのに!)
自分の頬を思いっきり両手で叩いた。
蒼星は一歩、踏み出す。
空間が歪む。
「もう一回……!」
棘が放たれる。
バシュッ!!
だが——
ガンッ!!
弾かれる。
「……効かない」
(硬い)
(さっきと違う)
異形獣がゆっくりとこちらを見る。
(見られてる)
(次は……)
その瞬間。
蒼星の頭に浮かぶ。
(閉じ込めた時)
(あの空間)
「……そうだ」
両手を広げる。
空間が裂ける。
「——入れ」
ズンッ!!
地面が沈む。
異形獣の足元に裂け目。
「グォッ!?」
バランスが崩れる。
そのまま——
空間が閉じる。
「……入った」
(今だ)
蒼星は目を閉じる。
異空間。
そこに異形獣。
「……圧縮」
ギギギギギ……
空間が歪む。
「グォォォォォォォ!!」
(もっと)
(もっと)
「終われ!!」
グシャァッ!!
静寂。
「……はぁ……」
膝が崩れる。
(終わった……)
だが——
「父さん!!」
振り返る。
父は倒れていた。
出血がひどい。
「嫌だ……!私のせいだ…。ごめんなさい」
あおいは泣き崩れる。
薙が顔をしかめる。
「まず病院に!」
でも——
ここから遠い。
しかも街はまだ危険の中。
(間に合わない)
(どうする)
その時だった。
強く思った。
(助けたい)
(安全な場所)
(今すぐ)
頭の中で“何か”が開く。
ぼやけた光景。
病院。
「……え?」
(見える)
(繋がってる?)
蒼星は無意識に手を伸ばす。
空間が裂ける。
丸い穴。
その先に病院。
「なにこれ……!」
母が驚く。
「行ける……」
蒼星はその中へ入る。
次の瞬間——
病院の前。
「……本当に来た」
「どこでもドアみたいだなこれ……」
薙が呟く。
父を抱えた薙と母が入ってくる。
(つながってる)
すぐに父を運んだが、病院は混乱していた。
「患者が多すぎる!!」
「ベッドが足りない!」
(間に合わない)
残酷にも時間だけが過ぎていく。
夜。
満月。
静かすぎる夜。
(今日は……出ない)
それが逆に、怖い。
父の呼吸が弱くなる。
「……蒼星」
「……ごめんな」
「やめて……」
涙が止まらない。
「……守れて、よかった」
(違う)
(守れてない)
「……強くなれ」
その言葉を最後に——
静かに、息が止まる。
「……父さん?」
返事はない。
「……嘘」
手が震える。
「……私のせいだ」
(動けなかった)
(怖かった)
(だから)
満月が窓から差し込む。
満月の夜は異形獣は出ない。
世界は静か。
でもその静けさが一番残酷だった。
蒼星はその場で崩れ落ちる。
(私が弱いから)
(全部失った)
涙が止まらない。
そして心の奥で、一つだけ強く残る。
(次は)
(絶対に)
(守る)
その誓いだけが、暗闇の中で燃えていた。




