蒼星の境界線
静寂が戻る。
さっきまでの緊張が、嘘みたいに消えていた。
風が吹く。
草が揺れる。
「……終わった、か」
薙が周囲を見渡す。
「うん……」
蒼星は小さく頷く。
(本当に……終わった?)
足元には、動かなくなった異形獣。
血の匂いが、微かに残っている。
さっきまで“生きていたもの”が、ただの塊になっている。
(……私がやった)
胸が、少しだけ重くなる。
「帰るぞ」
薙の声。
「……うん」
歩き出す。
結界の中へ戻る時、空気が変わる。
ピリッとした外の空気とは違う、守られている感覚。
(これが……結界)
「蒼星」
「なに?」
「さっきのやつ」
少しだけ間を置く。
「……すごかった」
「え?」
「正直、あそこまでできるとは思ってなかった」
(……お兄ちゃんが、そんな風に言うなんて)
「でもな」
薙の表情が少しだけ厳しくなる。
「無理はするな」
「……うん」
(でも)
(私はやらなきゃいけない)
2人は家へ向かう。
途中、同じように戻ってくる人たちがいた。
怪我をしている人もいる。
泣いている子供。
支える大人。
(これが……今の世界)
家に着くと、扉が勢いよく開いた。
「薙!蒼星!」
母の声。
「無事でよかった……!」
そのまま抱きしめられる。
(あったかい……)
「怪我は!?」
「大丈夫」
薙が答える。
「蒼星も?」
「うん、平気」
(ちょっと震えてるけど)
父が静かに近づいてくる。
「……行ったのか」
「うん」
蒼星は頷く。
父は少しだけ目を細めた。
(やっぱり、そうなるか)
「……そうか」
それだけだった。
でも——
(止めないんだ)
蒼星は少しだけ驚く。
「今日はもう休め」
父が言う。
「次がいつ来るかわからない」
(次……)
その言葉が、妙に引っかかる。
その夜。
ニュースが流れていた。
『本日、各地で異形獣の出現が確認されました』
『被害は拡大傾向にあり——』
映像が映る。
壊れた建物。
血の跡。
(……こんなに)
蒼星は画面を見つめる。
その時。
『——さらに深刻な情報です』
アナウンサーの声が、少しだけ震える。
『異形獣が“人間を捕食する”事例が確認されました』
「……っ」
空気が凍る。
「人間を……?」
母が呟く。
『そして——』
一拍。
『捕食後、異形獣の能力が大幅に増加することが確認されています』
(強く……なる?)
蒼星の心臓が大きく跳ねる。
(そんなの……)
薙も黙っている。
(最悪だな)
『現在、ある地域で非常に危険な個体が確認されています』
画面が切り替わる。
街。
見覚えのある場所。
「……ここ、近くじゃない?」
蒼星の声。
次の瞬間。
ドゴォォォォォォン!!!!
爆発音。
画面が激しく揺れる。
巨大な影が、建物を破壊している。
『避難してください!!繰り返します——』
叫ぶ声。
人々が逃げ惑う。
「嘘……」
蒼星の手が震える。
(こんなの……)
異形獣が、人を掴む。
そして——
喰らう。
「……やめて」
目を逸らしたくなる。
でも逸らせない。
(現実だ)
「薙……」
「……ああ」
薙の表情が固い。
(行くしかねぇだろ)
その時。
緊急警報が鳴り響く。
町全体に響く音。
『政府より通達です』
無機質な声。
『各区域の住民は、指定避難区域へ速やかに移動してください』
『繰り返します——』
父が立ち上がる。
「……来たか」
(こうなると思っていた)
「すぐ準備だ」
母も動き出す。
蒼星は立ち尽くしたまま。
(世界が……崩れてる)
外から、悲鳴が聞こえる。
遠くでまた爆発音。
「蒼星!」
薙の声。
「動け!」
「……っ、うん!」
(逃げるんじゃない)
(これは——)
(生きるための移動)
蒼星は拳を握る。
(でも)
頭の中に浮かぶ。
黒く歪んだ異形獣。
そして——
(ミオ……)
胸が締め付けられる。
(もし、あれみたいになってたら)
一瞬、呼吸が止まる。
でも——
(それでも)
目を閉じて、開く。
「……行こう」
その目に、迷いはなかった。
外ではすでに、人の流れができていた。
崩れ始めた街。
叫び声。
走る人々。
そして——
遠くで、巨大な異形獣が咆哮する。
「グォォォォォォォオオオ!!!!」
(始まった)
(本当の——地獄が)
蒼星はその光景を見つめながら、歩き出した。
——まだ、誰も知らない。
この戦いが、終わらないこと。




