2-10 偽物(sideタナトス)
隙をついて入った地下は、濃い瘴気が充満していた。
さっさとなんとかしないと、本当に瘴気中毒になりそうだ。
焦りつつも慎重に進む。
少し時間が経ったのにまだ瘴気が消えていないところを見ると、もしかしたらさっきの魔族に手こずっているのかもしれない。
あまり強そうな奴には見えなかったけど。
手こずっているのなら、尚更早くダクトに繋がる濃縮された瘴気の出口を締めて時間稼ぎをしないと。
地下は壁中に何かの機械や魔導具が取り付けられていて、所々にあるダクトから紅い煙が吹き出していた。
どこかに、瘴気がでる境目と……濃縮した瘴気を貯めているタンクがあるはずだ。
少なくともそのタンクから濃縮された瘴気が出てくるのを止めれば、少しは時間に余裕ができるはずだ。
曲がり角を何度か曲がった頃、ふと、何か違和感を感じて振り返った。
ブランディーヌ様が首を傾げている。
「どうしました?」
「いえ……すみません、なんでもないです」
若干の違和感を胸に、また先へ進む。
紅く煙る廊下の中、カツンカツンと足音が鳴る。
ぽつぽつと倒れている全身白い服の人を乗り越える。
薄い布地から覗く顔は、どれも赤黒い。
「……なんとか、瘴気を止められるといいんですけど」
「そうですね……境目はどこでしょう」
「さっさと潰して帰りたいんですけどね。なんたって、私の小さな子供が待ってますから」
「ふふ、きっとパパー!って抱きついて喜んでくれますね」
「……そうですね」
にこやかにそう話すブランディーヌ様をちらりと横目で見ながら先へ進む。
更に厳重に保護された扉が現れた。
恐らくここだ。
この先の瘴気はより濃そうだが、行くしかないだろう。
ガチャリと扉を開ける。
だだっ広い地下のホール。
中心には、上につながる3本の太い柱のような機械だらけの構造物があった。
シュウシュウと紅い煙が漏れ出ているダクトの横のガラス越しに、ギラギラと紅く輝く裂け目のような場所が見えた。
これが、魔界との境目。
そしてその瘴気を濃縮するタンクの一部が、この3本の柱なのだろうか。
「あれがタンクの瘴気を各ダクトに送る輸送機のようですね。あれを止めたらいいんじゃないですか?」
ブランディーヌ様が指差す先に、確かにダクトにつながり、ゴウンゴウンと音をたてて動く機械があった。
停止ボタンのようなものがある。
「押してみましょうか」
近づいて、手を伸ばしたその時。
ヒュ、という空気を斬り裂く音と共に俺に刃が振り下ろされた。
それをナイフでキィンと弾いて飛び退き、距離を取る。
「……よく避けましたね」
「それだけ殺気立ってたらな」
「えぇ、気づいてたんですか?やだなぁ」
にやりと笑うブランディーヌ様は、紅い霧の中、煌々と紅い目を光らせていた。
「…………お前は誰だ」
「裏切り者のブランディーヌですよ?タナトスさん」
「……違うな。お前はブランディーヌ様じゃない」
ジリジリと距離を詰めてくるブランディーヌのような誰かは、スゥと目を細めて俺を見た。
「なぜわかったのです?」
「俺の子供はまだ産まれてない。ブランディーヌ様が知らぬはずはない」
「……あぁ、なるほど。ややこしいですね。まぁいいです、すぐ死ぬんですから」
そう言うと、パチン!と音がした。
背後から長剣が容赦なく突き刺してくる。
タッと距離を取るが、またパチン!と転移され、至近距離で新たな攻撃が繰り出される。
ヤバい、さっき上にいた奴じゃなくて、こっちが本物だ。
強さも賢さも段違いだ。
なんとかギリギリで持ちこたえたところで、ブシュゥと嫌な音がした。
魔界との境目にあった、ガラスの窓が開いている。
濛々と紅い煙が立ち昇り、部屋を紅く染めていく。
「……どうです?良かったら、私の仲間になりませんか?」
パチン、と転移したブランディーヌ様のようなその紅い目の誰かは、手に針のようなものがついた瓶を持っていた。
瓶の中には、ドロリとした紅い液体が入っている。
「あの『魔王』のような強い力を手に入れましょうよ」
キィンと剣を弾き距離を取るが、すぐにパチンと転移され、距離が広がらない。
何度防いでも変わらない距離。
至近距離で長剣を防いで空いた腹に蹴りが飛んできた。
直撃は避けられたが、受けた衝撃で傷ついた胃がズキンと悲鳴を上げる。
俺のその隙は見逃されず、ヒュ、と針を持つ手が俺の首元目がけて振り下ろされた。
ガン!と何かがその瓶にあたり、粉々に砕け散る。
そしてパチン、とブランディーヌのような何者かが転移して距離を取った。
「……あの魔族、もう負けちゃったんですか?正直、期待外れですね」
「こっちも急いでるからね」
振り返ると、ルヴァイ様が新しい弾を魔導具に込めていた。
俺が突き刺されそうになった針付きの瓶を破壊したのはルヴァイ様だろう。
あの速さで動く小さな瓶を狙い撃ちにするとは、精度が凄い。
リューカスのような化け物のじみた派手な威力はないが、繊細で正確な一手に、常人離れした魔術のセンスを感じて震える。
これが、古代魔法を失っても変わらず『魔王』と呼ばれる男の力か。
ルヴァイ様は手から何かの魔術をパン、と放った。
それは機械のスイッチにパシュン、と当たり、瘴気の送り出しが止まる。
「……瘴気濃すぎるね。リューカス、天井に風穴開けてもらってもいい?」
「了解」
バーーンと天井が弾け飛んだ。
風穴というか丸ごと破壊だ。
リューカス、お前、ちょっとイライラしてるだろう。
さっきのルヴァイ様の魔術とは真逆の、繊細さの欠片もない破壊に苦笑いする。
「っぷはぁ!やられたわ。同じところグルグル回ることになるなんて。壁が壊れて助かったわ。で、あなたどなた?私の姿に成り代わるなんて、悪戯が過ぎるのではなくて?」
長剣をギラつかせて瓦礫を超えてくるブランディーヌ様がキレている。
おいおい……みんな死にそうだからってギラつき過ぎだろう。
チャリ、と残りのナイフの数を確認した所で、背後から声が聞こえた。
「ルヴァイとリューカス殿下から伝言です。ちょっとした作戦があります。とにかく、タナトス様はこれ以上動かないで、できるだけじっとしてて下さい。」
「……OK」
派手な動きの合間に俺の背後に来ていたらしい魔王の女エルリーナは、伝言を伝え終わると、またすっと物陰に潜んだ。
確かに、この子は武器も何も持ってないし、出ていったら即狙われそうだ。
魔王はなんでこの子連れてきたんだろう。
確かに、解析の魔術は助かるけど。
何か特殊能力でもあるんだろうか。
「………で、お前は誰なの?魔族?」
明らかに苛ついているリューカスの声に、はっと顔を上げる。
暫く沈黙を守っていたブランディーヌのような誰かは、くすりと笑って答えた。
「いいじゃないですか、もう私は誰でもないんですから。まぁ、強いて言うなら……」
そうしてシュゥゥゥ、と紅い霧を纏って姿を変えた。
「ライエ・ゼライアだった男、でしょうか」
白に近い短い銀髪に白衣を纏ったその男の姿は、確かにゼライアカンパニーの社長だった。
ただし、以前と違うのは、その目が紅く染まっている事だ。
「ラ、イエ……?」
ブランディーヌ様が驚愕に目を見開いている。
ライエは、その声の主には見向きもせず、妖しく微笑んだ。
「驚きましたか?今はもう、普通のニンゲンも魔族の力を手にできるんですよ」
妖しく笑ったその顔は、確かにヒトとはちがう雰囲気を醸し出している。
そして片方の手は、魔族のように赤い鱗に覆われ、長く鋭い爪が生えていた。
そしてまたパチンと音が鳴る。
はっとして気配を辿ると、ライエが長い爪でリューカスに襲いかかるところだった。
バチバチと強烈な雷撃でリューカスは反撃したが、あっという間にパチンと転移して捕まえることすらできない。
こいつ、さっきのやつよりも転移が早すぎる。
続いてガキン!とルヴァイ様に襲いかかる。
応戦するがまたパチンと距離を取られて攻撃が当たらない。
ただ、距離を取るのが上手でも、致命的な一手は出せないようだ。
ライエは、パチンと転移して、大きく距離を取った。
「なんだ、下級魔族程度の力しか無いんじゃないか?」
ルヴァイ様が煽ると、ライエは少し目を細めてから、ふ、と笑った。
「……これから幾らでも力は上げられますから。そんな事より、生き残ることでしょう?貴方たち、何かの薬で瘴気に対抗しているようですが……私の解析によると、もう少しでこの瘴気にやられちゃうんじゃないですか?」
ライエ・ゼライアはこのゼライアカンパニーの社長だが、元は医者や錬金術の研究者だ。
解析などあっという間だろう。
こちらの焦りを的確についてきたこの男は、白衣のポケットからまた新しく紅いどろりとした液体が入った針付きの瓶を取り出した。
「私が発明した、魔族化できる薬です。これなら瘴気を味方につけ、魔族の力を手にできますよ。どなたか、私の仲間になりませんか?仲間が減ってしまって困ってるんです」
パチンと転移してブランディーヌ様に間近でニコリと笑いかけたライエは、紅い液体をチャプリと揺らした。
ブランディーヌ様はサッと避けて長剣で斬りかかるが、またパチンと転移され逃げられる。
「ライエ……そんな事をしてどうなる?お前がなぜ魔族の力を手にしたいのか、私にはさっぱりわからない」
「……技術の進歩に沿って、俺達も進化しないといけないだろう?」
にこやかに笑うライエの背後から、沢山の紅い煙が立ち上る。
まずい、瘴気の濃度がどんどん濃くなってきた。
それを分かってか、ライエはクックと楽しそうに笑った。
「魔力タンクは便利だっただろ?瘴気の力があればもっといろんなことができる。俺は新しい技術と共に進化した。だから、正しい」
「だからってこんな……!」
「煩い。……もう、後戻りはできない」
ブランディーヌ様を横目で見たライエは、ぐるりとその場にいる者を見渡し、チャプリと紅い液体を揺らした。
「残念ながら皆さんは私の仲間にはなってくれなさそうですね……じゃあ、時間切れになる前に一人だけ、無理矢理でも仲間になってもらいましょう。………私と同じ、医学の心得がありそうなお嬢さんにね」
そうしてパチン!と音を鳴らしたライエは、物陰に隠れていた魔王の女の元に転移した。
怪しく笑ったその顔には紅い目が煌々と光り、ドロリとした液体が鋭利な針と共に振り下ろされる。
しまった、と思ったときには遅かった。
もう間に合わない。
無心な表情の魔王の女は、スッとその針と紅い液体に目を走らせた。
そして、そのまま。
ガシリと針を持つ手を掴むと、ライエ・ゼライアを思いっきり張り倒した。
「ガッハ……!?」
パリンと紅い液体の入ったガラスが割れる。
遅れてパチン!と転移したライエは、少し離れた位置でぐらつき、膝をついた。
「っき、さま……何を!?」
「何って、貴方のそのおかしな身体を元に戻してあげただけよ」
「なん、だと……!?」
みるみるうちにライエは姿を変えた。
その姿に息を呑む。
胸と顔の半分が赤い鱗に覆われ、その境目は焼けただれたように引き攣り、痛々しく縫い合わされている。
「その縫い合わされた魔族の身体、あまり感覚が無いんでしょう?貴方がお喋りしている間に私が投げたお薬付きのメスの替刃、全然気付かなかったみたいね」
「薬付きのメスの替刃……!?」
よく見ると紙のように薄い、小指ほどの長さもない刃物が、ライエ・ゼライアの縫い合わされた魔族のような身体部分に、あちこち刺さっている。
なんて奴だ。
全然気付かなかった。
元々、戦闘向きの女じゃないと思って、守らなきゃとは思いつつ他の動きは特に気にしていなかった。
恐らくあのライエ・ゼライアもそうだろう。
前言撤回だ。
多分体術もメラフィーヌより断然強い。
おまけに知らぬ間に薬物付きのメスを転移で移動しまくっているあの男に投げて刺してるとか。
ニヤリと悪女のように笑う姿に少し身震いした。
流石魔王の女……
「その薬は高濃度の瘴気の解毒薬よ。瘴気と魔力の反応を防ぐから……貴方の魔族の身体の部分はもう動けないと思うわ」
そうして魔王の女は悲しそうな顔をした。
「私は医者よ。本当は、貴方の命も助けたい。だけど……その身体になる前にはもう、致死量の瘴気を吸って、その紅い薬を使ってしまったんでしょう?」
「………貴様に、何が分かる」
ライエ・ゼライアはほとんど動かなくなった半身を引きずりながら、紅い目を光らせて立ち上がった。
昏い笑いが溢れている。
「あれはほんの少しの偶然だった。針の穴ほどの魔界との境界から漏れ出る新しい力。応用するのは簡単だった。これまでにない新しい力、新しい技術、新しい文明。好奇心を揺さぶられない研究者はいるか?」
ライエがそう言い終わらないうちに、ブランディーヌ様が飛び上がり、空中から長剣を振り下ろした。
ライエは残る人の手で長剣を握り、迎え撃った。
ライエの長剣とブランディーヌ様の長剣がぶつかり、ギィンと高い金属音が鳴る。
アナクラシアの伝統武術の長剣は流れるような軌跡が美しい。
魔界との境目から漏れる紅いギラギラとした光に長剣が照らされて、禍々しくも芸術的な演舞に見えた。
無表情なライエに、苦虫を噛み潰したような表情のブランディーヌ様が長剣を振り下ろす。
「お前は確かに素晴らしい研究者だった。だがなぜ、こんな、世界を滅ぼすようなことを……」
「滅ぼす……?」
ギギギィン、と何度も長剣と長剣がぶつかり合う中、ライエが何かを呟いた。
そして発動した魔術でブランディーヌ様が弾け飛ぶ。
「俺が欲したのは、発展だ」
ゆらりと魔界との境目の前に立ちはだかったライエは、なぜか呆然と境目を見つめた。
「そう……発展だ。俺が欲したのは……人の世の、発展だ。発展だった」
ギラギラと光る魔界との境目の前に立つライエを、紅く濃い瘴気が包む。
一気にその目が怪しく紅く光り、ライエが人ならざるものとして作り変えられて行くようだった。
ライエは魔界との境目の光に照らされながら、どこか違う世界を見るように呟いた。
「俺は新しい世界が見たい。新しい技術を生み出したい。その果に、この命が消えるのなら本望だ………そうだ、だから見せてみろ。このニンゲンとして大きく進化した私に挑むというのなら……お前たちがこの高濃度の瘴気の中でどうするのか、『最後』に見せてもらおうか」
そうして、力の入らない魔族の手で、何かのスイッチを叩くように押し込んだ。
ガコン、と何かが外れた音がした。
床に、隠れた扉があったのだろう。
ブシュウと大量の紅い煙が、開きかけた床の扉から溢れ出した。
それは、魔王の女が立っていた場所だった。
その姿が、開いた床の扉から立ち上る濃い紅い煙の中に消える。
パン!という音。
それに続いて、紅い煙の中に飛び込む魔王。
リューカスが何かの魔術を発動させたのか、風が思いっきり吹いて、紅い煙を宙に吹き飛ばしていく。
それでも。
目の前が紅く染まり、ぐらりと視界がブレる。
流石の中和薬も、耐えきれなかったのだろうか。
俺は力の入らない手で、自分の胸元をぐっと叩いた。
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