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オホン。
「ひとつだけ良いかな。紅家の主を疑うっていうあんたの意見は、どっから来るもんなんだ」
張りつめた緊張の糸を断ち切るように咳ばらいを一つして、坂東さんが尋ねた。
先程三神さんの発した言葉に対してである。
紅家から玉宮家へ入った電話で、おことさんの身の回りの世話を焼いている水中さんという燐家のご婦人が、こう言ったという。
『カナメ様が、御隠れになられた』。
そしておことさんを代弁し、こうも言っていた。
『若い女がこの村へ来て、カナメ様の御力を奪い去った』と。
水中さんが通訳していたその場面に、僕も辺見先輩も立ち会っているのだから間違いはない。
「奪い去った、という言葉には二つの意味がある」
三神さんの説明は、こうだ。
三神幻子の事を知る人間であれば、奪い去るという言葉を聞けば、すなわち「借り受ける」行為だと早合点する。しかし、カナメ石の持つ霊的加護の力をなんらかの方法を用いて「消し去った」場合でも、おそらく奪い去ったと表現する可能性は十分あるだろう。
「そもそも幻子にはカナメ石から力を借り受ける理由はないし、あの子だけが成しえる行為は対象の保有する能力を消し去るわけでも奪い取るわけでもない。いわばコピーだ。もちろん制約はあるし、永遠に同じ御業を使いこなせるわけでもない。だからこそ『借り受ける』なのだ。百歩譲ってあの子がカナメ石の力を借りたとて、それであの井戸の封印が弱まる事など決してない。それはこのワシが保障しよう」
「保障と言われてもねえ」
口端をひん曲げながら坂東さんはそう言い、賛同を得ようとするかのように秋月さんを見やった。しかし先んじて三神さんが言う。
「どうだい、六花嬢。お前さんがこのワシを保障してくれるね?」
坂東さんが拗ねたように眉間に皺をよせると、秋月さんはそんな彼を一瞥した後、三神さんに向かって頷き返した。
…となると、他に確認する手だてとしては、やはり…。
津宮さんが呟き、各々の視線がめいちゃんへと伸びた。
すると秋月さんは観念したように溜息を付き、
「分かったよ」
と、理解はするが賛同はしない、という感情を吐き出しながら言った。
三神さんが、僕と辺見先輩を見やる。
「これで、お前さんらも多少は理解が出来ただろう。いやぁ、二人が戻って来てくれて助かった。なんせ、今から行う事はめいにとっても不安が付きまとうものでなぁ。むさいジジイにババアしかおらんこんな村の最奥に行かせるには、いかに六花嬢同伴とは言えさすがに忍びないと思うとった」
「めいちゃんは今から、何をすると言うんですか?」
僕が問うと、めいちゃんは左手を上げて自分の左耳に添えた。
秋月さんが答えた。
「めいは、普段からもの凄く耳が良いんだ。もの凄く、良すぎるんだよ。…死んだ人間の声が聞こえるくらいにね」
「…え?」
めいちゃん自身にも、自分が持つ能力の理屈は分からないという。
耳をそばだてて意識を集中すれば、例えば学校程度の範囲であれば校舎のどこにいようと、その者が発する言葉を聞き分けることが出来るそうだ。だが真に驚くべきは範囲の広さではなく、その対象にある。めいちゃんの聴力が及ぶ範囲内であれば、対象は生きている人間だけに留まらないそうだ。つまりは、死者の声が聞こえる。それがめいちゃんの持つ、霊能力だという。
そしてある程度は意識的に遮断する事も可能だそうで、いつでもどこでも他人の声や、死者の声が耳に飛び込んでくるわけではない。しかしめいちゃんがその気になった場合、この世に彷徨い戻って来た霊体を相手にし、彼らの声が聞こえななかった経験は一度もないそうだ。
この話を聞いた時、僕はめいちゃんが幻子に憧れる理由がなんとなく理解出来た。
めいちゃんもまた、只者ではないのだ。
僕たちは玉宮家を後にすると、全員で紅家へと向かった。街灯の少ない村の道には、すでに夜の気配が降りてきつつあった。先頭を三神さんが歩き、その後ろをめいちゃんと秋月さん。彼女の隣に坂東さんが付き従い、僕、辺見先輩、最後尾が玉宮小夜さんと津宮さんである。家を出る時、津宮さんが一度奥に引っ込み、出て来た時には風呂敷包みを首に巻いていた。奥に下がる時に何枚の料理皿を持ち去った事から察するに、おそらく風呂敷の中身は、残り物の料理だろう。
辺見先輩が歩調をゆるめて、玉宮さん達が追い付いてくるのを待った。
「蛇ですか?」
と、先輩が声を掛けた。
玉宮さんはぎくりとした顔で立ち止まり、辺見先輩を睨んだ。
「警戒しないでください。私も、見える体質なんです」
苦笑しながら両手を開いて見せる先輩をじっと見据え、
「なぜ、蛇だと?」
と玉宮さんは聞いた。
「んー、勘です。小夜さんの体の中をぐるぐると泳ぎながら、何かがあなたを守っている。と同時に…」
辺見先輩の目が、津宮さんが背負う風呂敷包みをチラリと見た。
強烈な食欲に、今にも暴れ出しそうだ…。先輩はそう思ったという。
「年を負うごとに、燃費が悪くなるのさ」
自嘲気味にそう言って、玉宮さんは風呂敷に手を突っ込みアルミホイルに包まれたおにぎりらしき物を取り出した。
「いつも何かを口にしていないと不安で仕方ない。いつ内側から食い破られるか…。こやつは強力ではあるものの、八十を過ぎた身には過ぎたる量を喰らわされる。厄介な力だよ」
悲し気な顔をする津宮さんの隣で、小夜さんはアルミホイルを開いて中の物を頬張った。
「良い物がありますよ」
辺見先輩はそう言うと、ショルダーバッグの中から茶色い紙袋を取り出して小夜さんに手渡した。
「私も大分燃費が悪いので、いつも持ち歩くようにしてるんです。教えていただいたものなんですけどね、美味しくてエネルギー補給に最高です」
小夜さんは背を丸めて、辺見先輩が持つ紙袋を覗き込んだ。
「なんだいこれ?」
「金平糖です」
僕は先頭の三神さんに追いつくと、小声で話しかけた。
すぐ後ろには秋月姉妹と坂東さんが歩いているが、旧知の間柄がこの場合功を奏し、昔話に集中しているのが分かった。僕は今しかないと踏んで、三神さんに尋ねた。
「紅家の井戸の下には、何がいるんですか?」
すると三神さんは指先で顎を撫でつつ前を向いたまま、唸るような声を出した。
「井戸の下、な。この村はなぁ、新開の。…やはり、効きが強すぎるんだよ」
僕は彼が口にしたキキという言葉を危機だと勘違いし、返す言葉に窮した。
「生きる人の数だけ思いがある。だがなあ、思いの強さには当然個体差があって、本来平等であるはずの人々の思いに優劣が出来る。いや、優劣があるかのように、見える。分かるかな?」
「…多分、なんとなくは」
「狭い村だ。より、その優劣は顕著に表れる。その時、後ろへ後ろへ追いやられてしまった人の思いはどうなると思う?」
「どうなるんですか?」
「呪いへと変わる」
「…まさか」
村に良くない事が起きようとしている気配は、ずっと感じている。
紅おことさんも言っていた。
『厄介な奴が、戻ってきよんぞぉ』
それが井戸の底に眠る魔物であろう事は疑いようがなかったし、カナメ石の霊力が消え去り謎の女の生首が現れるようになったこともまた、事態の深刻さに拍車をかけている。犯人が幻子ではないにせよ、村に侵入して紅家の庭に入り、カナメ石から霊力を奪い去った者がめいちゃんの見た不審な人影なのであれば、もっとも憂慮すべきは、時間だ。なぜならそれは、既に三ヶ月も前の出来事なのだ。
いつ何が起こっても不思議ではない。
三神さんはそういった意味あいの事が仰りたいのだろうかと、僕は小首をかしげた。しかし、今一つ納得のいく返答ではなかった。三神さんはそんな僕の様子に気が付いたのか、
「なあに」
と普段通りの口調で声を上げた。
「リベラメンテ事件を共に乗り越えた新開君や辺見嬢がおる。めいもおるし、バンビも六花嬢も控えとる。大丈夫、今日中に片をつけるさ」
「き」
今日!?
もうすでに日が暮れかかるというのに?
今からこの面子で、魔物退治に向かおうっていうのか?
僕が慌てて辺見先輩を振り返ると、彼女はピンク色の大粒の金平糖を、玉宮さんの口に放り込む所だった。




