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三神三歳の娘であり愛弟子の三神幻子は、不思議な力をいくつも持つ十七歳の高校生である。
中でもひときわ異彩を放ち、彼女が「神の子」と称される由縁でもあるのが、霊力を借り受ける、というものだ。僕は以前、幻子本人から能力についての説明を受けたことがある。簡潔に言えば、無機物であれ有機物であれ、霊力を保有しているものが対象であれば一時的に同じ能力を借りられる、というものだった。
彼女の力が本物であることに、もはや疑いの余地はない。しかしこの世に同じ事が出来る人間が二人もいるわけがない、というのもまた疑うまでもない真実だろう。彼女は「神の子」、特別なのだ。
であるならば、紅さん及び水中さんの言葉通り、カナメ石の能力を奪い去る事が出来るのは、この世にたった一人しかいない。誰もがそう思い、そして僕もそう思っていた。
「これは、ワシと同じ拝み屋として生きるあの子の進退に関わる話でもあるから、これまで他人に打ちあけたことはない。だがあの子が疑われている以上、話しておきたいと思う。幻子は確かに、他者の霊力を借り受けることが出きる。しかしそれには条件がある」
坂東さんの表情が曇り、無意識に秋月さんを見ていた。坂東さんも、そして秋月さんにも心当たりのない話であるらしかった。当然、僕と辺見先輩も同じである。
「あの子が霊力を借り受けるには、その対象者の霊能力の発動を自分の目で見る必要があるんだ」
「嘘だ」
鋭く言い放ったのは、坂東さんだ。
「うち(広域超事象諜報課)を甘く見るなよ。あんたの娘はほとんど生ける伝説と化してる。当然うちでも諜報対象としてマークを張り付けてあるんだ。あいつは以前、東京中の道祖神から少しずつ霊力をかき集めている姿を目撃されている。相手は言っちゃあ悪いが石像だぞ?ご利益くらいはあるかもしれないが、石像がいちいちあいつの前でハッピーパワーなんぞ発揮すると思うか?」
「お前、道祖神をなんだと思ってるんだ?」
そういう秋月さんを見返し、
「地蔵」
と坂東さんは素っ気ない即答を返した。
「それはそんなに難しい話じゃない。あの子は呪いを打てるからな。ワシの手ほどきもあるし、ちょっとした手順で道祖神に呪術を施すこと自体は造作もない。すると当然、厄災を退けるためにおわす路傍の神は呪いを跳ね返そうと奮起する。そこをパクリと掠めとるわけだよ。…どうだね、凄かろう?」
僕は思わず耳を疑い、辺見先輩は俯いたまま目を見開いていた。
道祖神相手に、呪いをかけて回ったのか、あの子は?
「問題はそっちじゃない」
と三神さんは続ける。その視線が秋月さんへ向いていることに、僕は胸騒ぎを覚えた。
「あの子は以前、わけあって六花嬢のもとを訪れたはずだ。そして、お前さんの持つ治癒の力を見事に物にして戻ってきた。という事はつまり、幻子が傷を負って治療してもらったか、あるいは六花嬢自身が傷つき、その施術を目の当たりにしたか。そのどちらかだ」
ちなみに言えば、ワシの娘が怪我をしたなどという話は聞いていない…。
三神さんがそこまで言った時、玉宮さんと津宮さんの視線がぐっと秋月さんを射抜くのを感じた。
この村から姉妹の経営する喫茶店までは歩いても一時間程だ。この村で起きているという問題解決にむけて三神さんを派遣した時点で分かっていたことだが、秋月さん自身がこの村となんらかの関係がある。
彼女の持つ治癒能力はもちろん、僕や辺見先輩などよりは断然秋月さんの事を知っているのだろう。そんな玉宮さんと津宮さんの向ける眼差しは、とてもじゃないが温かいとは言えなかった。
何も言わずにカーペットの沁みを睨んでいる秋月さんに、三神さんが静かに尋ねた。
「もしやと思うが、おことさんの言っていたその女子と、会った事があるんじゃないかね?」
会ってはいない。
そう、秋月さんは答えた。思いつめた彼女の表情が芝居である可能性もなくはない。しかし僕は、秋月さんを疑う気にはなれなかった。
ある日の夕刻、いつも通りお店に出ていた秋月さんは、めいちゃんが下校時間を過ぎても帰らない事に不安を募らせていた。その日は金曜日で、クラブ活動も居残り授業もない筈だった。午後五時を回った辺りで秋月さんは学校に電話かけ、校内にめいちゃんが残っていないことを確認してもらった。そしてすぐさま持たせていためいちゃんの携帯電話に店からかけたところ、留守電に切り替わった。
その直後、折り返しのように店の電話が鳴り響いた。しかし番号通知のディスプレイを見ると、相手先は「コウシュウデンワ」。嫌な予感を覚えながら受話器を取ると、相手はめいちゃんだった。どこにいるんだと問い詰めるも、めいちゃんはとても小さな声で、
「お店のそばに、よくない人がいる。怖くて帰れない。お姉ちゃん、気を付けて」
そう答えたという。
秋月さんは電話を切り、めいちゃんを探すべく店を出ようとした。
だがその時ようやく、店の出入口である重たい扉の向こうに何かが立っている事に気が付いた。本能が、人ではないと告げたそうだ。
店の扉は海風や強風にあおられて開かないよう、重たく頑丈に作られている。はめ込みの窓ガラスもなく、自動ドアでもない。基本的には扉の前に人が立っても、潮騒の音が邪魔をして気配に気付くことはないそうだ。だがその時は、扉を隔てたすぐそこになにかが立っているのを確かに感じたのだという。めいちゃんの言った『よくない人』というのはこれだど直感した。
秋月さんは不用意に動く事をためらい、その場でじっと立ったまま、扉の向こうを睨み続けた。どれほど時間が経過したかは分からないが、扉の向こうに立つものは一言も発さず、それなのに入って来ようともしなかった。
不意に、扉の向こうから気配が消えた。その刹那、秋月さんは両膝を折って吐血した。呪いを受けた。秋月さんは咄嗟にそう思ったそうだ。そして次の瞬間、ゆっくりと重たい扉を押し開けて現れたのは、制服姿の三神幻子だったという…。
「めいは、何を見た?」
努めて静かに柔らかい声で三神さんが尋ねると、めいちゃんは首を傾げて「不審者?」と答えた。
めいちゃんはその日、携帯電話を学校に置き忘れたまま下校してしまった。心配した秋月さんが彼女の携帯を鳴らした直後、公衆電話から折り返すようなタイミングで店に電話をかけたのは、めいちゃん曰く単なる偶然だという。めいちゃんは一度、お店の近くまで帰って来ていた。しかしそこで不審な人影を目撃して観察するうち、急に怖くなってその場を離れたのだという。
「顔とかは全然見てない。男の人か女の人かも分からない」
「声を聞いたんだね?」
「うん。耳だけは良いから」
三神さんは得心したように大きく頷き、小夜さんたちに目をやった。
いや、待て。耳が良いとはどういう意味だ…?
不審な人影を見たにも関わらず顔は見ていないという。怖くなってその場を離れたというなら、彼女は一体どんな距離で、何を聞いたんだ?
めいちゃんは僕と辺見先輩の視線に気が付き、照れたように笑って小さな舌を出した。辺見先輩が一瞬僕を見やり、そして視線をめいちゃんに戻した。
なんとなくそんな気はしていたが、やはり秋月六花さんの妹めいちゃんも、その身に霊力を宿しているのだろう。でなければ、諸々の説明に辻褄が合わない。
「つまりは、六花嬢。幻子は呪いを受けたというお前さんが、自ら治癒を施す場面に立ち会ったと、そういうわけなんだな?」
三神さんの問い掛けに秋月さんは頷き、隣に座るめいちゃんに気遣う視線を向けた。
幻子の疑いは、晴れた。しかし全く喜べない。
呪いを受けたなどとサラリと言うが、秋月さんは誰に何をされたというのか。それはつまり、攻撃を受けたということなのか?
「その後、その扉の向こうにいた気配がどこへ向かったのは、あんたは知らないんだね?」
津宮さんが聞くと、秋月さんは肯定の意味を込めて首を横に振った。
「三神さんとこのお弟子さんも、姿は見てないと言ってたのか? あんたの話じゃあ、ほとんど入れ替わりに現れたように聞こえる。ここまで来てもらって、この人のお弟子を疑いたくはないがね、事情を何も知らない人間がその話を聞けば、普通に三神さんの所が一番に怪しい」
疑いたくはないと言いながら、津宮さんが今もって幻子を疑っている事がはっきりと感じられる物言いだった。しかし、仕方がないと言えば仕方がないのだろう。津宮さんの意見は、至極真っ当だった。
「全然違います」
そう答えたのは、めいちゃんだ。
「もしお店に現れたのがまぼちゃんだったら、私がお店に戻りたくないなんて言うわけない」
まぼちゃんという幻子の愛称に、僕の胸にじんわりと温かな感情が広がった。だが対照的に、津宮さんの態度は冷ややかだった。
「じゃあ、君は自分の店にそばにいたという、よくない人? それはなんだと思う。何を聞いたんだ」
めいちゃんはためらいがちに答えようとしたが、彼女をかばうかのように秋月さんがこう答えた。
「幻子は、あれは人間だと言っていた。良いとか悪いとか、そういう能動的な感情は何もなく、思いついたまま周囲を巻き込んで回転し続ける災厄の塊だって、そう言ってた」
なんだそれ…。秋月さんの隣で、坂東さんがあんぐりと口を開いた。
確かに、幻子の話し方は用いる表現も独特で、突拍子がないように聞こえる。だがそれは彼女が奇をてらっているだとか、あるいは理解不足だとか、ましてや噓をついているとかでは決してないのだ。そして何よりも、あの幻子をして「災厄の塊」と称される人間がこの世に存在する事が、僕には恐ろしくてたまらなかった。
幻子が言うには、彼女が浜辺へ降り立つと同時にその人物は店の裏手へ回り、その後の姿は見ていないそうだ。
玉宮さんがおもむろに口を開いた。
「だが、三神よ。お前の娘がそう言うからには、相手の素性を全く知らないというわけでも、ないんじゃないのかい?」
同意の頷きを返しながらも、三神さんが反論しようと口を開いた、その時だった。
突然、めいちゃんが言った。
「風に乗って聞こえてきたの。その人ね、お姉ちゃんのお店の周りをぐるぐると回りながら、ずーっとブツブツと呟いてたの。…出て来い、出て来い、出て来い、出て来い、出て来い…」
秋月さんは口を噤んで、自分のお腹を押さえた。
もしあの時幻子の到着が遅れていたなら、あるいは…。
そう思っただけで、僕は痛くもない自分の腹が痛くなるような、そんな感覚に襲われた。




