表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

息子

 

 彼女は、姉ほどではなくとも元々きちんと教える者さえあれば優秀な人なのだろう。

 私が教えた事を、しっかりと素直に飲み込みするすると知識を吸収していった。

 彼女は努力を続けるも、姉の責苦に徐々に徐々に精神は磨り減っていき、次第に陰ていく彼女の笑み。


 そんな頃、彼女の婚約者が決められた。

 出来が悪く、他国へと出すには恥だと言う理由で、国内の到底高いとは言えない貴族が彼女に与えられる。貴族に、彼女が与えられた、といった方が正しいのか。


 けれど、何の幸運か。相手は誠実で、優しく、彼女に微笑む人だった。

 彼女は彼に思いを寄せ始め、少女は日に日に綺麗になり、美しく女性へと花開く。


 彼への思慕からか、努力を重ね続けた彼女は、ふらつきながらも進んでいた足取りを段々と確かな物へと変え、無理やりと浮かべていた笑みを、揺れ動く心を内にしまい込む術を知る事で、自然なものへと変化させていった。


 ふと、気付けば伸ばしそうになる掌を、拳を作り力で押さえ込む事が増えていた。

 薄々、感じてはいたが何時の間にか私は彼女を思っていたのだ。


 けれど、彼に微笑みかける彼女。

 彼女の望み、彼女の幸せ。彼女を思うのならばと無理やりにでも私は腕をとどめおく。

 どれ程それが容易いことではなくとも、私は軋む胸の痛みに耐えた。


 幸せな時でも、彼女の憂いが無くなる日は来ることもなく。

 下級貴族が相手などと、姉が嘲笑いに来る日々が続いた。


 諾々と、口を閉ざし姉に耐える彼女に姉は呆れ、興ざめだといわんばかりに鼻を鳴らし、その矛先を私に向けた。


「下級貴族であっても貴族。お前には幸せなことよね。贅沢すぎる程だわ」

「品の欠片もない、そこにいる野卑な者の方がお前には似合うのに。ほんと、見るも不愉快な卑賤な者がこの場に居ることすら嫌なのに、お前と舐めあっているのかと思うと……」


 不快といいつつも愉快に笑う口元を隠しつつ軽い笑い声を立てる姉。付随して、姉の後ろに控える者達に上がる笑い。


「卑しい者たち」

「……らが」


 見下す事を最早隠すことも無くなった姉姫の好き勝手な言葉に、彼女は堪りかねたのか。硬く閉じていた唇を開き、呟いた。


「何か言ったかしら?」


 微かに聞こえた何かを姉姫が問い返せば、彼女は伏せがちだった視線をまっすぐと姉に向け、はっきりとした声で言い放つ。


「卑しく、汚らわしいのは姉上ではないのかと、言いました」


 先ほどまで、鳴いていた取り巻き達の声さえ途切れ、部屋に静けさが広がった。

 固い意志を持ち、姉と対峙した彼女と、言われた言葉をすぐには理解できずにすこし後にじわりじわりと目を見開いていく、姉姫。

 私が知る限り初めての、彼女の抵抗だったためか。姉姫は虚をつかれた表情を浮かべている。


 噂される優れた頭脳でも自身に対する悪態には即座に対応できないようだ。


 それでも、かっ、と顔を赤らめわななく唇を一度ぎゅっと閉じると声高に叫んだ。


「無礼者っ! 可愛くとも何ともないあなたの話し相手になってあげているというものを!!」

「話し相手? いびり相手の間違いではありませんか」


 激高する相手に淡々と返す彼女は、いつかの彼女ではない。いわれるままに俯いていた彼女では。

 背を伸ばし、相手を見つめ自身を持った姿に時を感じた。


「姉上。私の事はなんと言われようとかまいません。ですが、この者を悪く言うのはお止め下さい。貴賎問わずに接する者こそ王族だと、御祖母様がおっしゃったのをお忘れですか? 謂れない批判は……」

「うるさいっ! その汚らしい口を閉じよ! 出来損ないごときが私に意見などするなっ」


 主として立派な、彼女の言葉は姉姫によって遮られる。顔をまっかにして怒る姉姫の様は悪鬼の如く。美しいと称えられる顔など見れたものではない。

 禍々しく、不気味なまでの表情で音を響かせ姉姫等は出て行った。


 静まり返った部屋。

 閉じられた扉から彼女へと視線を向ければ、小さな震えが起きている。


「姫様」

「あ、……」


 私の声に反応し、震えはますます刻まれる。彼女はいう事のきかない自身の掌を困ったように眺めて失笑した。


「情けないわね。とうとう言ってしまったわ」


 歯向かったという事実に、体が今になって震えだしたのだろう。

 だけど、震える掌を押さえ込むように握り締め、続けられた言葉。


「後悔はしていないわ。あなたは私にとって何より大事な人であるし、私は何も間違ったことは言っていない」

「……姫様」

「なぁに?」


 今だ、小刻みに震えながらも晴れやかな笑みが眩しく見え。目を、細めた。


「お強く、なられましたね」

「本当?」

「ええ」

「貴方にそう言ってもらえると、何より、誰より嬉しいわ」


 胸に手を置き、震えが収まりつつある中で。浮かべられた咲き誇る、清廉とした笑み。

 期せず、呟いてしまったもの。


「? 何か言ったかしら」

「……いえ。なんでも、ありません」


 押さえつけた気持ちが、あばれてしまう。


 あぁ、姫様。

 貴方は知らないでしょうが、私は、貴方が、これほどまでに愛おしい。


 見とれてしまう笑みに、眩暈が起こりそうだ。



 ***



 格下と、蔑んでいた者の諌めは余程姉姫の怒りに触れたのだろう。彼女が慕う、婚約者の男が姉姫の物と成る。

 誠実だからこそ、装われら艶美、作られた笑みを見抜けずに易々と下ったのだろう。簡単に、その光景さえ思い描ける。見るまでもない。


 部屋を離れていた彼女を出迎えれば、久しく見ることの無かった色の無い、強張った顔つき。口を開く前に、彼女の瞳から涙がこぼれ落ちた。


 必死に閉じられている唇は、噛み締められている。


「姫……」


 問いかけるようなそれに、彼女はゆるゆると首を振り、あふれ出る涙を流す。止まるところを知らない涙に、私の抑えてきた思いさえ崩れ落ちた。


「姫」


 意思を持ち、押さえを解き放し伸ばした腕で、泣き続ける彼女にふれた。小さく、柔らかで、暖かな、彼女の体。


 あぁ、ついにふれてしまったのだと言う感慨と共にそっと抱きしめれば、彼女は私の溢れるほどの思いには気付く事無く、私に身を寄せた。


 震え、息を詰まらせながら泣く、彼女の涙が胸にしみ込んでいく。 


 別の意味で震える私の手を、彼女の頭に近づけ。柔らかな髪を軽く撫でる。


 姫、姫。

 泣くことなど、ありません。

 姫が泣く程の事ではありません。所詮相手がその程度だったという事。


 姫を傷つける者に、傾ける物などいりません。

 姫が傷付く必要など、ありません。


 姫、ひめ。


 私の何より大切なあなたを、泣かす者などこの世に存在する価値さえない。


 ひめ。


「姫」


 持て余してしまいそうな程の想いが、ただの一言には詰まっていた。

 悟られてしまう事も簡単なほどに、私の声は熱がこもっていただろう。


 泣いている貴方には届きはしないだろうけれど。


「姫」


 今はまだ。

 貴方をこの腕の中、抱きしめていられればそれだけで。とても私は幸せ者です。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ