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第一話 『世界の入口』にて


 太陽は高らかに夏を歌い、その輝きを妨げるものは(ひと)(すじ)の雲さえも在りはしなかった。この日、後の史家より『世界の入口』と称されることになる港町ルルは、多くの絵画に描かれたその姿と同じく快晴だった。

 この時代の人々は無論その大層な二つ名を知る(よし)などないが、しかしそんな名前よりもはるかにはっきりと、それが表すものを感じていたに違いない。

ルルの町を流れるトゥルバ川には、外洋から遡上(そじょう)してきた商船がその水面を埋め尽くさんばかりにひしめいており、短艇に商品を積み替える作業に無数の日焼けした、上半身裸の男たちが動き回る。ハディード朝時代に整備された大小あわせ四十七本の運河はルルの町全体を駆け巡っていて、そこを人や物であふれそうな無数の小舟が熟練した漕ぎ手に導かれて行き来する。

 そうして桟橋に降ろされる、山と積まれた麻袋や木箱のかたわらでは船長と会計士が、(おろし)の商人と買値を巡って激しく言い争う。かたや命を賭けた航海の集大成、かたや利益を求める商売の一部分、話が合わずののしりあって物別れになることは決して少なくない。しかし一度(ひとたび)交渉が成立すれば、銀貨の枚数をあらためた船長は部下に約束の給料を支払うべく自らの船に戻り、商人はすぐさま男たちを差配して商品と共に市場へ急ぐ。休む間もなく、今度は小売の商人たちとの激論が彼を待ち構えているのだから。

 その一方で船乗りたちを待っているのは数週間、あるいは数カ月ぶりの楽園だ。徒党を組んで町に繰り出し、お天道様に向かって乾杯を叫ぶ者のなんと多いことか。航海の無事を感謝して神の名を叫ぶような信心深い男も中には居たが、そのような者もいつの間にか、酒場の踊り子に指笛を吹いている。

口論を省略しての殴り合いなど珍しくもなんともない。その理由がはっきりしないこともよくある話だ。そしてそれがために命を落とす荒くれも数えきれない。そもそも人が多すぎるので、確かにそういった揉め事の数も尋常ではないのだが、酒場の隅で寝ている男を起こそうと思ったら既に踏まれて死んでいたというようなことは、ルルを知らない人にはなかなか信じてもらえないその一方、知っていたならば話の種にもなりはしない。そんなわけだから酒場の主人もただこう言うだけなのだ。旦那、うちは先払いですぜ、一杯の前に払って下せえ。

 鼠を詰め込んだ籠のように騒がしい右岸を離れ、左岸に目を向けるとしかし様相は一変する。そこにはかつてのハディード朝の栄華を追想させる五階建ての宮殿がそびえている。()せない白の大理石で建てられたそれは、かのザカラ四世が離宮として築いた。町の全域を見渡せるそこは今、ゲーラ帝国の官衙(かんが)として用いられている。

 小銃を担いだ兵士が巡邏(じゅんら)するその近辺で狼藉を働く者など居るはずもなく、商売の許可証の発行、あるいは更新を求める人々も真っすぐ列を成していた。その横を、市場から帰って来た徴税官が書類の束を手にゆっくりと歩いてゆく。その袖を捉えて堂々と銀貨を手渡そうとするような商人は田舎者だ。役得からは縁遠い貧乏兵士につまみ出され、二度と列に並べなくなってもおかしくはない。心得た商人は暑い中大変でしょうと言い、自分の名前を記した革袋を彼に献上する。官吏は一言、二言適当に返しつつそれを受け取る。私室に戻った彼は中身を飲み干した後、袋を引き裂いて何枚銀貨が入っているかを数えるのだ。この方法なら一見何の問題もなく、兵士がそれと察しても中身を確かめるのは難しい。それに加え、確実に名前を覚えてもらえるという利点もある。

 ところでそう、かつてはこのルルは、いやこのカリダ半島全域はハディード王国というバーラ人の王朝が支配していた。しかし創業の英主ハジュマ一世の死より三百余年、ついに命脈尽きてハディード朝は東方より現れたファエンサ人のゲーラ帝国に敗北した。

 ここルルの町は時の太守が早々に降伏を選んだことと、またこの港を外洋進出の足掛かりにしようとしたゲーラ皇帝オリソンテが厳しく兵に略奪を禁じたことが幸いし、栄光を失わずに済んだ。一方かつての王都にしてカリダ地方最大の港町だったダハブは、最後の最後まで押し寄せるゲーラの兵に抵抗した。そして一年八カ月に及ぶ陸海からの包囲の末、実り豊かな果樹園は踏み荒らされ、二重の城壁は跡形もなく、美しい埠頭は砲弾に汚され、市街の五分の四は灰燼に帰した。『黄金の港』ダハブは、ハディード王家とその運命を共にした。

 その後二年ほどはゲーラ帝国に反発してハディード家を再興せんとする運動が半島に広がったが、それらは散発的で相互に連絡を取ることもなくどれもすぐに鎮圧された。やがて大規模な民屯の実施や商売税の減免措置を発表した皇帝オリソンテの人気は、十数年ぶりの平和ということも相まって自然と高まり、それは探険・冒険を行って国家に多大な利益をもたらした者には報奨と爵位を授けると宣言したコラソン勅令で頂点に達した。

 金と名誉。どちらもいつの世の人々を引き付けてやまないものだ。折しも新大陸の存在が知れ渡りつつあった頃、今よりはましな生活を求めて荒廃した故郷を見捨てる者は多かった。彼らはさしたる展望を持たないまま、しかし希望だけはその痩せ細った腕では持ち切れない程に膨らませて、支流が最後は一本にまとまって海に流れ込むようにカリダ半島中からある一ヶ所に集まった。

 ここで話はルルに戻る。ダハブの没落した今、カリダ地方におけるルルの位置は不動となった。それは外洋と内陸とを結ぶ貿易の要衝であり、貴族生活を夢見て漕ぎだす冒険家たちの拠点であり、新世界に未来をかける貧民たちの光である。それゆえルルはこう呼ばれるのだ。『世界の入口』と。

 ルイス・アロンソもまた、故郷を離れてルルにやってきた若者の一人だった。埃にまみれ、絡み合ったぼさぼさの黒髪、汗や(はな)で染みだらけとなった綿(めん)のシャツ、縦横にシワが跋扈(ばっこ)するズボンは緑色で、穴のあいた靴の底は木の皮ほどの厚さしかない。それでもその薄茶の目は輝いている辺り、彼は非常に一般的な貧民だと言えた。

 左岸に新しく開削(かいさく)された運河の隣には半年前に完成した皇室所有の造船所があり、ルイスは数十人の職人がそこで槌を振るう様子を橋の上から眺めている。全長三十メートルを超す戦列艦の建造現場は山間(やまあい)の寒村に生まれ育ったルイスに大きな衝撃を与えた。この日ルルの港は快晴で、照りつける日光は容赦なく彼や職人の肌を()いたが、流れる汗も拭わずにルイスは見入っていた。

 その彼のもとに歩み寄る少年が居た。まがりなりにもその明るい茶髪を短く切っていることを除けば、少年の服装はルイスのそれよりも酷く、みじめなものだった。

「ねえ、ルー。いつまで見てるのさ」

 そのまだ高いままの声は道行く人々の喧騒にかき消されてしまい、切り揃えられる(もみ)材に見入っているルイスに届かない。仕方なしと少年は彼の肩に手を伸ばした。

「ルー。聞こえてる?」

「え? 何? 何だよ、アル」

「いつまで見てるのって言ったのさ。もう二時間は経つよ。結局どうするの?」

 そう問いかけた少年、アルフォンソ・オリオールは、この二時間ずっと涼を求めてそこら一帯の商店の(ひさし)の下を転々としていた。まったくいつもこうなんだ、と彼は内心ため息をついたが、それにルイスは気付かない。

「どうする、って?」

「ルーはこのままずっと船を眺めてるの?」

「そんなわけないだろ。それじゃ何のためにルルに来たか分からないし」

「じゃあ早く決めないと。どうするかさ」

「決めることなんか何もないだろ。船に乗って新大陸に向かう。で、自由に暮らす。何回も言ったじゃないか」

「船賃は?」

「船賃?」

「もう全然残ってないよ。一人分だってありゃしない」

「嘘つけ、アル。そんなこと今初めて聞いたぞ」

「だって今初めて言ったもん。ほら」

 そう言ってアルフォンソはポケットから相当汚れた、掌に収まる程度の小袋を取り出すと口を開いてその中身をひっくり返す。彼の左手の上で、三枚のコインがたどたどしくステップを刻んだ。

「残ってるのはこれだけ。七レペウしかない」

「七レペウだけ? ……アル、船賃は?」

「さっき聞いたんだけど、一人あたり六パセート。これより安いのはないって」

「それじゃ、全然足りないじゃんか」

「うん」

 アルフォンソがそう短く応じると、途端にルイスは顔を真っ赤にして激昂した。

「アル! 何で言わなかったんだよ!」

「僕はルーも分かってると思ってたんだよ」

「知るわけないだろ! 財布はずっとお前が持ってたんだ! お前のせいだ!」

「違うよ。ルーのせいだよ。お腹空いたって怒っちゃ僕にパンを買ってこいって言って。僕が我慢しようって言っても聞きゃしなかったじゃないか」

「お金がないって知ってたら我慢したさ! 大体たったの七レペウだって? そんなのもう今日明日でなくなっちまう!」

「だから聞いてるんじゃないか。どうするのさって」

 ルイスとアルフォンソは同郷の友人だ。カリダ半島東辺部の町アマルゴを離れて二週間、ルルに到着したのは今朝のことだ。

 小作の貧しい農家に生まれたルイスは、真面目に働こうとしないことを理由に家を追い出された。実のところそれは彼が次男であったため、つまり食い扶持を減らすためだったわけなのだが、元より辛く苦しい野良仕事を嫌っていたルイスは嬉々として家を追い出され、かねてより考えていた計画を親友のアルフォンソに打ち明けた。──ルルの港に行こうと。

 そのアルフォンソはアマルゴの町で一番の大地主に仕える奴隷だった。今も彼の右肩には消えることない焼印が残っている。しかし奴隷たちの中では見目好い方だったことが幸いし、彼はしばしば地主の子弟が牧師に教授される傍に控えることができた。その為耳学問ながらも様々なことを彼は知っており、ルイスはよく彼をうらやましがっていた。

「どうするって……アル、どうするんだよ」

「僕に訊かないでよ。ルーが決めてよ」

「嫌だ。お前が決めろ」

「そんなこと言われても……」

「何だよ」

「『決める』ってどうやるのさ。どうやって決めればいいかなんて僕は分からないよ」

 アルフォンソは今にも泣き出しそうな声でそう言った。彼は確かに賢い。だが悲しいことに、物心付いた頃には既に奴隷だった彼は今まで一度も自ら判断を下したことがなかった。残金が明らかに少ないことをうすうす感じながら、それでもパンを言い値で買ってしまう辺りがその証左。ひとつ例外があるとすれば、それは失敗すれば死ぬまで鞭打たれると分かっていながら奴隷身分から逃げ出そうと決意したことなのだが、しかしそれもまた、ルイスというきっかけを必要としていた。

 ルルの港に至るまでもいつ休憩を取るか、どこで寝るか、何を食べるかといったことはことごとくルイスが決めていた。アルフォンソは時折小さな声で不満を漏らすことはあっても、結局はルイスの言うことに従ってしまう。もっともこれは彼が奴隷だったということよりも、彼自身の生来の気質に依るところが大きいのだが。

 ルイスもアルフォンソがそういう性分なことはよく分かっていたから、ひとしきり怒鳴って冷静になった今、彼は対処すべき現実に向き直ることにする。

「分かったよ。じゃあまずは確認するぞ。アル、俺たちは新大陸に行きたい」

「うん」

「新大陸行きの船は一人当たり六パセート。つまり二人で十二パセート。でも俺たちの持ってるのはたったの七レペウだけ。これじゃ船になんか乗れない」

「うん」

「一パセートが十二レペウだから……えーっと……」

「十一パセート五レペウ」

「そう、残りの十一パセート五レペウはどっかから持ってこないといけない。で、それをどうするかってことだ」

 ひとり頷いて腕を組んだルイスの前で、アルフォンソはふと呟いた。

「考えたら、最初から足りなかったね」

「え、そうなのか?」

「だって、アマルゴを出た時には四パセート二レペウしか持ってなかったもん。ルーのせいじゃなかったんだ。ごめんね」

「過ぎたことはいいんだよ。それよりも今これからだ。なんか見なかったか? お金がいっぱい落ちてる所とか、お金を配ってる人とか」

「あるわけないじゃないかそんなの。……あっ、ちょっと待って。そういえばさっき店の前で話してる人が居たんだ。確か、誰でもタダで乗れる船があるって」

 その言葉にルイスは手を打ってその顔を輝かせる。

「タダだって? 最初から言えよアル! そりゃどの船だ? こっから見えるか?」

「いや本当かは分かんないよ。僕の勘違いかもしれないし。でも二本マストの黒塗りの船だって言ってたかな。って、何やってんのさルー! 危ないよ!」

「そっからじゃ見えない。二本マストの黒い船……黒い船……あったぞ!」

 アルフォンソの悲鳴もよそに、運河にかかる橋の欄干によじ登ったルイスは拳を振り上げた。もちろん足を踏み外せば水の中に真っ逆さまである。通りすがりの人々が眉をひそめるのも意に介さず、ルイスは石造りの橋の上に飛び降りてアルフォンソの肩をばんばんと叩く。

「最高だぜアル! タダってのは本当なんだよな? 本当なんだよな?」

「う、うん。たぶん」

「いやあ、あれなら期待できるぞ。なんだっけ、お前の教えてくれたやつ、エルガンテ?」

「……アルゲントゥムのこと?」

「そうそう、それそれ。あれくらい大きかったぞ」

「そんなに? そしたら山ぐらい大きいことになっちゃうけど」

「細かいことは気にするなって。よし決めた! あれに乗ろう! 早く行くぞ、急げ!」

「大丈夫かなあ。でも、煙になっちゃ困るもんね」

「そういう話だっけ?」

「そうだよ。最後の方でこう歌うじゃない。『彼の島煙となりにけり』って」

「あー、覚えてないや。後でまた教えてよ、アムゲンテ」

「いいよ。あと、アルゲントゥムだよ」

 そう言って、二人が走り出そうとしたときだった。

「アルゲントゥムを知っているのか?」

 一人の男が雑踏の中から抜け出して、彼らのことを呼び止めた。


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