霧山を訪ねる3
大キレットを前に、彼は躊躇して引き返して、槍ヶ岳の山荘近くにテントを張ろうと言い出した。何を今更と、彼の天候不安説を真に受けなかった結果、俺が滑落しかけて澤村の世話になったのは一生の不覚だった。それから彼には何となく気持ちが萎えて、これではいかんと奮い立たせてがむしゃらに登山歴を磨いた。それでも気象条件を読む感覚だけはあの頃のまま進歩がなく、リーダーとしての資質も疑われ、以後は単独登頂に専念しなければならなくなった。思うに澤村からもっと天候について経験を積むべきだと後悔している。そんな男がおめおめと今更顔を向けられない。
「なぜ澤村の意見に反発したんですか」
「彼の気象条件を観る目に、特に風の流れを的確に捉える目に驚いて、最初は学ぶつもりだったが、彼は自然の見方、捉え方が違った。美しく神秘的な彼の心眼に嫉妬してしまったんだよ」
霧山は眼前に聳え立つ近寄りがたい山の自然を嘗めて、征服欲に心が占領された。
「自然にたいして人間はちっぽけな存在感をないがしろにして、我が身を忘却の彼方に追いやって仕舞ったんだ」
今までの危機を運の良さで乗り切れれば、益々おごり高ぶり過信してしまった。そのつけが一遍に霧山の生命を危険にさらした。何とか一命を取り留めたのは、大学時代に澤村が「危険なときほど動くな時を待て」と云ったのを、彼と別れて随分経って、やっと一年前に想い出して悟った。お陰で此のぼんくらな足だけで命は救われたんだ。そんな俺がおめおめと曝け出せるはずがなく、司法書士に頼んだ。
「まあ、今ではこうして彼との過去を笑って振り返られるようになった。そこに君が彼との橋渡しのように来てくれた。君に彼との仲を仲介してもらえれば有り難い。そう謂う切っ掛けが欲しくて娘さんに店を譲ったのだ」
大学時代の澤村の忠告に背き続けた重みを、霧山はこれで振り払った。




