石塚の苦労2
食い地が一段落したところで、沙苗さんもやっと本腰を入れだした。なんせこの一年は顔を見る程度で、込み入った話は余りしなかった。今日は以前のようにこういう場をもっと設けて、風通しを良くさせたい。今までは登山という共通の話題でお互い膝をつき合わせていた。家庭を持てばこれからは大学時代のようには行かない。交流を深めそれぞれの環境に合った対策をするように。とにかく落ち込まずに、こうして酒を呑んで、話や想いが広がればそれに越したことはない。石塚には大きく環境や生活が変わったにもかかわらず、大学時代の延長のようにするのは問題だが、今日は羽目を外して騒げば良い。とみんな鷹揚に構えた。
「どうなんだ。石塚は家では呑んでるのか。学生時代は結構俺と呑んで、あの丹波の旅館でも呑んだだろう」
あの時は画家と僧侶が絡んで活発な議論を肴にして呑んだ。
「お父さんが宿泊代より飲食代がバカにならないって、ぼやいてた時に越村さんが訪ねてくれて、お父さんは感謝していたのよ。しかも響子さんまで紹介してくれて」
石塚、少しはありがたみを感じろ。
「北アルプスの限られた山荘の世界にふた月も一緒にいるんだ。俺達は気が合っても他の気の合わない奴とも、合わせていかなきゃあ持たない世界で暮らしていたんだ。そこで『我関せず故に我あり』な〜んてね、のたまわっている奴が居ると云えば凄く関心を持ってくれたんだ」
「だって、雨漏りも下水のつまりなどの修理をあたし達で直さなければ、何から何まで自分たちで解決しないと山荘が成り立たないのよ。そんな所で二月半も共同生活すれば人間関係の好き嫌いなんて言ってられないんです。助け合わないとやっていけない世界で生活してる。そこへ行くと裕司さんは相変わらず自分本位でやって来た人だから、少しは大目に見ないと持たないのよ」
少しだけどと澤村さんは強調した。
「お父さんも今更後悔してもしゃないけど、そのひずみだけはひけらかさないようにしないとダメね」




