営業に出る8
いつも暖簾くぐる店ばかりだった。どうやら別所さんは、さっきの奥さんに振り回されて、訳もなく、いや、帰りに湖岸に張り出した店を見付けて、腹はともかく心身ともにリフレッシュしたいと入っていた。
「それで今日は打って変わって、決めてもらった僕のために入ったのですか」
「そうだ。それに今日の貸しは早めに帳消しにしときたいしなぁ」
ウーンと首を傾げたくなる。別所さんがこんなことを気にするなんて、幾ら社長の娘婿とはいえ、入社早々で歳が二回り以上も離れてそれはないだろう。沙苗さんがあの人は案外と拗ねてないところあるのよと言っていた。なるほどと肯いた。
先ほどの男が注文の品をテーブルに並べて、慇懃に頭を下げて奥に引き返したところで食べ出した。ウェイターかオーナか分からん紛らわしい男だった。
「ところで社長の初恋は奥さんだったのですか?」
「恋が成立したという意味では、そうだろう」
「不成立もあるんですか?」
「片思いというのも入れれば、そうなるだろう」
人に思春期があれば当然、起こりうる現象だ。時期は人それぞれ異なるが、社長の場合は小学校六年の時だ。その年の最年長がリーダーシップを取って、町内ごとに集団登校するようになっていた。それまで社長は集合場所からゾロゾロとみんなの後ろを着いて行ったが、六年生になるとそうはいかない。今度は社長がみんなを学校まで連れて行く番になった。此の時はもう一人、六年生の希実ちゃんが居た。いつも揃って登校する町内の子供達を先導するのは社長で一番後ろから付いて見守るのが希実ちゃんだった。いつも二人一緒になってどこそこの子はどうしたんだ。だれだれちゃんはいつも遅いね。あの子いつも歩くのが鈍くさいのよ。など毎日希実ちゃんと普段は口にしないことを喋るようになって、急に彼女が身近な存在になった。あとになって、これが恋と云うもんかと聞かされた。




