手繰るよすが:02 粥餌──ウチも馬に生まれれば良かった
「ナ……ウェットちゃん!?」
ミズナギの声が震えている。
《話す練習をして来たの!》
周囲の厩務員の呆気にとられた顔を気にもかけず、ナヴェットが古典語で話しかける。
《詳しい話はまた後程》
《私達も馬の世話を手伝うので、その後に》
さらにシュロとシャラにも古典語で話しかけられ、ミズナギは完全に混乱している様子だが、馬の世話と言われて正気を取り戻した。
こくこくとうなずき、馬たちを馬房に導く。
しばらくの間、シャラとシュロは厩務員たちに混ざって、黙々と……いや楽しそうに馬の世話をしていた。ナヴェットは邪魔にならないよう厩舎の隅で見学する。
「ここ? ここが痒いん? そかそか気持ちいいかあ、良かったなあ」
「お返ししてくれるんだ、ありがとー。でもそれ帽子なの、噛まないでねー」
人というのは、動物に話しかけると言葉が幼くなるがあれは何故なのだろう。
他人事のように観察していたナヴェットだが、足下に突如ふわっとした何かを押し当てられビクッと後ずさった。足下を見ると、一匹の猫に胴体をこすりつけられている。飼料を鼠から守るために飼われているのだろう。
「どうしたんね? かわいか子ぉやねー」
しゃがみ込んで手を伸ばしながら、自然に漏れ出た郷土訛りにナヴェットはハッとする。なるほど、幼い頃の言葉が出るものだ。
「終わった馬から粥餌やってけー。よく混ぜろよ」
餌の調合場から、厩舎長が声をかける。
先に拭き上げが終わったスタッフが指定されたバケツを持ち出し、そこに麦酒をドボドボと注ぎ込んだ。
それを目撃し、シュロは有り得ないものを見た表情で固まる。
「え……嘘だろ、それ馬に? 馬たちソレもらえるん……?」
「へえ、うちではやってなかったと思うけど」
二人が見ている間に、そこにさらに果実の蒸留酒まで注ぎ込まれた。さすがにシュロが少しずつ飲んでいた瓶ほど高価な代物ではないだろうが、シュロの顔がみるみる青ざめていく。
「それも……? そんなものまで……?」
「シュロ落ち着いて。そんな目で見ない! やめなさい!」
「駅馬車の馬は、荷馬車を牽く馬とかと違って限界越えて疾走するからね。ああして特別な配合で回復させてやるんだ」
「なるほど乗車賃が高いのは、こういう経費も含まれているからなのですねえ」
親切な厩務員が解説してくれるのを、ナヴェットが納得しながら聞いている。その腕にはいつの間にか、猫が抱かれていた。
「そうだよな……ウチより馬の方がよほど、経済的な価値を社会に提供しているもんな……馬は素晴らしいもんな……」
ナヴェットが見た中で一番の動揺っぷりをさらしながら、シュロが目の前の馬の首を両腕で抱きしめる。
「ウチも……馬に生まれれば良かった……」
「ちょっとしっかりしてよぉ。確かにそれは楽しそうだけどさー」
「馬に生まれてしまったら、馬を愛でることはできませんよ」
ナヴェットがゴロゴロ言う猫を撫でながら冷静なことを言う。
「ぷ……ふふ……んっ……ふふふふ」
振り返ると。ミズナギが声を抑えるようにしながら、笑い声を上げていた。会話の詳細は分からずとも、雰囲気が伝わったのだろうか。
ようやく見られたミズナギの笑顔に、ナヴェットも笑いがこぼれた。
《聞いてよミズナギ。シュロが馬になりたいと言ってるの》
《そうなの? でも、私もその考えを理解できる》
《ミズナギまでそんなこと言うの? みんなもっと人間を愛そうよ》
「お前ら! 口ばっか動かしてないで手を動かせ、馬が身体冷やしちまうだろうが! 手伝いに来たってのは嘘か!」
厩舎長にどやされて、慌てて皆が作業に戻る。
「ミズナギが笑ったよ、シュロお手柄じゃない」
「知らん……それどころじゃない……」
シャラが小さい声で誉めても、シュロは心ここにあらずの様子だった。
***
《シュロはお酒が好きなんだね》
《そんな表現では足りない》
ミズナギの言葉に、本人ではなくシャラが返す。
到着した馬の世話を一通り終え、厩にはしばしの穏やかな時間が訪れた。
三人はミズナギと共に、木陰で軽食をとることにした。なお、シュロはいつも以上に口数が少ない。
《ミズナギは? ミズナギは何が好きなの?》
女主人からの頼まれごとでもある質問を、ナヴェットが投げかける。
《私が好きなもの……?》
軽い話題のつもりだったのだが、ミズナギの顔がまた曇った。
《考えたことなかった。ずっと『今どうすればいいのか』ばかり考えてた》
俯く表情に、彼女の生真面目さや今までの必死さが滲み出る。
《私……たくさんのことが思い出せないの。自分のことをよく知らない。ここは言葉も文化も違う、とだけは感じるんだけど》
前回会った時の会話から、少なくとも「ここにたどり着いた経緯」が不明なことは分かっていた。しかし、欠落はもっと深刻なようだ。
《ねえ、三人はどうしてこうやって話せるの? 前回は違ったよね? 他のみんなが話してるのは、何語なの?》
堰を切ったように、ミズナギが疑問を口にする。その切実さに、どう答えたものか三人は胸を詰まらせた。
《私たちにとって、これは第二言語だ。技術文書の読み書きに使うから覚えた》
シャラが慎重に答える。
《会話に使った経験がなく、前回はシュロも咄嗟に対応できなかった。申し訳ない》
シャラが詫びると、ミズナギが小さく首を横にふった。
《あなたたちは悪くない。たぶん、私も同じ。知っているけど、話すのはあまり慣れていない》
彼女の母語ではなさそう、と言うナヴェットの予想は当たっていたようだ。
《ミズナギも技術者だったのかな》
《技術者……》
ナヴェットの問いかけに、ミズナギが考え込む。
《分からない……。でも、考えることは好き。どうしてなんだろうとか、どんな仕組だろうとか》
《ナヴェット嬢と相性が良さそうだ》
シュロがようやく会話に加わった。諦めて人間の自分を受け入れたらしい。
《寒い土地にいた気がする……真っ白な景色を見ながら、よく考え事をしていたような……》
ミズナギが遠くを見ながら、少しずつしゃべる。
《そうだ……頭が疲れたら、甘いものを食べる……一緒に温かいものを飲む……それが、好きだった気がする》
《共感する。それはとても良い》
シャラがうんうんとうなずいている。
《良かったねミズナギ。自分のこと、ひとつ知れたね!》
ナヴェットの無邪気な笑顔に、ミズナギは虚を突かれた顔をした。
それがゆっくりと笑顔に変わる。
《そう……だね。ありがとう、あなたたちのおかげだ》
《どんな甘いものを食べていた?》
シュロが控えめに笑みながら話題を掘り下げる。
《あれは何だろう……名前が思い出せない……小さくて、暗い茶色で、甘くて、少し苦い……》
《甘くて苦い?》
何のことだろう、と三人それぞれ想像をめぐらせた。
オリガは何かを指でつまむような仕草をしながら思い出そうとしている。
《確かええと……豆から作られているはず》
《豆!?》
予想外の答えに三人の声が重なった。




