もがく窮鳥
目覚めて目に入るのは、さすがに見慣れ始めた天井と、閉じた窓の隙間から洩れる夜明けの光。
「ミズナギ」という名を不思議な旅人から贈られて、そろそろ半月ほど経つ。
なぜ名乗ったままの名で呼んでもらえないのか、理由はいまだに分からない。分からないが、新たな名を得てから周囲との会話が格段に増えたのは確かだ。
《おぁよ、ミズナギ》
《おぁよざムす、女将さん》
おかげで、以前よりも言葉の真似は上手くなったと思う。
まだまだ聞き取りは難しいし、こちらから喋ると相手がたじろぐようなことも多いが。
厩舎で馬たちと朝の挨拶をしながら、寝藁を交換する。肉体的に決して楽な作業ではないが、それでも厨房の戦場に駆り出されるより余程マシだ。
あちらはきめ細かいチームワークが求められ、言葉が不自由な自分はあまりにも神経が磨り減る。その上「身体が覚えている」作業でないものが多すぎる。
自分の「頭が覚えている」ことは、ここ数か月分しかない。気が付けば、この街で人の世話になっていた。
最初の頃はひどく酩酊したような、自分が定まらない感覚だった。とにかく記憶が曖昧だ。
身体を休めるうちにその感覚は次第に落ち着いたが、精神が覚めていく途中でふと気づき、そして愕然とした。
周りの風景も人々も「見慣れない」と感じているのに、では「見慣れている」ものが何なのか、全く思い出せないことに。
井戸と何度も往復しながら、水桶に水を満たしていく。
作業としては単純だが、衰弱していた自分には最初のうちはとにかくこたえた。水とはこんなに重いものだったのか。
腕は棒になり手のマメは何度もやぶれたが、生き物相手の仕事に「待って」は存在しない。その気持ちだけは、なぜか最初から持っていた。
《ミズナギー! ワッターこモテェー》
遠くから厩舎長が呼んでいる。恐らく、水やりが終わったら給餌だと言っているのだろう。
この人たちの言葉はどこのものなのだろう。「国際共通語」として知っていた言語に似てはいるが、どうやら同じではない。方言なのか、関連する別言語なのか。
共通語は自分の思考言語ではないので、ただでさえ自信がなかった。しかし母語よりはまだ伝わるだろうと、やむを得ず口にしたときのあの、相手の顔……思いだすたびに心臓を鷲掴みされた気持ちになる。
指示された通り、乾草をフォークで飼い葉桶に放り込んでいく。喜びがっつく馬たちを見ると、口元が綻んでしまう。
流れ着いた場所に多くの馬がいて、自分にその世話をする技能があったことは、本当に幸いだった。
かつてどこでどんな馬と過ごしていたのかはまったく思い出せないが、接し方は身体が覚えていてくれた。そして愛おしく思う気持ちを、心が覚えていてくれた。
「うめぇか? ゆっくり食べれ」
ついつい素の言葉が漏れ出る。
人には絶対に聞かせられない、今度はどんな顔をされるか分かったものではない。しかし今ここには、馬しかいない。
自分が誰なのか、どこから来たのか、周りの人間も全く知らないらしい。気の毒そうな目、好奇の目、警戒する目、見下す目……投げかけられる眼差しは様々だ。
それでもともあれ、自分に寝る場所と役割を与えてくれた。充分過ぎるほどに、奇特な人たちだ。
まあ、そう思える程に自分を客観視できるようになったのは、さすがに最近のことだけれど。
今日一番の便で走る馬たちを教えてもらい、入念に藁束で擦ってやる。宿場町はやることが多くて良い。
脚を止めたら己への哀れみに溺れてしまう。
手を止めたら未来の虚ろさに搦め取られてしまう。
目の前の、馬と仕事だけを見つめなくては。
「今日はどんなお客さんだろうねえ? しっかり運んでやってなぁ」
何も考えずに話せるこの言葉で。私は誰と会話していたのだろうか。
知りたい。帰りたい。探しに行きたい、でもどうやって?
ダメだ、今ではない。
また湧き上がった憧憬を、頭を振って追い払う。
努力で雑念を押さえ込みながら慌ただしい業務に没頭していた耳に、突然に「理解できる言葉」が飛び込んできた。
《ミズナギ! 久しぶり!》




