微睡む太古:07 古詩──いや生き物は死んじゃうから、そんなの
「ナヴェット様が書いてるのは、詩? ですか?」
酒浸しの焼き菓子を小さく切って口にしながら、ナヴェットの手元をシュロが眺める。
「そうだと思うのですけど……」
タルト生地のカスを口の周りにくっつけたまま、ナヴェットが困ったように眉根を寄せる。
「あの地下の台座に刻まれていた文字、ヒードゥルの言語であることは分かったのですが」
ナヴェットは困り顔のまま古めかしい辞書を撫でる。
「ヒードゥルと言うと、国を喪って放浪していたとされる古代の民ですよね」
シャラの言葉にナヴェットがうなずく。
「今では各地に馴染んでいて共同体として認識されることはありませんし、記録もこの辺りにはほとんど残っていません。しかしあの巨樹が相当に古いものであることを鑑みると、関連があっても不自然ではないかと」
国を喪う前のヒードゥルは、高度な技術力を持っていたとされている。あの巨樹が叙事詩の時代よりさらに前から存在するなら、まだ独自の文化が保たれていた時代かもしれない。
「そんなものを解読しようとしてらしたのですか」
「はい、でもとても難しいのです。文字や単語だけでなく、基本的な文法から現代の主流とはだいぶ違っていて」
驚くシャラに対し、ナヴェットが珍しく心の底からであろうため息を吐いている。
「たぶん、数行で書かれていた部分は詩のようなものだと思うのですが。だから余計に表現が古めかしく回りくどく」
ナヴェットの手元には、いくつもの解釈を書きなぐったようなメモが広がっている。
引き止めて(そのままにしておいて? 置いておいて?)
誰に同情する(助動詞のニュアンス 要調査)
子どもが勝利する(優位である? 何に対して? 誰の子?)
子どもが勝利する(繰り返しだが助動詞は異なる。要調査)
「難解そうですね……」
シャラもその単語の並びから何かの意味を汲み取れる気がしなかった。
「同情……子ども……? 温泉の起源の物語が、子を失った嘆きの涙とのことですが、関係あるでしょうか」
シュロが自分の覚え書きと見比べながら首を傾げる。
「あっても不思議はないですねえ」
「しかし『勝利する』とは? 何かと戦っているのでしょうか」
シャラは叙事詩との関連がありそうか脳内で可能性を巡らせる。
「読み解ければ大きなヒントになるかと思ったのですが」
タルトレットの最後の一口を食べてから、ナヴェットが首を横に振る。
「割と行き詰まっています」
「こっちの大きな文字の方は別ですか?」
映像記録とナヴェットのメモを見比べながら、シュロが訊いた。
元の台座には、ナヴェットのメモと対応しているであろう5行程の文字列と別の箇所に、大きなサイズで刻まれている文字列があった。
「そちらは固有名詞なのかと思っています。発音記号だけが書かれていて」
「音だけが分かる状態ですか」
シャラいったんマグからドリップをすすった。
「どんな発音なのですか?」
「上手く再現できているかは分かりませんが…」
シュロに訊かれて、ナヴェットが自信なさそうに口を開いた。
「お・り・が・に・と・ろ・て・く。……という音、だと思います」
「オ・リガニ? オリ・ガニト?」
シャラは抑揚を変えながら口の中でその音を繰り返し試す。
「オリガ」
シュロがじっと卓上を見つめながら小さな声で、しかしハッキリと発音した。
「オリガ……と名乗った彼女と、関係はないのでしょうか」
シャラとナヴェットが、目を見開いてシュロを見つめた。
「オリガ……って、シュロが水薙って呼んであげたって言ってた、あの?」
シャラが戸惑いの表情を浮かべる。
「偶然なんじゃあ」
「彼女があの街に現れたタイミングは、赤いオーロラの出現時期に近いと言っていましたね」
そういうナヴェットの声は落ち着いていた。しかし目は見開いたまま、遠くを見ている。
「私たちが急峻だからと選ばなかった西の水流は、街のかなり近い場所につながっていたはず」
「えぇぇ、あの空洞の中から来たって言うんですか? あの子が?」
あの中で暮らせたはずがない。抜け穴でもあると言うのだろうか。あったとして、どこにつながっていると言うのか。
「琥珀の中にいたのは……オリガ?」
シュロの言葉に、シャラはさらにギョッとする。
「それシュロが頑張っても焦げも凍りもしなかった樹液っぽい何かの話?」
シュロが真剣な顔でうなずく。冗談を言っているわけではなさそうだ。
「いや生き物は死んじゃうから、そんなの」
「彼女の言葉は、ほぼ古典語と言えるほどでした。クロツバキ様のように『古風』という次元ではありません」
なんとか議論の軌道を修正しようとするシャラを、ナヴェットが容赦なく突き崩す。
「出身地域の問題かと思っていましたが、もしかすると……」
「ナヴェット様まで……」
本気で言っているのか。彼女が、時を超えて樹液の中から甦ったと。




