揺らぐ世界:03 せせらぎ
「怖がらせちゃったねえ……」
泉に流れ込むせせらぎで汗を流しながら、シャラが笑う。
ナヴェットは少し離れた茂みの脇で、気を使ってか背を向けて丸まっている。
「ん……まあ仕方ないよな」
いつも愛想の少ないシュロだが、今は輪をかけて無表情だ。
「ちょっと油断したかな。あんな大掛かりになるとは思ってなかったし」
そして、あの何にでも輝いた目で興味を示す少女なら、多少規格外な祭儀を見ても無邪気に喜んでくれるのではないか、と。無意識にそう思っていたのは否めない。
トランス後の少しハイな精神状態も相まって、口を滑らせすぎた。
「それにしたって一発で見抜くなんてね。すごい子だよ本当」
「さっき言っていたこと、本当にできるのか?」
シャラと目を合わせないまま、シュロが訊いた。
「代わりの案内人のこと? いや手段は全然思いつかないけどさ、本当に無理なら……そうするしかないじゃない?」
「……業務放棄扱いかねえ」
「どーーーだろ、そもそも無かった事になるだけじゃない? 長官からの心証はともかく」
初夏とは言え、小川の水は冷たい。どんな顔をして戻るか考える時間が欲しかったが、水辺で長居をするのも身体に悪そうだった。
「乾いてる着替えあるよね? 濡れたの乾かすのは後にしよう。ナヴェットをあまり一人にするのも心配だし」
着たまま水浴びした平服と、流れで濯いだ祭服は、ざっとはたいて水気を払い他の荷物とは別の網袋にまとめる。
見上げる空の青さを妙に白々しく感じるときがあるが、今がまさにそれだな。
そんなことを考えながら、ナヴェットの座る茂みに戻った。
「お待たせいた……」
「あのっ! さっきは本当にごめんなさい!!」
声をかけたとたん、ナヴェットがこちらの声を遮った。シャラもシュロも、呆気にとられる。
「いえナヴェット様は何も悪くな……」
「違うのです、本当に違うのです。私は、その、信じて欲しいのですが、人と違うものが見える人が怖いとか、そういうことは全然違うのです」
今までのナヴェットからは想像できない、まとまらない話し方だった。
顔は俯いたままだが、そのユラから視えるのは、後悔・逡巡・畏れなどがごちゃ混ぜになったもの。
「ただ少し、事情がありまして、それはお二人には全く関係も責任もないことで、でも詳しくお話しすることはできなくて……信じてくださいとしか言えないのですが、その、だから」
そしてそんなグチャグチャの中でも消えない、人を思いやる何か。
「あの……わ、私に他の人と行けとか、言わないで……欲しいのです……」
やば……
シャラが思わず口元を押さえるより早く、シュロが膝をついた。
「ナヴェット様、本当によろしいのですか?」
視線の高さを合わせ、ナヴェットの顔を正面から見つめようとする。
「私たちは、ナヴェット様が隠したいことも視てしまうかもしれません。恐ろしいと仰っても大丈夫ですよ。私たちは慣れております」
「慣れておられるはずありません!」
ナヴェットの叫ぶような言葉に、シュロの顔がクシャっと歪む。
「正直に申せば、怖れている事柄はあります。でもそれは、お二人が想像していることとはきっと違うことです。それに……」
ナヴェットはそっとシュロの手に己の手を重ね、ようやく顔を上げてシュロを見つめ返した。
「私は、とても隠しごとが上手いのですよ」
それは先ほどまでの悲壮な顔とは違った。
何かを密かに決意したような、そんな強さを感じさせる、不敵な表情だった。
「そうなのですか」
シャラはゆっくりと、込み上げたものを飲み込んで落ち着かせる。
「では、私たちと勝負ですね」
ナヴェットに負けないよう、シャラも挑発的に笑ってみせた。
それに対しナヴェットもシャラを見上げて笑い、
「あら?」
小さく首をかしげた。
「お二人って昨日からそんなお顔でしたか?」
「「あ」」
久々に他人に素顔を見せていることに気づき、二人はまた顔を見合わせた。
***
「昨日私にしてくださったのは、普段からお二人がご自身のために積み重ねてきた技術の賜物だったのですね……」
化粧道具を広げてせっせと顔を作っている二人を眺めながら、ナヴェットが感慨深そうにつぶやいた。
「目立ちすぎるのは、良いことありませんから」
肌の色をくすませるように。目が腫れぼったくなるように。眉が不揃いになるように。鼻筋が周囲に埋もれるように。髪が艶なく暗い色になるように。
少しずつ、違和感のない範囲で顔の印象をぼやけせていく。
「初めてお会いした時から、外の世界にはなんて綺麗な人がいるんだろうと思っていたのですよ、本当は。まさかそれすら『濁らせた』結果だったとは」
「程々が大切なのです、世の中」
「私には分かりませんが、きっとご苦労なさったのですね」
素顔の二人は、それこそ天から遣わされたのかと信じそうになるほどに、透明感と造形美を備えていた。
他人に見えないものが見えている、この世のものならざる美しさの双子。実際には双子ではないのだが、周囲からどう見られていたか、それがどのような困難を二人に与えてきたかは、ナヴェットにも朧気ながら想像できることだった。
「シャラ様の方が沙羅と名乗って、そのような着飾り方をするもそのためですか?」
傍で聞いていたら意味が分からないだろう質問だが、シャラは意外な思いでナヴェットを振り返った。
「気づいてました?」
「それについては、はい比較的早くから」
「油断できませんね。何日もいても気づかない人も多いのですが」
珍しくシュロの方が愉快そうな顔で笑う。
「どうしたって残念ながら、女性扱いの方が厄介事が多いのですよね、何かと。旅先では特に」
「私が巻き込まれる分にはかわしようはありますが、シュロは要領悪い所ありますから。可愛い妹を守ろうという兄心です」
二人は姉弟だと間違われやすい……と言うより間違われようと仕向けているが、実際は兄妹だ。沙羅と棕梠、というのは本名ではなく通名である。
誰でも普通、日常生活で本名を呼び合ったりしないし、ナヴェットも本名は別に持っているはずだ。通名は動植物や自然現象などから採られることが多く、厳密に男女の命名ルールが分かれているわけではないが、それでも傾向はある。「沙羅」のように花が目立つ植物は、女性を連想するのが一般的だ。
「私が今の部署に配属されて二人で組むことになったことを機に、この名乗りに替えました。二人ともどちらつかずの名にしても良かったのですが、この方が自分に注目が集まりやすくて良いとシャラが」
なおナヴェットは知らない側面である、普段のシュロの粗雑な話ぶりや不愛想はこの名に変えるよりかなり前からだが、結局はそうした自衛意識から始まりいつの間にか板についたものである。
「さすがにいい年ですので、あと何年通用するか分かりませんけどね。幸か不幸か私は体格も声も細いままでしたし、持って生まれてしまったものは利用できるだけ利用しようかと」
そして祭服も旅装束の平服も、構造上の明確な性差はないが、着こなし方に「らしさ」はある。この点でもシャラの方が女性らしいライン作りをしている。
「一応、あえて嘘をついたりはしていないつもりなのですが」
「かえってズルいですよ!」
ナヴェットは少し怒っている様子だ。
「シャラ様、私のことちょっとからかってらっしゃいましたよね? 着替えのこととか、お部屋のこととか」
「あー……いや、あれはどちらかと言うと、シュロに慣れすぎててあまり気にしなかったと言うか」
「気になさってください!」
子どもだから問題ないかと思っていた、とは言わない方が良さそうだ。
「お二人があまり人に話したくないことなのかと思って訊かずにおりましたのに」
その気遣いにまた心打たれる。
「ふふ、末恐ろしいですね、ナヴェット様は。隠し事ができる気がいたしません」
「嘘ばかり仰る。どうせ他にも沢山秘密をお持ちなのでしょう」
「それはお互い様ということで」
「確かにそうですね」
子どものように笑いながら、シャラは化粧道具の蓋を閉じた。
「それはそうと、また『様』に戻っておられますよ。ここにいる間は良いですが、次の街に着くまでにはお気をつけください」
「んーそれも私ばかり頑張ってズルいと思います……でも、はい頑張ります」
不満げながら同意するナヴェットを先頭に、一行はようやく次の街へ向けて出発した。




