合わせる口裏:01 桑園
「黒椿様は無茶ばかり仰る」
「それどう考えてもこちらのセリフですよね?」
結局のところ、シャラは我慢をしきれず口を滑らせた。
翌日の早朝、シャラは一人で指定場所へ足を運んだ。
悩んだが、ナヴェットの書簡を渡すべき相手がクロツバキであった以上、わざわざ長官に会わせる必要もないだろうという理由が一つ目。二つ目の理由は、指定された時間と場所からその意図が読みとれなかったからだ。
前日のうちに、シャラは長官からアポイント詳細を受信していた。今回は首座たちが直接は関わらないからだろう、専用回線という限定はなく、暗号化も日常的に使う程度のものだった。
しかし指示された地点は、鎮樹庁の敷地内にある庁内農園。そこに夜明け時に来いと言う。
てっきり長官室へ呼び出されるものと思っていたのだが、あまりに意外だ。
意味が分からないので、シュロにはナヴェットの付添いで宿に残ってもらい、シャラが一人で来たというわけだ。
半信半疑のまま農園にたどり着き、指定どおり更衣室に用意されていた作業着一式に着替えた。
——今度は野良作業でも手伝えと言うのか?
訝しみつつ更衣室を出る。
「もう少しすると作業者が増える。帽子を深くかぶっておきなさい」
突然人から話しかけられ、シャラは危うく声を上げるところだった。見ると、自分と同じ作業着で全身を固めて麦わら帽子を深くかぶった、小柄な老女だ。
「おはようございます。意外と作業着が様になっておいでですね、竜胆長官」
冷静を装って挨拶をする。
人がいること、その人物が自分に注目していることには気づいていたが……まさかこんな出で立ちで本人が来るとは。さすがに意表を突かれた。
「一人か?」
「はい、本日は指示を受け取るだけだと伺いましたので」
「まあいい。桑の葉の収穫が最盛期だ。付いてきなさい」
まさか本当に作業を手伝うのか?
相変わらずの説明の雑さに苛立ちつつも、シャラはリンドウの背負う空のカゴをさり気なく代わって手にとり、後ろに付いて歩いた。
リンドウが足を止めたのは、養蚕のために設けられている桑園だった。既に何人か同じ服装の者がおり、散らばって作業している様子だ。
リンドウも片隅の一本に梯子をかけ、パチパチと手際よくハサミで枝を落としていく。
「貴官は落とした枝をカゴに詰めるように」
色々と言いたいことをぐっとこらえ、シャラは指示どおりに動いた。
リンドウはしばらくシャラに背を向けたまま作業をした後、ハァとため息を吐く。
「黒椿様は無茶ばかり仰る」
「それどう考えてもこちらのセリフですよね?」
さすがにこらえきれなかった。
「いい加減、状況を説明していただけませんか」
問いつつシャラも、枝を背負いカゴに詰める手は止めない。
「首座の機織り祭儀のため、鎮樹庁では蚕を飼育している。今はちょうど餌となる桑の葉が最も必要となる時期で、とにかく人手が必要となる」
聞きたいのはそこじゃないんだが、と歯噛みしつつシャラは黙って聞いた。
「臨時雇いの作業者も大勢集まる。目立たず会話をするのに都合が良い」
確かに、日除けのための大きなツバと襟布のおかげで、不自然でなく顔や髪型は隠せるし、統一された作業着は個人を識別しづらくする。
「貴官らや客人が庁舎内を奥まで歩けば、人の耳目を集めるだろう。いらぬ不安や憶測を庁内に生む必要もない」
ここでリンドウはチラリとシャラの方を振り返った。
「現地の調査チームから苦情が届いているのだが」
「力不足ですいません。私は嘘を言ったりはしていないのですが、なぜか信じてもらえなかったのです」
「なるほど。噂どおりのようだ」
視線を逸らさず肩をすくめるシャラを見て、リンドウはまた桑の枝に向き直った。
「貴官ならもっと穏便に済ませることもできたのでは?」
「それこそ無茶を仰ると言うものです。私たちに関してあらぬ噂が飛び交っているのを、ご存じないはずありませんよね? そんな状況でまともな対話など」
シャラは可能な限り怒りを抑えるよう努めつつ、抗弁する。
「その件は黒椿様からも仰せがあったが……儀典部の部長には、よしなに取りはからうよう伝えていたのだがな」
「なんとクロツバキ様からですか。恐れ多いことです」
白々しく宣うシャラを、またリンドウはチラリと振り返って見つめた。
「すいません、客人をステュムパロスの旦那様たちにご紹介する際につい話が弾んでしまいまして。笑い話のつもりだったのですが、お嬢様たちが気にかけてくださったのでしょうか。煩わせてしまったなら、申し訳ないことをしました」
リンドウの立場であれば、あの家の開放的な家風は知っているはずだ。
公用で訪れた使者が長年出入りする使用人の子だったとあれば、談笑程度は不自然な状況ではない。
「いやまさか客人をお連れする先が、あの旦那様のお屋敷だとは。指示書を見たときは驚きで見間違いかと思いました」
「黒椿様のご配慮だ。貴官らの労いにもなれば、と」
「本当に、慈悲深い方でいらっしゃいますね」
腹の底に沸くどす黒い感情を、表情に滲ませないように必死で努力する。
カゴに増えてきた枝をギュッギュッと片方に押しつけて、空きを広げた。
「しかしギリギリまで私たちに伝えず、ご訪問に間に合わなかったらどうするおつもりだったのです」
それはずっと気になっていたことだった。
「貴官らの大まかな足取りは把握していた。銀行の引出記録で」
——あれか、事前支払いの軍資金
今回の道中資金用として、使者から資料とともに渡された銀行の信用符。
シャラは時々それを使って現金を引き出していた。大きな都市の銀行なら長距離通信網にもつながっているので、信用符の発行人はその場所と日時を瞬時に把握できるだろう。
——いいんだけどさ、だから最初から言えって話な?
「想定よりも、現場に着くまでに日数がかかっているなとは思っていたが」
「勘弁してくださいよ、まさか客人が幼い子どもだなんて想定外にも程があります。安全策を採らざるを得ません」
「責めているわけではない」
手の届く範囲の枝をあらかた切り終わり、リンドウはいったん梯子から降りてきた。
「黒椿様も客人の御年頃については一昨日初めて知ったと仰っていた。無論、私もだ」
梯子を少しずらした場所に掛け直してから登り、リンドウはまたパチパチと枝を切り続ける。
「並の官であれば、客人と信じず追い返していたかもしれぬ。そうでなくとも、適切にお世話差しあげ現場までご案内できたかどうか。貴官らに任せて正解だった」
あれ今もしかして誉められた?
意外すぎてシャラは逆に眉をひそめてしまった。
「貴官らが麓の街までたどり着いた頃合いで黒椿様に報告した。それから侍従長たちが犬鷲殿側と最終的な日取りを決めたはずだ」
「あのタイミングでですか? あの時点では周辺調査にどれだけかかるか読めていなかったんですが」
「私は、調査チームと合流したらすぐに貴官らは暗号文を受信するものと考えていたよ。黒椿様のお考えは分からぬがな」
——え、じゃ本当は地下とか探さずとも良かったわけ?
自分が深読みしすぎたのだろうか、とシャラは唖然とした。
「結果、別の地点に真なる原因を発見したそうだな。よくあの短期間で、それだけの成果を上げてくれた。評判に違わぬ観察眼だ」
「客人のご慧眼とお知恵のおかげです」
これはやっぱり誉められているのか? それとも何か探られている?
リンドウはこちらに背を向けたまま作業しており、ユラの波も凪気味なので感情が分かりづらい。
「数日連絡が無いのには肝を冷やしたが……黒椿様は『いざとなったらイヌワシが何とかするだろう』と涼しい顔をしておられたわ」
やはりか。
シャラの顔が盛大に歪む。あと一日遅れていたら、どんな強行手段をとられていたことか。
「そうならずに済んで良かったです」
「そうだな、犬鷲殿とて本望ではあるまい」
この人本当に「庭師の子」だと信じてるんだよな?
何とも言えない物言いだ。
「そんなに密に詰めると、重くなるぞ」
シャラが腹立たしさに任せて枝を寄せて詰めていたカゴを見て、リンドウが指摘する。
「短距離ならこれ位、問題ありませんよ。出張中はいつもそれなりの荷を背負って歩いているのです」
とはいえさすがに満杯だ。シャラはカゴを背に負い立ち上がった。
重さはちょうど先日背負ったナヴェットと同じか、少し軽いくらいだろうか。
「どこに運べばいいのですか?」
「確かに頑健なようだな。辺境の巡礼で重宝されるだろう」
「何なんですさっきから、人を値踏みするように」
クロツバキと「調揺官」が会話しているはずがないので知らない体で話しているが、先ほどから評価の再確認をされているようで、とても居心地が悪い。
「蚕室まで運んでおくれ」
シャラの問いに答えぬまま、リンドウは小道を歩き始める。




