営む暮らし:B02 独唱
——いいね、第一印象とは違う情熱だ
シャラは聞きながら思わず口元がゆるんだ。
青年はペダルが送る風の量を確かめるように、次は小さく可憐な音でフレーズを奏でている。
——惜しい、音は少しズレてる
彼が言っていた通り、施したのはあくまでもペダルの調整だったのだろう。オルガンの音の調律は後戻りできない繊細なものだから、他人の持ち物に素人がおいそれとは触れない。
やがて曲は佳境にさしかかり、厳かながらキレの良い旋律が聖堂を満たす。膝位置のレバーも開かれて、音色は一層に華やかだ。
オルガンを中心に周囲のユラが活気づき、祭壇に共鳴する様がシャラにはよく視えた。
「良いものを聞かせていただきました。偶然の出会いに感謝します」
演奏を終えた若者に、シャラはにこやかに礼を伝える。
「ユラも人の心もよく揺すられる、確かな力を感じました」
「ありがとうございます、はは、お恥ずかしいですね」
対して若者は、あくまでも謙虚だ。
「地元でもてはやされて、有り難いことに支援もいただけて、音楽院までは入れたものの……ここでは世の中の広さを思い知るばかりです」
音学院の学生には裕福な家庭の子女が多いが、目の前の彼はそういう層には見えなかった。練習の機会も苦心して日々見つけているのだろう。
「先ほどの曲、初めて聞くものでした。もしかしてご自分で作曲を?」
シャラが尋ねると、若者は赤面する。
「はい、まだ手直ししている最中なんですけど、いつかこの聖堂の人たちに歌ってもらえたらな、とか」
「やはりそうでしたか。多くの人が歌う前提の構成に聞こえました」
場面が具体的に想定されている作品は、芯があるものだ。彼の曲からはそれが感じられた。
「貴女も音楽が好きなんですか?」
シャラの受け答えに感じるものがあったのだろう、若者が期待するまなざしで質問した。
「ええ、音楽院に通われるような方と比べると遊戯みたいなものですが」
「いいですね! 楽器ですか?」
「一番好きなのは、歌ですね」
「やっぱり! それならなんですけど」
喜びと焦りをない交ぜにした表情で、若者は鞄から紙束を取り出した。
「不躾なお願いで申し訳ないんですが、歌ってみてもらえませんか。歌詞は知人に書いてもらったんですけど、どうも上手く合わせられてない気がして」
取り出された紙束は、歌詞の入った譜面だった。
「なぜ私に?」
少し警戒しながらシャラは尋ねた。
過度に他人から執着されるのは避けたいのだが、うっかり踏み込み過ぎただろうか。
いやしかし彼の発するユラをみる限り、まだ危険な域には至っていないはずだ。
「いや……身内に未完成品を聞かせるのは、どうにも気恥ずかしくて…… それならいっそ、見知らぬ方に、って」
その気持ちは、分からなくもないが。
「あとえーっと……気持ち悪かったらすいません、さっき演奏している間、既に一緒に歌っているような不思議な感覚を覚えたんです」
シャラは驚いて言葉に詰まった。
白状すると、確かに聞きながら小さく口ずさんでいたし、ユラを旋律に併せて揺らして楽しんでいた。しかし少なくとも肉声は、彼に届いていたとは思えない。
——もしかしてユラの感度が高い子なのかも
「分かりました、ではもう一度、通しで弾いてもらっていいですか」
気を抜いていたなと反省しつつ、シャラは彼の願いを飲むことにした。
「私は院で教わるような理論には明るくないのですが」
譜面に目を通しながら一曲聴いた後、シャラが遠慮がちに断る。
「歌うとなると、少し詰まりそうな箇所がいくつかあります」
「そうですよね……」
若者が肩を落としたが、すぐに奮い立ってシャラを熱い目で見つめる。
「どうすれば良くなるでしょうか」
こういうがむしゃらな姿勢を、シャラは嫌いではない。
「楽曲自体の改善案を私が助言するのは難しいので、とりあえず『歌いやすいように』歌ってみます。それを聞いてみてください」
この若者であれば、それで十分に課題を見つけられるはずだ。事細かに指摘するより、その方が彼らしさが失われないだろう。
「無伴奏でですか?」
「はい、その方が分かりやすいでしょう」
シャラは長椅子から立ち上がり、祭壇に向き合う位置で背筋を伸ばす。
「ではご参考までに」
息を吸ってから丁寧に練って、最初のフレーズをそっと吐き出した。
自分の息に、声に合わせてユラが躍る。
拍を刻み、旋律に乗る。
それはとても原始的な喜びだ。
——ああ楽しい、久々だ
顔が笑ってしまう。
既に彼が場を温めてくれていたので、ユラの反応もとても良い。
——ダメダメ、集まり過ぎるとまた大変なことに
今は祭壇の内側を変えたいわけではない。沸き立つユラを適度に発散させるよう気をつけながら歌う。
ともすればいつものように、即興で波を追いかけてしまいそうになるのをぐっとこらえる。
彼とその知人が作った曲・詞を壊さぬように、波を妨げる部分だけ所々で流れを変えた。
——多くの人に口ずさまれる曲になりますように
合唱隊が華やかな祭服で合唱する姿を思い浮かべながら、シャラは音楽家の卵のために願った。




