営む暮らし:B01 オルガン
「お連れ様からお言伝を預かっております」
宿に戻ったシャラは、シュロからの伝言を受け取った。
——鞣し場? ナヴェットを連れて?
意外な成り行きにシャラは驚く。
皮革産業は鉄鋼産業等と並ぶ、極めて重要な軍需産業だ。当然イヌワシは領内で手厚く保護していたし、生産現場の見回りには子どもたちもよく同行させた。だからその労働環境の厳しさ、大量の生物由来物資が醸し出す環境臭は、シャラも良く知っている。
正直に言って、ただの「外国からのお客様」であれば優先的に視察に選ぶような場所ではないが……まあ、ナヴェットであれば問題ないような気はする。
今日は汽車の中で昼寝していたので、体力も保つだろう。
夕食の時刻までには戻る、とのことであったが、シャラは予定外に時間が空いてしまった。
——こんなことなら、もう少し掃除してくれば良かった
今回の旅は、前の出張から帰る途中で突然に任命されたもので、家に帰る間もなく現地へ向かうハメになってしまった。
久々に帰ると当然のごとく埃が積もり、いくつかの食料がダメになっていた。そして何より辟易したのは、予想していた光景ではあったものの、郵便受の中身だ。「後見人の庭師」殿からの何通もの書簡。
シャラたちの本音としては、現住所を親たちに知らせたくはない。しかし行政府に就職するのに身元不明というわけにもいかない都合上、「後見人」に住所を知らせて身元確認に協力してもらっていた。
それでも今まで、直接の交流および支援を強く拒絶する二人の意思を受け入れ、イヌワシや実家の関係者がこの付近を訪れたことはなかった(はずだ)。だが今回はさすがに誰かを直接寄越しもしたのだろう、消印などの無いただのメッセージカードが多い。近所にその瞬間を見られていないといいのだが。
——ほんと長官もマツリ姉も、各所への連絡が雑すぎる
思い出すと、改めて二人へ苛立ちを抱かざるを得ない。
意外にと言うべきか幸いにと言うべきか、職場からの消息確認やら警告やらの類は特に届いていなさそうだった。どこまでどう話が行っているのかは分からないが、少なくとも管理部門から無断欠勤扱いされているわけではなさそうで、そこだけは安心した。
ナヴェットたちを待たせると悪いと思ったので、先ほどは窓を開けて空気を入れ替え、最低限の埃をはらい、悪くなってしまった物をごみとしてまとめた程度しかして来なかった。
しかし、もう一度往復するのはさすがに面倒だ。シャラは一人で街をブラつくことにした。
何とはなしに、街の広場の方向へ足を向ける。
この界隈は学生や研究者・芸術家等が多く集まるエリアで、道行く人たちはいわゆる華やかな層ではない。しかし何かしら己の中に没頭している様子が伺える人が多く、シャラはこの街の雰囲気を気に入っていた。
——さっきも似た色柄の肩掛け見た気がするな。今流行ってるのかな
——あーあの飾り帯の巻き方いいな。素材にハリがあると映えそう
——あの髪型どうやって作ってるんだ。時間かかるんじゃあ
噴水に腰掛けてぼんやりしつつ、歩く人たちの装いをつい観察してしまう。
それは周囲の「誤解」を適度に招くための研究でもありつつ、単に趣味でもあった。
実家での着せ替え人形体験に疲れ切っているシュロとは違い、シャラは組み合わせの工夫などを考えるのは好きなのだ。相手に与える印象の調整に非常に効果的であることも含め、面白いと思っている。
風に乗って、先ほどからオルガンの奏でる音が時折聞こえてくる。広場の脇の聖堂で、誰かが伴奏の練習でもしているのだろうか。
——そういえば最近、調揺してないなあ
あの遺跡の山に足を踏み入れて以降、日常の奉納すらしていない。
せっかくだから奉納くらいして行こう、とシャラは聖堂へ向かうことにした。
その聖堂は、ナヴェットが成人祝の飾りづくりに加わったあの聖堂と同じくサルワトル系譜の祭壇であったが、比較的新しい流派のものだった。供物を捧げるよりも、静かな祈りや歌での交流が好まれる。
シャラは入り口の献金箱に心ばかりの硬貨を落とし、並ぶ長いすの片隅に座った。
「あっごめんなさい、少し騒がしくしておりましす」
思ったより響いてしまった硬貨の音で来訪者に気づいたのだろう、足踏みオルガンの前でしゃがみこんでいた青年が立ち上がり、こちらに向かって軽く頭を下げた。
「こちらこそ、お取込中に失礼しました。オルガンの調律中でしたか?」
先ほど聞こえていた音はずいぶん断片的だと思ったが、練習ではなくメンテナンス中であったらしい。
「どうにも足踏みがスカスカするので、ペダルの掃除と補修をしているんです。もう終わりますので」
確かめるように鍵盤を軽く叩く青年の顔は、シャラから見ても年若く見えた。常駐の調揺士にもプロの楽器調律士にも見えない。
「巡回の調律士の方ですか?」
「いえいえ、そんな大層なものでは。僕は演奏が好きなだけで」
違うだろうと思いつつ尋ねたシャラの言葉を、若者は案の定否定した。
「祭司様がご好意で、祭儀のない時には練習に使って良いと言ってくださるんです。多少なりとも恩返しをしたくて、こんなことを」
ここのオルガンは大聖堂にあるようなパイプ式ではなく、足踏み式の小型のものなので、整備も比較的簡単だ。
この若者は、成りからして近所の学生だろうか。木訥とした雰囲気でありながら、そのオルガンを眺める視線には熱がこもっているように感じた。
「どうぞ私にはお構いなく。メンテナンスを終えられたのなら、試奏が必要でしょう」
シャラはこの若者の演奏を聴いてみたいと思った。
「都会の人に聞かせるような腕ではなくお恥ずかしいんですが」
若者ははにかみながらも手の汚れを拭い、オルガン前の椅子に腰掛けた。
「首都なんて、大半は上京してきた田舎者ですよ。私だってここの出身ではありません」
「なるほど、そう考えれば気後れせず済みそうだ」
青年は鍵盤の上に手を広げ、視線を落とす。
一呼吸してから、修理の結果を確かめるように、一気にペダルを踏み込み最大音量で演奏を始めた。




